「数学では正しければなんでも良い」は正しくないよねって話

(僕は数学科の学部4年生です。)

このタイトルを見て、どう解釈したでしょうか。

僕の思い浮かぶ解釈は2つです。

  1. 正しければ人に攻撃的で良いというわけではなく、ちゃんと対人コミュニケーションでは人の感情も考慮に入れるべきだよね

  2. 発表をする際、正しければそれで100%良い発表なわけではなく、聴衆のことを考えて「わかりやすさ」も追い求めるべきだよね

他にも解釈があればコメントください。

1についてですが、これは最近強く意識しています。大学1,2年の頃の僕の、正しくない主張をしている人への指摘の仕方、ひどすぎたと思います。この年齢で気づけて良かったと心から思います。

そんな今でも、他の界隈から見たら指摘が強すぎると思われるかもしれません。
数学科以外の人と行なうゼミもしているので、そこでだいぶバランス感覚を調整している自覚はあるのですが、ふとしたときに不安にはなります。

まぁその不安を抱えているだけ謙虚でマシかなぁと思います。Twitterを見ていると特にね!

2について。改めて文字に起こすと当たり前のように見えますが、これはまさしく今日、ゼミの担当教員に強めに指摘を受けてかなり強く意識するようになりました。というかむしろ、その指摘を受けたからこそ、この記事を書いています。

正しいのは当たり前で、そっからブラッシュアップして発表に臨むべきである。

ある意味で、次のステップに進むときが来たのだなという感じがしています。今までは正しさのみにこだわっていれば及第点をもらえていたのですが、もうそれができるのはわかったから、伝える努力をしてよ、と。正しさについてはお墨付きをもらったと言っていいでしょう。

端的に言えば、ゼミの予習が「一周目」で止まっていることを指摘されたのでした。「二周目」では、より簡潔な証明はないか、より細かくステップ分けをした方が見通しがよいのではないか、など、育てた木の枝葉を刈り取らなければなりません。

そこまで指導してくれる先生でよかったと思います。これからの自分がこのことを強く意識できるように、この記事を残しておきます。

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