だから、あなたも推しぬいて~厄介妖怪にならないために~
あなたには推しがいるだろうか?
いるとしたら、どんな人だろうか?
「推し」という言葉が使われ始めたのは最近のことで、辞書には載っていない多様なニュアンスを含んで使用されているように思う。
一応、デジタル大辞泉(小学館)に書かれていた説明を引用しておく。
さらに最近では、「推し活」という派生語も出てきて、なんだかまるで就活や終活のように「やれるのであれば、やった方がいいこと」的な様子を見せてきている。
んがっ!
現実的に言えば、「やれるのであっても、別にやってもやらなくてもどちらでもいいこと」であると私は思う。
あなたに、「完全に自由に使える1億円」も「24時間365日、自分の好きに使える時間」もあり、「特に用途を決めていない」場合であったとしても、やはり「推し活」はしてもしなくてもどっちでもいいのだ。
個人的には、「推し活とかやってる場合じゃないんじゃないのアンタ」って状況でも、本人がやりたいのであれば仕方ないとさえ思う。
「やってもやらなくてもいいこと」なのだから、「やりたい」と思うのも自由なのである。例え食費を削ろうと、単位を落とそうと、親に泣かれようとあなたの自由だ。
私自身が「やってる場合じゃない人」だからこそ、余計に思う。
「推し活は自由である」と。
ただ、忘れないでほしいのは、「自由」は「自分が由来」と書いて「自由」なのだという点だ。
やるやらないも自由。
どれぐらいやるかも自由。
いつやめるかも自由。
そして、「どのようにやるかも自由」なのだ。
もちろん、推し側からルールやマナーを提示されている場合は、それをきちんと守る必要がある。
そして社会性の生き物「人間」をやっている以上、「一般的なマナー・常識」も無視は出来ない。難しいけど。私もやってるつもりで出来ていないことがたくさんあるのでゴニョゴニョ。
ただその2点を守っているのであれば、推し方は人それぞれ自由だ。
ボーナス全ツッパするも自由。月に1回のご褒美で現地に行くのも自由。配信で見守るだけでもいいのだ。
しかし、だ。
「そっかー!自由なんだー!やっほー!」で話を終わらせられないのが、人間の面倒くさいところ。
どんなに自由だと言われても、どうしても他人が気になる。
「ファンならツアー全通が当たり前」
「今月の食費8千円でおさめればいける。1万円は甘え。○○担はみんなやってる」
など、クソデカ主語を使う人や、過激派の過激な言葉に心が揺らぐ。
また、
「今日も握手会参加してきましたー♡ 今月会うのこれで5回目w」
「ついに推しにあだ名で呼ばれちゃった~。記念に東京までの新幹線定期買ったw」
といった話に、知らぬ間に奥歯がひび割れる。
目立った発言はしないものの、ファン歴が長くSNSのフォロワー数も多い人がなんとなく「リーダー」のような雰囲気に包まれたり。
最近ファンになったらしい人が目立った言動をすると叩かれたり疎まれたり。
推し活なんだから推しだけ見てりゃいいのに、ファン同士でカフェや居酒屋に行っている画像に心がざわつく。
「推し活」という言葉が出てきて良かったなと思う点は、「推し活」という言葉自体には「拘束感」がないところだ。
その昔によく聞かれた「親衛隊」なんか、「入隊しないと応援しちゃいけない」感がムンムンしている。
その点、推し活はソロ活が可能だ。
可能だ、どころかソロ活が基本だ。
だって「推し活は自由」なんだから。
まずは「自分」が「由来」の活動を行うのがスタートだ。
もちろん、「共感してくれる人」がいるのは大変に嬉しい。
推しについて喋って、「わかる~」「ホントそこ!」って言ってくれる感動たるや。ビールが一瞬で消えちまう。
だからと言って徒党を組む必要もないし、毎回団体行動しなきゃいけないわけでもない。
他人に意見を合わせる必要もない。
周りがどんだけ何を言おうと、すぐ舌打ちするのは個人的には良くないと思うし、私は火をつけるタイプのタバコの匂いは苦手だ。でもそれを推しに言って変えてもらおうなんてことは思わないし、「舌打ち出ちゃう推しかわいい♡」って言ってる人に反論もしない。
そんな推しを好きになったのは自分だし、あなたがどんな推しを好きであろうと構わない。
同じ推しを好きだからって、何もかもが同じなワケがない。
「推しが同じ」は、必ず気が合うことを保証するものではない。
むしろ、なまじ好きなものが同じだからこそ許せないこともある。
お互い別ジャンルにいる時は仲良く出来るのに、同じジャンルになるとめちゃくちゃ気が合わない人もいた。
しかしオタクの悲しい習性で、自分の好きなものをつい布教してしまう。布教するつもりがなくても、好きなものに関してとにかくうるさいしトチ狂っているので、気が付いたら友人も同じジャンルに来ていたなんてことが多々ある。
だが蓋を開けてみると、付き合いが長い友人はだいたいジャンルが違う。同じぐらいトチ狂っているが、全く同じ沼にいる人はいない。
「お前の言ってることの9割分からんが、楽しそうなのは1000割理解した。楽しそうで何よりだ」
で済ませられる距離感がちょうどいいこともあるのだ。
毎週日曜日に我が家に現れるぷぃきゅあおじさんの背中にも、私は「楽しそうで何よりだ」という視線を送っている。
が。
とにかく仲間が欲しくてたまらない人もいる。推しが同じなら仲良くなれると思い込んでいる人もいる。
すぐ「ナントカ会」とか「チーム○○」とか名前をつけてはグループチャットを作る。挙句の果てには「Aちゃん(18)は僕のママで、B君(25)はお兄ちゃん。僕達は○○一家なんだ!」とか言い出す40代男性もいる。
最初はマイナーだった推しが有名になり、自分がいかに今まで推しに全てを捧げてきたか、いかに推しについて詳しいかを語りたいがために「優しくて何でも教えてくれる最古参」の振りをして若い子に近寄る人もいる。
もちろん、推しを入口に、お互いにただの「人」として交流して仲良くなることは十分にあるし、そんな機会に恵まれたらとても嬉しいと感じる。
でもきっと、そうやって仲良くなれる人は入口がたまたま推しだっただけで、他の入口からでも仲良くなれただろうと思う。
ただ、年齢も住んでいるところも何もかも違う人と交流が持てる機会はそうそうない。
「遠い人」を一瞬で「知人」ぐらいにはランクアップさせられるのが「共通の好き」の強いところだ。
ただし、それは「推し活の副産物」であり、決してメインではない。
そして誰もがその「副産物」を得たいと思っているわけでもない。
ソロ活を好む人もいるし、そもそもよく知らない人から話しかけられること自体が嫌な人もいる。
また、推し仲間がいない人は可哀相でもない。いつも一人で現場に来るからって人格に問題があるとは限らない。
「孤独のグルメ」の井之頭五郎氏は、可哀相だろうか? 社会不適合者だろうか?
一風変わった性格ではあると思うが、彼は礼儀正しく、仕事熱心だ。周囲から信頼される人物でなければ、1人で商売を続けるなんて不可能だろう。
彼は必ずしも3食食べるわけではない。仕事の都合であったり、自分の腹の空き具合であったり、その時々で柔軟に自己判断している。毎月の食費どんだけだってくらい食べているが、彼はその分働いて稼いでいる。自分で払える金額の範疇で食べている。
私は、彼こそが「自分由来の活動」の基本モデルだと思っている。
もちろん、あくまで基本なので、何もかもを真似ればいいわけではない。
だが、ベースはゴローソウルが大事だと考える。
推しを見てりゃそれで推し活である。
他のファンよりお金を使っていて、仲間がいっぱいいても、ちゃんと心と目を推しに向けられていないのなら、それは推し活ではないのだ。
本当はこうしたいのに出来ずにいて、SNSで好き放題やっている人を見ると羨ましいし悔しい。
私も日々己を呪っている。
なぜ私は石油王ではないのだ!!!!
石油王は無理でも、なぜ推しのメインスポンサーになれるレベルの会社の社長ではないのだ。
なんて私は無力なんだ、と。
だが、この呪いは小学生の頃、SPEEDを好きだった時から何も変わらない。
大人になれば「財力」を見せつけられると思っていたが、上には上がいるし、家賃って、光熱費って、税金ってこんなに高いの? と絶望してばかりだ。そのくせタバコもやめられない自分に失望もする。
小学生の頃はネット上でファン仲間と交流するなんて時代ではなかったし、ジャニーズ等が好きなクラスメイトと割り勘でMyojoを買って、せっせと切り抜きをファイリングしたり天井に貼ったりするしか出来なかった(Myojoってまだあるんかな?)
でも、その切り抜きを眺めて「んふ~♡」と思っていた時と、諭吉や渋沢にものを言わせて好き放題に買ったグッズを眺めて「んふ~♡」と思っている今と、充足感に大した差はない。
「すまん、本人に会えるのだけは別格だわ」という一点だけは、ぼす子(12)に謝りたいが、当時お金持っててもドームのパイプ椅子から豆粒みたいな推ししか見れなかったから許してくれ。
住んでいる場所、仕事や学校、家庭環境、経済状況によって出来ることは違う。
考え方、性格、性別によっても推し方は違う。
そこで「自分が満足できる推し活」の道を行くと、色んな形でトラブルが発生してしまう。
そして多分、ほとんどの人が満足はしない。自分で自分を満足させるのはかなり難しいからだ。
気付けば誰かに自分を満たしてもらおうとする。そうすると必ず不満が生まれる。誰かに100%自分を満たしてもらうのは不可能だからだ。
その不満を見ないふりして「飽きた」とか「他に推しが出来た」と離れていってくれるならまだいい。
その不満を推しや他のファンにぶつけるようになると、あなたはもう「ファン」ではなくなり、「厄介妖怪」になってしまうのだ。
それを避けるためには「自分で決める推し活」の道を選んでほしい。
自分で活動方法や、活動量、活動頻度、活動費用の全てを自分で判断して、100点ではないかもしれないけど、これが目いっぱいだと自分で納得する。
すると自動的に、収入や体調の変化等に応じて調整もできるマインドになっているはずだ。
「現場に来ないとか雑魚」「金落とさないやつはファンじゃない」みたいなこと言っている人も、
「アイツ、新参のくせに目立ちすぎじゃね?」「にわかが増えると困るんだよな~。ガチ勢以外来ないでほしい」みたいなこと言っている人も、
それはみんな人ではなく「厄介妖怪」なので、妖怪の言葉に耳を傾けてしまわないでほしい。妖怪の言うこと聞いても、妖怪の仲間入りさせられるだけだ。
言うまでもないが、推しと言いながら暴言吐いたり、クソリプ送りまくったりセクハラDMしたりするような、日常のストレスや寂しさのはけ口にしている人はファンではない。毎月500万ぐらい使ってくれていても、厄介妖怪ですらない。地獄の餓鬼でも食べない腐った何かだ。
どうかそんなモノにはならないで、「人間」で推し活をしてほしい。
実態はまあどうでもいい。私も推しに会った後は固形でいるのが難しいし、靴下にはよく穴が開いているし高確率で臭い。
多分向こうだって、カップ麺をよく見ないで作って、ホントは5分なのに3分で食べてしまい、「これ5分じゃん!!!」って1人でキレてる夜もある。知らんけど。
とにかく、「自分由来の推し活」=「自由推し活」を意識してほしい。
そうすれば厄介妖怪にはならなくて済むし、たくさんの素敵な時間と思い出を推しから享受でき、あなたの人生の幸福度もきっと上がるだろう。
今私は、腰が痛くてかなわんから差し入れはロキソニン入りの湿布にしてくれとか言い出しても大好きであろう推しが二人もいる。
推しとは何故かどんどん増えるものだが、
その二人のことは「次回 ぼす子、死す!!」の時まで応援していたいと思う。実際に死す回だけは旦那氏活躍回にしてあげたいのですまんが、最終回直前までは推し続けるだろう。
もしあなたにも今、そんな推しがいるなら。もしくは将来そんな推しに出会ったら。
私は自由に推しぬく。
だから、あなたも自由に推しぬいて、誰かの推し活も自由でいさせて。
まだ今月のクレカの明細見れてないけど。