いつか喫茶ニカイドーで朝食を

確かまだ「ツイッター」だった時に見かけた呟きに、こんなものがあった。
「東京喰種とか、東京リベンジャーズとか、東京はええなぁ。神戸グールじゃパンやもんな」
神戸の皆さんには申し訳ないが、盛大に笑ったし、食べてみたい。神戸グール。

どうやら「東京」という言葉には、謎のキラキラが含まれているようだ。
実際、都内の主要な駅には「みんなが思う東京さん」っぽい場所がたくさんある。
近未来的な建物から、RPG顔負けの初見殺しダンジョンみたいなところもある。「渋谷」って書いて「めいきゅう」って読むんだぜ、覚えときな。

しかし当然ながら「みんなが思う東京さん」じゃない場所もたくさんある。
「東京」よりもさらにエリアを狭くして、「新宿駅近辺」に限定しても同様だ。
JR新宿駅の東口を出たら現れる「歌舞伎町」。きっとこの辺は「みんなが思う新宿さん」だ。
だが、その煌びやかな街から10分も歩けば到着する「ゴールデン街」という飲み屋街は、「みんなが思う新宿さん」ではない。
歌舞伎町からは椎名林檎氏が生まれるが、ゴールデン街からは絶対生まれない。
ゴールデン街は、おばちゃんとおばあちゃんの間ぐらいの女性が、松葉づえを抱えて空のビール樽に腰掛けて、朝の6時から飲み始める街なのだ。そして何本か抜けた歯を輝かせながら、隣にいるおじいちゃんを指して「コイツ彼氏3号なの」と笑う。それがゴールデン街。
(余談だが椎名林檎氏は歌舞伎町にほとんど行ったことがないらしい)

このように、周りからどれだけ憧れの目で見られようと、「憧れられるに足る部分」と「そうでない部分」は必ず共存している。
写真では緑豊かで美しい景観を楽しめる場所に見えても、実際に足を運んでみると僻地にある虫地獄にしか感じないこともある。

だが、「東京さん」も「新宿さん」も、人間が勝手に区切って名前つけて、田植えぐらいの勢いでビルを植え付けているに過ぎない。
どんだけ憧れられようと、そのプレッシャーに負けて地盤沈下するなんてことは起きない。

しかし、これが実在する人間となると話は大違いだ。

私は昔、とあるアイドルグループにハマっていた。
そこで「みんなが思う○○」に振り回され、天高く飛ばされたと思えば、いきなり地面に叩きつけられる女の子達をたくさん見てきた。
「アイドルになりたい」という可愛い夢を追いかける10代の女の子が受ける仕打ちとしては、相当にむごかった。

しかもファン達は、地面に叩きつけられてボロボロのぺしゃんこになった女の子に向かってこう言うのだ。
「そこから這い上がって輝いてこそアイドルだ」と。
「ボロボロになればなるほど、輝いた時の煌めきが増すんだよ」と。
「だから僕達が厳しいことを言うのは君の為なんだよ」と。
そして無邪気な笑顔で叫ぶ。頑張れ、と。

私がハマっていたアイドルグループは、運営がそうなるように仕向け、最初から何もかもエンターテインメントとして見世物にしていた。
それに気付いたのは、そのグループのセンターの子がテレビに出ていた際、二日酔いのクレオパトラみたいな顔をしていた時だった。

私は彼女になんてむごいことを強いていたんだろう、と震えた。
頭がおかしくなっていたのだろうか。
彼女の涙を見て「その涙はきっと未来のダイヤモンドだよっ…!!」みたいなことを本気で思っていた。やかましいわ。

「頑張れ」と言った者の最低限の務めとして、その子が卒業するのを見届けて、私はそのアイドルグループから離れた。
というより、実在する人間に軽率に触れるのが怖くなった。

そのタイミングでとあるゲームにハマり、とあるキャラを好きになった。
二次元の女の子はいい。私が「未来のダイヤモンドだよっ」とか鬱陶しいこと言っても、彼女にはなーんの影響も及ばない。こんなに安心なことはない。

それが浅はかな考えであると気づくのには、大して時間はかからなかった。

二次元のキャラクターには「中の人」がいる。声優さんだ。
声優さんたちは、自身に向けられる「みんなが思う○○」に加えて、演じるキャラクターのイメージまで背負うことになる。
特に近年の若手声優さん達は、デビューしたてほやほやの時に、スタートしたてのゲームやアニメ等に参加して、「キャラクターも、声優さん自身も一緒に成長していく」系作品が主戦場のように見受ける。

結果、3次元アイドルよりも地獄絵図だった(個人の感想です)(個人の感想です)

何かを好きになること、応援することは怖いことなのではないか。
そう思ってしまった私は、友達にすらも「がんばれ」と言えなくなった。

しかし性懲りもなく、このぼす子は、また新たなキラキラに出会ってしまう。
日本プロ麻雀連盟、ならびにMリーグの「EX風林火山」というチームに所属する、二階堂瑠美プロ、二階堂亜樹プロ。
通称「二階堂姉妹」
日本のプロ麻雀界、少なくとも女流雀士の歴史を綴るにあたっては不可欠な存在だ。

幸いだったのは、私が出会った時点で、彼女らはすでに「這い上がった後の輝きを得ていて、その輝きをどう自分に活かすか。そしてどう麻雀界に活かすか」を考えて活動している段階だった。
先駆者として道を拓き、もっと広大で堅牢な道にするにはどうすればいいか。そう考えるフェーズに入っているように見受けた。
知らんけど。

そう、知らん。
知らんのだ。
私は所詮、ここ2年ほどの彼女達しか自分の目では見ていない。
自分の目で見ると言ってもほとんどは画面越しなので、「ほぼなんも見てない」に等しいのだ。

しかしそれでも「二階堂姉妹」の看板の重さ、凄さは感じられる。
「みんなが思う瑠美さん・亜樹さん」の目で見られながら、20ン年間最前線に立ち続けていたからか、実際にお会いすると、小柄といえる身体からは想像も出来ないオーラのようなものを感じる。
その20ン年間にどんなことがあり、彼女らはどんなことを感じてきたのか。私には知る由もない。知れたとしても本人でも当事者でもない人間の視点での理解に過ぎない。それに一体どんな意味があるのか。

だったら、「なんもわからんけどしゅき」でいいと思った。
彼女らが「応援してください」と言うので、「応援してます」と伝える。
「可愛いと言われれば嬉しい」「褒められたら悪い気はもちろんしない」と言うので「かわいい」と叫ぶ。
「麻雀を見てほしい」と言うので、それこそなんもわからんけど麻雀を見ている。なんもわからんけどしゅごい、かっこいい!と拍手している。
私は語彙が貧困で、たまに女神だの天使だのと口走ってしまうが、それは感極まり過ぎて「この世にある言葉では表現できないぐらい可愛い」の意で、神格化して見ているわけではないのでお許しいただきたい。

もちろん、憧れの目を向けることを否定したいわけではない。
人は、キラキラした目で見られれば、さらにキラキラしだすのも事実だ。
ただ私には、「なんもわからんけどてぇてぇ。てぇてぇってなんだって言われても説明できないがてぇてぇ」とIQ3ぐらいの気持ちでいるのが合っているように思う。

気の向くまま、風の吹くままに彼女らを応援し続けて、いつか彼女らが「二階堂姉妹」でも「みんなが思う瑠美さん」でも「みんなが思う亜樹さん」でもなくてよくなった頃。
鎌倉あたりで営む喫茶ニカイドーで、ただの瑠美さんとただの亜樹さんの笑顔が見られたら……と密かに願っている。

彼女らが将来喫茶店をやりたいかどうかも知らんけど。

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