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棋聖戦イブ

 今日はイブ。明日は山ちゃんの15年ぶりのタイトル挑戦日。相手は化け物ふじい棋聖・竜王名人王位叡王王座棋王王将(以下八冠)。まずは二人のステータスを検証してみよう。

山ちゃん LV43
ぶき:もろはのつるぎ
ぼうぐ:うすいぎょく
じゅもん:やうちさんをあきらめます
ひっさつわざ:ちょいわるぎゃくてんじゅつ

ふじい八冠 LV210
ぶき:Ryzen Threadripper PRO
ぼうぐ:すぎもとししょう
じゅもん:せっかくかみさまがいるならいっきょくおてあわせねがいたい
ひっさつわざ:ふじいきょくせん/つめしょうぎ/ぎゃくてんじゅつ

 どうも山ちゃんが勝負師として、ゆるい印象。武器と防具が心許ない。山ちゃん唯一の必殺技をふじい八冠も持っているのも厳しいところ。しかし厳しい厳しいと言っても明日はやってくる。遠足は行く前の準備が一番の楽しみ。山崎竜王棋聖誕生を夢見て、俺も明日に備えておやすみなさい。山ちゃんも今頃前夜祭を終えてベッドの上かな。明日は正座でアベマを一日拝見させていただきます。

 今回の棋聖戦に合わせて山ちゃんのインタビュー記事を多く読んだ。思ったのは山ちゃんの少年時代の思いは今も彼の体の中に生きているのだな、と。少年時代の山ちゃんは「将棋が弱いやつは死ねばいいのに」と言った将棋至上主義のサイコパスだった。それが今や関西棋士の良き兄貴分だ。隙あらば自虐を吐いてウケを取っている。俺はこの自虐を関西人らしいサービス精神と捉えていたが、どうやら違うように思えてきた。この自虐は、きっと少年時代の自分にむけた懺悔だ。将棋が弱くて死ぬべきなのに生きてしまっている今の自分、山ちゃんLV43が、山崎少年に向けて、分かってるよ!こんなのになっちゃって申し訳ない!と謝っているのが、自虐の裏側にあるものだ。

 本当は死ぬべき山ちゃんの生きるよすがは、へんたいおもしろ棋譜を世に披露すること。それを喜んでくれる人がいるから。インタビューで山ちゃんは、力が衰えて自分の棋譜が見向きもされなくなることには耐えきれない、その時を想像すると…「ほら」 記者の前で涙ぐむ姿を見せた。おもしろいよ山ちゃん。ただ、その力が衰えた自分に対して「凡庸な棋士とはいわないまでも」と注釈をつけた。これもおもしろい。それがプライドからくるものなのか、ちょっと自虐がすぎたのでその修正という正直さからくるものなのか。

 この棋聖戦は、山崎へんたいおもしろ棋譜のおひろめ会。舞台は最高最大。その異才を解き放つのだ。よしんば解け放てなくても、それはそれで俺たちの山ちゃんだ。どっちに転んでも勝ちなので、すでに勝ち確定。

 森師匠は山崎のサイコパスを丸くしたのは自分だ。俺は山崎の牙をぬいてしまったのかもしれんと述懐した。いや、そんなことないですよ。隙あらば自虐のお弟子さんは、勝っても負けても勝ちという、非常に稀な、ある意味、最強の棋士として棋聖戦に登壇します。ただ聡明なお師匠さんなので、そのことを踏まえても、なお、ということなのだろうが。将棋指しにとって勝利こそが何より尊いことは想像できる。一方で師匠の奥さんの言葉があって、人の将棋を褒めない森師匠が山ちゃんの将棋だけは褒めて、その語り口は恋人のことを話しているよう、だそう。

 山ちゃんがそんな師匠に、対局の結果を電話報告をしたのは一度だけ。A級に上がった一番。山ちゃんはそのA級を1年で陥落した。そしてその落っこち先のB1からさらに降級しそうになった今年の年頭、危機感から練習量を増やしたら今回の棋聖挑戦になった。
 山ちゃんは22才の時、谷川王位(当時)に食らった逆転負けに、自分は将棋の神さまに愛されていないと合点して、気持ちを切らした。そのことを今、後悔している。なぜあの時俺はあんな無駄な時間を…。徹マンしてシャワー浴びて公式戦、ということもあったそうだ。今回、挑戦が決まってからは山崎さん一日中、将棋を指しているんじゃないですかね、とは糸谷八段の証言。やまちゃん自身も過去一の練習量と言っている。1か月の付け焼刃であるが、何だって直近のものが現在に一番影響を与えやすい。努力だってきっとそうだろう。取り返せる後悔があってもいい。少年時代の自分から注がれる視線を、久しぶりにまっすぐと見つめ返す。

 山ちゃんは「何とか4戦目の淡路島まで行ければ」と言った。1勝できればという意味だ。淡路島には思い入れがある。少年時代から棋聖戦のタイトル戦開催地という印象を持っていた。もしここで対局できれば、これからの棋士人生で何かあった時に、淡路島に行けばいい。ふじい八冠とタイトルを争った自分に立ち返られるから。淡路島は関西だから行き易いしだって。

この文章で上がった収益は、全てボス村松の演劇活動と植毛に充てられます。砂漠に水を。セイブ ザ ボース。