ジェイラボワークショップ第27回『数学部のこれからの物語 〜一般・抽象vs特殊・具体〜』【数学部】[20220509-0515] #JLWS

こんにちは.ジェイラボ数学部部長のHirotoです.今年度最初のWSのログを公開したいと思います.(ジェイラボとは,僕が所属しているコミュニティの名称です.WSとは,ワークショップの略です.)


ログ

Hiroto
こんばんは。数学部WSオリエンテーションを担当させていただきます、数学部部長のHirotoです。1週間よろしくお願いします。
部活内部の活動PRをときどき混ぜ込みながら、皆さんとの対話(アンケート含)形式で進めていきたいと考えていますので、ぜひさまざまな意見をぶつけてみてください。

議論をする(聞く)際、どっちの方が好みですか?
1 一般→具体 の流れ    11
@Naokimen, @コバ, @Tsubo, @蜆一朗, @Takuma Kogawa, @Daiki, @チクシュルーブ隕石, @Yuta, @イスツクエ, @あんまん, @chiffon cake
2 具体→一般 の流れ    5
@YY 12, @ていりふびに, @ゆーろっぷ, @Yujin, @Shun
Created by @Hiroto with /poll

Hiroto
1日目は、皆さんの好みを伺います。個人的なもので構いません。この結果によって、2日目以降の流れ(そして一年間のWSの方向性)が決まります。
よろしければ理由も含めて投下していただけると飛んで喜びます。

Tsubo
理由というよりも、今まで僕が行ってきたり受けてきた議論や教育や研究において説明が「一般→具体」or「抽象→具体」の流れで記述されなかったことが果たしてあったかな?とまず思いました.例えば,自由英作文とか小論文においては「抽象→具体の流れで書け!!!」ってめっちゃ言われた記憶がします.学校などであまりにもそういう流れで説明する「訓練」を受けてきたのでそれ以外の方法が考えつかないです。これもなんとなく「一般→具体」になってますね

Hiroto
学校にてなされる「パラグラフライティング」などはまさにそうかもしれないですね。具体例は主張の後に述べる。具体例からだらだら書き始めない。
普段の個人の勉強の際に、具体例にいっぱい触れるフェーズ抜きで一般論にいきなり入れるのかどうかは、個々人の特性によるのかもしれません。

Tsubo
あー確かに何かを勉強する際にいきなり抽象から入っても楽しめたり理解できるのはなかなかの変態ですね()僕は少しだけでも具体に触れてからの方が圧倒的にストレスは少ないです.

Hiroto
(ごめんなさい、「一般と特殊」or「抽象と具体」を対比させたほうがいいですね。気持ち悪い人はどちらかで読み替えてください。)

YY 12
社会科学を学んでいる端くれだからか、具体を集めてそこから話を展開していく方がしっくりきます。
具体というのは確かにそのままでは使いにくいですが、より身近で確実だと思うのでスタートラインにはそっちを使いたいです。

Hiroto
分野によって議論の流れが違う、というのは頭では理解していますが、実際僕が社会科学の議論に参加してみたりしたら、より違いが肌で感じられるかもしれません。分野の向き不向きにも関わってくるのかもしれませんね。

Naokimen
個人的には、初めに一般論でかっちりと抽象的な議論をしておいてからその具体例を出してそれを確認する方が、理論としてすっきりとしていて好みなのですが、専門外の一般の人にとっては具体例をいくつか出してから一般論に持っていってまとめる方がわかりやすいのかもしれません。高校の時の数学の先生(京大理学部で生物系卒)は「数学系の人はベクトルを考える時いつも一般的なN次元から考えていてわけわからん(空間は3次元なのに)」とおっしゃっていましたし、大学でぼくがリー群とリー代数についてのゼミ発表(以前学習発表所で見せたやつ)で、初めに議論に必要なものの定義等を一般論で与えておいて後から具体例を出すということをやったのですが、「いきなり一般論が続いて具体例がなかなか出てこなかったのでよくわからんかった」と言われました。

Hiroto
僕もNaokiさんの個人的な好みとほぼ同じです。
最後のケースに関しては、具体例を最初に提示していたとしても一般論を理解できていたかどうかは怪しいですよね。一般論は一般論として理解しなければならず、具体物でのごまかしで理解してはならない、と思います。

コバ
「抽象→具体」派です。場合によっては「抽象」だけでもいいです。
「抽象」の中に本質はあると思うので。
「具体」は時間が許すなら扱う、というスタンスですね(もちろん時間があるなら扱うに越したことはないと思いますが)

Hiroto
哲学部さんのWSは意外と個々人の「具体」に迫り、そこから抽象的帰結につなげていく(いこうとする)ような構成だと勝手に感じていました。これはあえてそうしているというニュアンスなのでしょうか?それとも僕の言う具体とコバさんのいう具体が違うのでしょうか。

コバ
あ、すいません、このアンケートへの回答はプレーンに議論をする(聞く)際、どっちの方が好みですか?への回答として、私が個人的に抽象的な話をあーでもないこーでもないと議論するのが好きなので:1:に回答しました。

これまでのWSや、物語論としてなら話は変わってくるので、文脈を無視していたかもしれません。。。

ていりふびに
議論の種類もよると思うので、WS内での議論をイメージしてアンケートに答えました。
WSでの議論は実施者がある程度話の流れを物語を用意するので、具体から一般にした方が収束していき聞きやすいと思います。他の場面でも、そもそも話したい観点が予め決まっているのであればそこに合わせた「具体」の話から始めれば議論がしやすいです。
ただ、特に決まっていないのであれば、「具体」から抽出した「一般」が本質から大きくずれ得るので危険だと思います。

ていりふびに
そもそも、具体的な議論の形から考えるあたり、具体→抽象の傾向ありそうです

Hiroto
「物語」というところがキーになる気がしますね。あえてすっきりとした議論にしないところに物語的妙がある気がします。

Takuma Kogawa
一般→特殊に馴染みがありますが、これは一般がある程度確立されているものにしか適用できないと思います。自分の学習や仕事の領域ですと、基本を理解した次は個別の事例(状況によって基本のままでは扱えないもの)を集めて自分の中で一般規則を補強することが多いです。つまり、特殊→一般っぽいもの→特殊を追加→一般っぽいもの(修正版)……の流れが多いです。

Hiroto
ループ構造というのがまさに核心を突いていると思います。僕もよく、学習の際は「・・・→部分→全体→部分→・・・」のサイクルが大事だと主張しますが、それに似ていると思います。

Daiki
抽象→具体に投票しました。抽象で本質を掴んだ後、具体で「こーゆーパターンもある(人もいる)のか」と知った方が、具体に悩まされずに済むからです。 

【私の具体1】
過去に勉強法の具体に悩まされた経験があります。ただ、それは、所長のred pillを飲んで解決しました。
【私の具体2】
音楽についても似たような体験があります。友達と曲について「歌詞とメロディーどっちメインで聞くー?」みたいな話しをしたことがあります。当時は自分は歌詞よりメロディーや声質などを重視で聞く人間であると考えていました。歌詞を聞けず、飲み込むことも出来ないので、自分は「馬鹿だ」とも思ってしまっていました。ただ、最近、私は他の人が描く言葉が自分と解釈の違うものであるなら、私自身全く響いていなかっただけだったのだと気づきました。西野カナや清水翔太系歌手を聞いていた時期(曲)がありましたが、歌詞は全く脳に入ってきていませんでした。それに比べて、ZARDの「負けないで」のサビ部分は、抽象的でとても響きます。

このような実体験からも私は抽象→具体の流れの方が好みです。

Hiroto
「悩み」という観点からお話していただいたところにDaikiさんの独自性が現れていて、とても面白いです。
僕も悩んだ際はメタに"逃げる"ことが多いです。そうすると個人感情を一旦リセットできるので解決に向かいやすいんですよね。

蜆一朗
普段よく触れている形式は (数学をやっていることもあり) 抽象 → 具体ですが、これは数学を具体的に説明するのが難しい (かなりの準備を必要とする) ということに起因していると思います。その準備が整っていることはもちろん前提として、Kogawa さんも書かれているように特殊→一般化→経験→一般化修正という体験を積んでいくことで、いきなり抽象から入ってもついていけるだけの力、そもそもの「抽象化」自体への慣れや受容性が高まるのだと思います。数学に関する抽象化には慣れていない方も多いかと思いますが、そのほかの学問でも抽象化は基本的な営みであるため、ジェイラボの皆さんにはその経験値や慣れがある程度あると期待してよいと思います。

なんとなく話の流れをつかんでもらうためには「具体→抽象」の流れが一番入りやすいため、初等的な教育ではこのような手順が取られます。あまりにも具体物のイメージがなじみすぎている場合 (数学なら実数・距離・順序など) には抽象化する動機や意味が分からない (受け入れられない) ことがあったり、段階に応じて求められる抽象具合が異なったりするため、必要以上に抽象的な議論をあえて避けるのだと思われます。このタイミングでコバさんからの質問に答えるのは失礼かもしれませんが、高校までの数学で公理にほとんど触れない最大の理由はここにあると思います。正確なことを言いすぎて混乱させるくらいなら黙っていようという感じですね。

Hiroto
「数学の認知科学」なんてまさしく具体(身体)→抽象(高等数学) の書物ですし、最初は具体から入らざるをえないというのは人間の性だと思います。いきなり抽象から入れる能力は訓練の賜物である、その通りだと思います。

チクシュルーブ隕石
僕もなおきさんと同じく抽象→具体の方がすっきりとした議論になりやすいと考えているので抽象→具体に投票しました。ただ一切触れたことのない分野について抽象的なものを考え続けることには限界がある気もするので、実際にはどんなものについて取り扱うかによって時と場合で使い分ける派ですね。

Hiroto
「時と場合により使い分ける」という選択肢を追加したら、9割方そこに皆さん投票される気がします笑。議論を進めるには極端な意見を聞く方がわかりやすいんですよね、、。

Yuta
「議論をする際」という状況設定だったので、一般(抽象)→具体は議論としてスッキリして見栄えがいいですし、相手に伝わるのならそちらの方がスムーズに進むだろうと思ったので選びました。
要は議論する相手の議論するテーマへのリテラシーがどの程度か、に依ると思います。西村所長のWSで専門性を保つべきか、なくすかの話と似ている気がします。

Hiroto
「難しい話は難しいままで理解すべきだ」という所長の主張がありますが、一般論の理解に関して、具体性がそれをいろんな意味で阻害する可能性もあると思います。理解を助けることが必ずしも良いとは限らない。ただWSの参加は強制でなく任意である。バランスが難しいですね。

イヤープラグさざなみ
順番はどちらでもいいと思っています。多くの方が抽象論から入って、あとで具体例を提示した方が議論がすっきりすると指摘していますが、私はそこに疑問を持ちました。確かに体裁、すなわち見た目はすっきりするかもしれませんが、議論に参加している人の理解に目を向けるとどうなのでしょう。そもそも「すっきり」を目指す必要もあるのか。

追記
具体例はそれ自体で完結するが、具体例なしで抽象論に触れるときは、具体例を待機する時間が継続している。この待機時間があるおかげで、のちに具体例に触れたときにもそれが「何の」具体例なのか、すなわち大枠の部分を意識することができる。

Hiroto
追記の話、まさしくkogawaさんも蜆さんも言及されているループ構造の件だと思います。やっぱり具体→抽象も抽象→具体もそれだけじゃ足りなくて、サイクルを回すべきなんですよね。

ゆーろっぷ
個人的に慣れているのは抽象→具体ですが、このWSという場(専門外の方々も参加する場)の方向性という文脈でいうなら具体→抽象の方が望ましいと思います。何かを学習するという行為においては一般に、まずは具体から入って大まかな抽象概念を作り出し、さらにインプットを続けて抽象の理解を修正する、というプロセスが基本です(Kogawa さんが書かれていることそのままです)。自然言語であれば、このプロセスを(少なくともジェイラボの皆さんは)ある程度重ねているため、いきなり抽象から入っても問題ないでしょう。ただそれを、数学という特殊な人工言語を扱う場合にも当てはめて良いのかは議論(もしくは実験?)すべきところであると思います。また、非常に個人的な話ですが、いきなり抽象から入ると「答え」のようなものがわかってしまい、教科書的で面白みのない感じもするので、まずは具体から入り、「どう一般化するのだろう?」という疑問(興味)を持てるようにしてほしいかもしれません(無責任な立場からの意見ではありますが…)。

Hiroto
結果を理解したいのか、理解する過程を楽しみたいのか。WSの「物語性」というのは後者を指しそうです。その意味では具体性の散りばめ方が鍵を握りそうですね。


Hiroto
みなさん、ご意見ありがとうございます!!!
一旦このWSは多数決で進みますが、これからのWS本番に関しては、どちらの意見も参考にしながら(もっと言うと、誰にはどのスタイルが合うのかを顔を浮かべ考えながら)、構成を組み立てていきたいと思います。

抽象(一般)1日目
「義務教育でやる数学の量」

義務教育で行われる数学の量は(一般論として)
1 多い    8
@蜆一朗, @チクシュルーブ隕石, @あんまん, @Yuta, @Yujin, @Tsubo, @イスツクエ, @Shun
2 少ない    3
@Takuma Kogawa, @ていりふびに, @chiffon cake
3 ちょうど良い    1
@Naokimen
Created by @Hiroto with /poll

Hiroto
ここでは、個人の意見ではなく、「社会を俯瞰で見た際にどうするべきか」という視点での解答をお願いします。一般論を述べる練習を兼ねています。よろしくお願いします。

蜆一朗
「多い」に入れてはやめて「少ない」に入れては止めてを4回ほど繰り返しました。社会を俯瞰で見た際にどうする「べき」かという観点から見たときには「少ない or ちょうど良い」と思っているのですが、実際に行われている教育の実情からすれば「多い」という感覚です。間をとろうとすると「微妙(良くない)」というニュアンスになります。悩んだ挙句「多い」に入れました。

まずそもそも「なぜ義務教育で数学を扱うのか」というところから考えます。負の数などは別ですが、中学レベルとはいえ「グラフ」「方程式」「図形の相似」など抽象的なことも扱いますので、対象そのものを実生活に役立てるためではありません。僕はその理由が「ある一定量の閉じたルールの体系が与えられたときに、それに従って思考し、その中で正しい結果を導く」という訓練に向くからだと思っています。将来的に数学を使って生きていく子どもは少ないですが、大人になり社会システムに組み込まれたときにその中でうまくやっていく力はすべての子どもにつけておくべきであり、それこそが教育の目的だと思います。WS の本筋から外れてしまいますが、そういう意味では英語もその訓練になると思います。かつて英語の学習が中学から始まっていたのは、我々が当たり前だと思っている日本語を捨て去って「英語」という異質の体系に入り込むために、それなりの抽象化能力と日本語への習熟が求められるからです。逆に言うと「英語」だからこそ中学生レベルの抽象化能力でもついていくことができます。フランス語やドイツ語ではそうはいかないでしょうね。

しかし、現実の教育で行われている数学はそのようなものになっていません。体系的に教える技術がなかったり(自省)、そもそもの「なぜ数学を教えるのか」という前提すらまともに考えたことのない「先生」が過半数ではないでしょうか。そのため、数学の学習といえば、試験を乗り切ることが目的になっていたり、基本の理解を疎かにしてパターンマッチングで解法を覚えることに終始されたりしています。抽象化せずに大量の具体にあたらせるため、身につけさせたい総量に比して生徒の負担が必要以上に多くなっていると感じます。それなりに数学ができるようになってみると、それこそ数学は体系化の権化のような学問ですから、高校以前の数学は「少ない(大したことない)」と感じると思うのですが、やっていることそのものの負担が大きいことを忘れてはいけないと思います。

また、義務教育段階における数学の指導が本来あるべき理念からかけ離れていることについて考えるならば、まともに授業が成立しない公立の小中学校が少なくないことを忘れてはいけないと思います。ある意味それも指導力不足と言えばそうですが、教員の方々に付される権力や権威が著しく低下している現状にあってそれを責めても何も生まれません。むろん「体系の下で…」なんていう授業が成立するわけがないことも言うまでもありません。義務教育段階の子どもたちに勉強する意義を解いたりモチベーションを前提としたりするには限界があるため、学習に際して学校に一定以上の強制力を持たせる必要があるわけですが、社会があまりに多様化しすぎてしまった今それはかなり難しいです。だからこそ扱う内容をより精査して絞りに絞る必要が生まれると思います。そう考えると今の教育で扱われている内容は数学に限らずかなり多いのではないかと感じます。学校で扱われる内容は必要最低限にして、それ以上は個人のやりたい範囲でやれるようサービスが繫栄し、しかもそこに能力や環境といった要因による差別が生まれない、というあり方を探っていくべきではないかと思います。

珍しく僕が長々と語れるテーマであるため、いろいろ書きたい気持ちが止まりません。今回のテーマから外れること (たとえば高校数学のことなど) も含めるとまだしゃべりたいことがあるので、今後の WS の動向を待って意見をいろいろと書いていこうと思います。

(追記)
ちなみに「数学」という言葉が質問に入っていたため「算数」について書かなかったのですが、それを含めると「やり方によっては多いと感じなくなりうる」という意見が正確です。上にも書いたように、学校や先生に強制力を持たせることが難しくなった今、教える内容を絞りに絞る必要があると思います。その策定にあたって重視すべき基準は、公教育という営みの特性上「多くの子どもが将来必要とするか」であることは言うまでもありません。英語のコミュニケーションやプログラミングというのはそれにあてはまるでしょうか。「嫌いにならないように楽しく」という指導は結局誰のためになっているのでしょうか。そして「抽象化能力さえ身についていればあとは個別具体的にやるだけ」でできるようになることの優先度も低くなります。たとえば (高校数学ですが) 統計や実用文の読み取りなどはその典型例でしょう。小学校段階で言うならば理科や社会も優先度は高くないと思います。これらの科目はある程度の読み書き計算やルールに慣れていないと結局できないしただの暗記作業にしかなりません。僕は小学校4年生くらいまでは徹底的に読み書き計算の訓練を積ませることに集中してもいいんじゃないかと思います。それくらいの時期まではただの反復作業にもそんなに抵抗がないでしょうし、5・6年生から扱われる (割合や比のような) 抽象に触れていくためにも欠かせないと思います (指導内容に対する個人の意見であるため削除)。

この案は僕の主観でしかないので質問の趣旨から外れてしまったかもしれませんが、少なくとも国が考える「最低限」の発想は世界に目を向けすぎであり、日本の現実をきちんと捉えていないことは間違いないと思います。

そして「多い」に投票したくせになぜ「社会をどうするべきかという観点から見たら少ない」と投稿の最初に書いたのかを説明します。かなり個人的な意見が含まれてしまいますが、整合性をとるためには必要と判断しました。

何度も書いたように、学校の先生に求められる能力は、文法・定義・定理といった各科目の基本となる理論体系に精通 (個々の事象を数多く知るだけでなく全体像が見えている) し、それを生徒たちにわかるように教えることです。このような指導は「知識偏重」と批判されがちですが、僕はむしろ先生や教育というのは「知識専門」でなければならないと思っています。しかし、これが教育業界の残念なところでもあるのですが、先生にこのような力がないばかりに、自分の授業に批判や評価が向けられることを恐れてか「知識偏重」を先生自身が嫌がっているという事情もあります。そしてそのような不安を抱えた教職志望の学生が義務教育課程に多いというのも、問題が根深くなっている要因です。教える側に抽象化どころか個々の事象についての知識すらろくにないとしたら、僕がここで今長々と語っている理想は絶対に果たされません。

学校の先生が忙しかったり不遇な環境に置かれていたりするのもわかります。時代の変化で先生に与えられる権威が落ちているのもわかります。しかし学校の授業が役に立たないと感じられたり何を習ったかなんて覚えてなかったりする人がこれだけ多いというのなら、学校の先生自身やその授業内容にも少なからず問題があるはずです。教育を志す学生の学力が低すぎることはどうにかしなければならないと昔からずっと考えています。当たり前ですが、時代が進むについて科学の蓄積は増え、社会はより多様化し、求められる基礎能力は高くなっていきます。求められる力がちゃんとある教員が少しでも多くなれば、多くの内容を少ない負担で教えられるようになるでしょうし、それが教員の義務として当たり前にならなければいけないと思います。これもまた一般論として理解してくださる方が少なくないと思っています。

しかし、最初に述べたような「学校で扱われる内容は必要最低限にして、それ以上は個人のやりたい範囲でやれるようサービスが繫栄し、しかもそこに能力や環境といった要因による差別が生まれないというあり方を探る」というのと「教員がきちんとした能力を身につけて教壇に立つことを社会が後押しできるようにしていく」というのとでは前者のほうが可能性や現実味として高い気がしました。「個人の意見ではなく」という指定があったため、後者を後押ししたい (「少ない」に入れたい) 気持ちを押し殺して前者の視点から「多い」に入れました。

Takuma Kogawa
義務教育の根幹は、集団生活に慣れることを除いた科目で考えると国語と算数/数学だと思います。特に、社会生活を営むために必要な国語的思考力と数学的思考力を養うことは重要と考えます。一般に「論理的」というと国語が思い浮かぶ人が多いような気がしますが、「理詰めで考える」のはどちらかというと数学的思考力と考えられます。これを養うには、計算自体が難しくなくても決められた条件から問題を解決するための道筋を文章で表す訓練が必要です。地域差はあると思いますが、私は中学校まではほとんどが途中式と最終結果のみを解答としており、高校以降に急に大きな解答欄を文章で埋めることになり面食らいました。現状の義務教育では数学的思考力を磨くこととそれを表現することの両面が圧倒的に不足しているのではないかと思います。数学的思考力の一点のみでも「少ない」と判定します。
追記
必要条件や十分条件といった形式論理は義務教育でもやるべきと思います。これが区別できないと人との話が噛み合わないので。

ていりふびに
全体の授業量としては十分だと思いますが、もう少し素朴な論理を追う内容があってもいいかと思います。
義務教育での数学はそれ以降の数学への接続という面もあるので、義務教育だけの問題ではないとも感じました。

あんまん
紀元前から始まり人類の紆余曲折を経て今の膨大な抽象的な数学の概念が存在する。そんな数学を義務教育のたった数年で学習するというのだから、全体の一部分であっても、量は多くなって当然であると思います。ただ、その量の中身は具体的なものばかりです。数学は手間暇かければ、「誰にでも」分かります。人によって三平方の定理が違うなんてことはありません。しかし、義務教育における数学は、「手間暇」のかけ方が受験によりすぎな気がします。そのため、しじみさんが仰る通り、具体的なものばかり与えられ、抽象的な思考の訓練量は少ないと思います。実際、三平方の定理の証明をせずに使い方のみを教えるケースは多いです。「算数は簡単だったのに数学は難しい」というのはよく聞きますが、抽象的な体型に触れた経験の少ない初めて数学を学ぶ子どもたちにとってそう感じるのは当然だと思います。ですが、義務教育を終えたもので、数学を苦手の「まま」でいる人が多いことは義務教育の数学の欠陥であると感じます。数学的思考力を養わせるという目的にしては、それにみあった量、内容ではないと思います。

Hiroto
補足ですが、「義務教育での算数・数学の範囲と言われても知らないよ!!」となった場合、それも含めて記載していただいた上、自らの当時の肌感覚(ここはどうしても個人的なものになりますが)と世間一般の学生の将来を鑑みて、今書ける意見を書いていただければと思います。必要なら、「高校までの数学は〜」と読み替えて答えていただいても構いません。その場合その旨も書いていただければ、それはそれとして拝読させていただきたいと思います。
そして、「個人の意見ではなく」というのは、「むかしぼくはおおいとかんじてました!」みたいな類の意見ではなく、という意味です。極端に言うなら、政策を考える立場に立ったとしたらどうするのが良いだろうか、という思考実験を想定していただけると良いと思います。

Yuta
僕は私立の中高一貫校出身で、義務教育の範囲がどこまでかは分からないので高校までを一括りにしての意見になります。また、高校に関しては教育課程も変わったようなのであくまで僕の中高時代の時点での話しかできませんが、量としては少し多いかなと思います。僕の学校は高2で数学Ⅲの最後まで終わらせますが、(少なくとも同県内の)一般的な公立高校は数学Ⅲの積分の体積や微分方程式まで授業が終わらないまま入試を迎えたりというのがざらです(数学だけでなく他の教科(特に理科)でも同じ現象が起きていると聞いています)。また、数学Ⅱ・Bの統計も高校数学の範囲のはずなのに一切教えない学校も多いのではないでしょうか。時間も足りないし入試に出ないから、という理由で丸々教えない単元が発生するのはおかしいように思います。中学範囲(と思われる部分)で単元丸々飛ばす、というのはなかったように思いますが、入試のために急ぎ足になり、上で皆さんが挙げてくださっている本当に大事な力を養う機会が失われているのではないでしょうか。以上のことから「多い」を選びました。

にしむらもとい
立場上、WSは進行中に介入するのは流れをぶった切りそうで控えてるんですが、なんかわちゃわちゃしてきてるので、ちょっとだけ意見を置いておきます笑
一般特殊について
物語論としては一般から入るのは、なんというかラノベっぽいですね。世界の設定を共有してから(既に共有されているテンプレ設定を暗黙に利用してから)その範囲内で物語を進めるというのは「いかにも」です。初めにルールを全把握してから「安心」して次に進むということですね。テンプレではない「物語」は、普通は極めて個人的かつ印象的なシーンから始まり、それが何であるかよくわからないまま、先の見えない展開に惹きつけられ、そうした断片が集まって結果収束するところにカタルシスがありますね。皆さんが大好きな学術論文の類は、その意味では「ラノベ」側と思います。論文は「感じる力」がなくても読めるようにできています。現代人は知らず知らずに、リテラシーが高いなら高いなりにより一層「ラノベ(説明)脳」にされているのだと思います笑 ただ「語り」には「説明」以外の機能もあるよね、というお話でした。参考まで。
義務教育で行われる数学の量
これは、質問の仕方が少し雑だったかなと思います笑 「義務教育で」という部分が質問主の想定外に専門性を規定してしまっています。「義務教育で」をもう少し丁寧に定義してあげるか、「中高で皆さんが受けてきた数学教育への印象」くらいにしておけば、反応得やすかったと思います。この辺の話題に関して僕自身がずっと一貫して言っているのは、「数学の大学入試問題が無駄に難しすぎる」という出口の問題で、入口の義務教育レベルはあまり検討してこなかったので深い意見は持っていません。そもそも義務教育レベルではたしてまともに数学を教える必要があるのかすら、かなり懐疑的に思っています。林修さんみたいに国語と数学の論理を混同する人が多いですが、僕の立場としては国語と数学の論理思考は全然違うものだというのを以前動画で話したこともあります。僕は義務教育では数学より断然国語派であり、記号論理的な思考を全国民に求めるのは無謀(無理)と思っております。算数、数学については機械的に(何ならコンピューターで)計算技術を教えるところまでで十分で、義務教育でそれ以上やりたいなら「そもそも分数って何だろう」とかそういうイメージ作りの方を重視するべきであり、すなわち教職がそんなことを教えられる先生を育成するプログラムになっていないこと、それが社会的に要請されていないことが問題と思います。なので、知識的な意味で分量を規定するなら、僕は義務教育で扱っているいまの数学の分量は「圧倒的に多すぎる」と感じます。義務教育では最低限の計算技術習得とイメージ作りだけをして、適性のある者はさらに高校で数学の体系の全貌(全部さわりだけ)を俯瞰し、意欲ある者だけが大学でいよいよ細部に立ち入って数学を学ぶという流れで良いと思います。これ以上は質問の範疇を超えますので自重します笑

Tsubo
今日の日本における教育環境の現実を見据えるならば「多い」に投票しました.「果たしてどれだけの数の中学生が中学数学の内容を理解できているのか?」という観点から考えれば,学力が平均からその下である中学生は今のカリキュラムで収めるべき内容の量をこなしきれていないと僕は考えるからです.もちろん義務教育ではよほどのことがない限り留年とか再履修をさせない教育制度の問題もあると思いますが,現況の制度では雑に作られたテストをよくわかんない基準でクリアしてしまった,内容を理解できていない中学生が量産されてしまわざるを得ないと考えます.なので,義務教育における数学の内容量は多いと考えます.
もちろん,「高校数学は線形代数とかもっと内容増やせや!プログラミングとか好きな人間だけやればいい!数学(と国語)を重点的にやれ!!!」とか無責任に思ったりはしてます(笑)

Hiroto
さまざまな御回答ありがとうございます。質問がアバウトで混乱させてしまったかもしれませんが、その際は「どのように解釈して解答したか」まで書いていただけるとこちらとしても助かります。本当は僕の方がかっちりした質問を投げないといけないのですが。
さて今日(抽象2日目)のテーマは「今まで受けてきた数学の教育は、実生活に活きているか?」です。

数学教育は、人間の実生活に活きていると感じるか。
1 活きている    3
@Naokimen, @ingen, @あんまん
2 活きていない    11
@蜆一朗, @YY 12, @チクシュルーブ隕石, @イスツクエ, @Shun, @ゆーろっぷ, @chiffon cake, @Yujin, @Daiki, @Tsubo, @Takuma Kogawa
Created by @Hiroto with /poll

Hiroto
これも、主題は「あなたの実生活」ではなく、「社会一般の人たちの実生活」に関してです。
もちろん技術的にという側面では活きているのは当然ですが、もっと「個々人の生活で個々人そのものが活かしているか」という視点での質問です。
人による、というのはそれも当然なので、あえて二者択一にしました。あえてどちらかを選んだ理由を聞かせていただけると嬉しいです。

コバ
2日目、3日目のアンケートに関してですが、2日目アンケートは(一般論として)、3日目アンケートは『「社会一般の人たちの実生活」に関して』とありますが、一般論は多くの「人に広まっている(認められている)論」で、社会一般の人たちの実生活ということはそれこそ「多くの人達の生活の中で」ということなので、「多くの人達からアンケート取ったら:1:(もしくは:2:)にある程度定まる内容」をもう一回個別にアンケート取ってるという構造になっており、「一般論ということなので、一般論をクリックして終わりなんだけど、これで合ってるのかな。。。」となってしまい、答えにくい状況になってしまってるんじゃないかな〜と考えたりしました。

Hiroto
なるほど〜 「一般論をみんながどっちだと捉えてるか」が知りたかったんですけど、伝わんないっぽいですね。

コバ
私にとっては「一般論」はそこに「ある」ものなので、あまり「どう捉えるか」というような感覚は無いですね。
「一般論としてはどっち?」と聞かれたらそれらしい一般論を引用してきて「はいどーぞ」で終わっちゃいますね。(あくまで私の場合はですが)

Hiroto
「多くの人たちにアンケートとったらそうなるであろう解答」を答えてほしいというより、なんというか、俯瞰で見たときにこんなふうに一般社会の人間たちの生活に寄与してるんじゃないのか、みたいな考察が聞きたい感じですね。いや、でも質問わかりづらいのはそれはそうなので、申し訳ないです。

Hiroto
「こんな切り口だと、寄与してるって捉えられるよね」みたいな意味で、「どう捉えるか」って絡んできませんか?どの切り口に皆さんが焦点を当てるのかを聞くことで、皆さんが数学と人間の営みについて、どこに社会的価値を見出しているのかを聞きたいという趣旨でした。そういう意味では、メタな観点ではみなさんの個別(一般論でない)の意見が聞きたいのはそれはそうなのですが、あまりに体験談(例えば僕は博士行ってるから役立ってます!とか)に寄りすぎると質問の意味がないと思ったため、一般の人々に焦点を当てるよう制限をしました。

コバ
アンケートが答えにくい場合に「こういう理由で答えにくいです」という意見を出すのも一つのコミュニケーションの形かな〜と思って発言してみました。(話を脱線させてしまっていたら申し訳ないです。。。)

Hiroto
いや、むしろめちゃくちゃありがたいですし、僕もその意図を汲んでコミュニケーションを図ったのですが、僕がコバさんに不快感を抱いているように映ったならそれは本当に申し訳ないです。むしろご指摘あったため質問の補足ができ、感謝しています。

Hiroto
後付けですけど、「答えない」というのもふんわりとメタな意思表示として受け取ります。今後のWS運営への反省に活かします。
(多分僕超言葉足らずだったので、コバさんへの返信なども目を通していただいた上で反応していただけると少しはやりやすいかと思います。毎回毎回すんなりいかずすみません!)

蜆一朗
数学「教育」はあまり実生活に生きていないだろうと推測します。先日僕が出した意見でも書きましたが、日本の数学教育は大量の具体をひたすら投げかけ「慣れさせる」ことに終始しているケースがほとんどです。本来の目標であるべきところの「一般化・抽象化する」ことはおろか慣れる前に具体の大海に沈んでいく生徒が大半であろうと思います。たとえそれに慣れようとも、具体には応用性がないため、学校教育の場を抜ければ一瞬にして頭の中から消えます。「三角関数なんていつ使うんだ」という疑問はある意味最もかもしれません。ある意味、数学教育で扱われる具体的な内容が一般の人々にずっと残っているというのは理想的ですらないと思います。抽象化をほぼ放棄している現状にあって教科教育が何か生徒たちにメリットを与えるとすれば、せいぜい大学を卒業をするまでではないでしょうか。言い方を変えれば、抽象化というか思考体験をひたすら積むような正統的な数学学習が実現できるのならば、数学教育は意味があると感じる人も増えるかもしれません。

高校までの教育段階において、大量の具体から一般化・抽象化をするのは賢い子や意欲のある子だけでいいという雰囲気がどこか感じられます。苦手な子には苦手な子なりのやり方があるといって形式上やり方だけを仕込むくらいなら僕もそういう方針でいいかもと思わなくはないですが、このような方法が歪んだ優越感や劣等感のもとになるのもいかがなものかと思います。

Hiroto
「具体に偏っている(終始している)現行の教育」という観点で見るなら、数学的な具体的対象が実生活にフルで出てくることは稀なので、一般人の実生活には数学教育は活きていないと結論できそうですね。
大学を卒業するまでの、受験だけに限られた活用しかされていない(具体的な)数学。そりゃあ大衆から嫌われても仕方ないですね。

Hiroto
余談ですが、「大学で数学やってます!」とマッチングアプリ等で女性に言った際、ほぼ全員から一歩気持ちの距離を置かれた後で「すご〜〜」と言われます。分かってはいたものの、改めて数学の一般社会における特異性(と理系一般の性別の偏り)を感じました。

Hiroto
抽象3日目: 「数学部の内部向けの活動と外部向けの活動」(少しだけ長文です!リテラシー求む!)
少し視座をジェイラボに戻しつつ、この抽象ターンはこのテーマで終了となります。昨日一昨日と比べると具体的なお話にはなるのですが、一応数学の内容そのものには立ち入らないということでこちらのターンに据えています。
今まで「義務教育」「その後の一般社会」について、数学の現状での立ち位置と課題を考えていただきました。WSを含むジェイラボのアウトプット活動のターゲットは、当然ですが一般社会を生きる一般の方(変人かどうかは置いておいて)に据えることになるかと思います。今日までの話を踏まえ、今後の数学部のアウトプット活動はどういったアプローチをしていけば良いのか。去年から続く数学部の悩みを、皆さんとシェアして議論したいと思います。
○数学部の内部向けの活動
部活動PRも込めて、ここで内部向けの活動を紹介いたします。
活動の主な二本軸は「輪読」と「WS準備」です。完全に内部向けということになると、「輪読」に話を絞るのが良いでしょう。輪読とは、一つの本について、担当者が一定の期間準備し、該当範囲の内容を発表する形式のことです。もちろん担当者は交代していくのが理想です(去年は僕がぶっ続けの時期がありましたが)。少しでも数学に能動的に触れたい!という人間が幸いにも数学部には集まってくれたため、一定周期でがっつり負担にはなるのですが、滞りなく進めることができています。また、内部で閉じた活動のため、皆の理解度が高まればそれ即ち目的達成となります。淡々とこなせば目的が素直に達成されやすいという意味では、活動として楽とも言えます。
○数学部の外部向けの活動
ここが今回のネックです。現状はWSについて考えるのが一番直接的だと思うのですが、WSのネタは結局どういった題材がよく、どんな扱い方が良いのでしょうか。昨年は僕の自己満足発表が多かったため、皆さんのご意見を伺いたいです。
と言ってもこれだとまた昨日一昨日に引き続いてオープンクエスチョンだ!ということになってしまうため、着目してほしい観点をいくつか。
・物語性と「抽象→具体」「具体→抽象」の親和について。(ここで意見していただいた所長の「ラノベ」論も踏まえると考えやすいかもしれません。)
・一般社会で即物的に使えるレベルの具体的アプローチ(算数的、初等数学的な題材)を主軸に据えるべきか、数学の特徴的な思考法を感じとるということで、背伸びした抽象的議論を主軸に据えるべきか。
・義務教育レベルの学び直しにまでレベルをグッと落とした発表も、時にはあっても良いか否か。
・数学史を語るだけの回が時にはあっても良いか否か。(つまり、数学的内容は本当に用語と意義をなぞるだけで、中身の構造には何一つ触れない発表)
昨日一昨日と同じく、「あなたが聞きたい発表」に終始せず、ターゲットをもっと外部の人に当てた上でのご意見を伺いたいです。先ほどの観点に関するアンケートも一応上げますが、今回はできればテキストでの返答を期待しています。よろしくお願いします。
(今までの内容への返答もいつでも僕は待ってます!僕の質問そのものへの疑問(コバさんにしていただいたように)や、強烈なdisでも構いません!)

Hiroto
(余談)
ここでいう「一般論」とは何か。という話題が蜆さんやコバさんとのコミュニケーションでふんわり浮かび上がってきました。僕は今回無理くり6つの話題を「抽象」3つと「具体」3つに分けたため、「抽象」のターンではみなさんがどこまで一般論で答えればいいのかが曖昧で答えづらかったようです。
まず個人個人に意見を聞いている時点で、統計的データが知りたいわけではありません。しかし、皆さん個人個人の好みや体験に終始した話が聞きたいわけでもありません。
「皆さん個人個人が独自の切り口で語った、世間一般と数学の関わりに関する論考」を聞きたかったのです。自分だけの話に終始しないという意味では、「自分の身の回りの人をみていると、、」的な少々個別に寄った意見でも大歓迎でした。ある種折衷的な問いのため、その解答を果たして一般論として出して良いのか迷われたのだと思います。これは僕の言葉足らずが原因です。すみません。今からでも大丈夫なので、上のように悩んでテキスト投稿を諦めた方は、ここまでを踏まえて解答お願いします。
明日からの3日間は、ここまでよりもさらに具体的な内容に入ります。そして、聞きたいのも皆さん個人個人の趣味趣向です。よりこれからのWSで皆さんの顔が浮かぶようにするための3日間にできればと考えています。

物語性と親和性が良いのは
1 抽象→具体 の流れ    5
@Naokimen, @Tsubo, @チクシュルーブ隕石, @Takuma Kogawa, @イヤープラグさざなみ
2 具体→抽象 の流れ    9
@chiffon cake, @蜆一朗, @Shun, @コバ, @ゆーろっぷ, @イスツクエ, @あんまん, @ていりふびに, @Yujin
3 そのどっちも等しく良い    2
@YY 12, @Daiki
4 そのどっちも関連がない
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主軸に据えるべきは?(極端な2つを示したので、より自分の気持ちに合う方を。)
1 具体的アプローチ(即使えるレベルの算数など)    1
@chiffon cake
2 抽象的アプローチ(内容は最悪捨てても、思考形式にフォーカス)    14
@Naokimen, @YY 12, @Tsubo, @蜆一朗, @Daiki, @Shun, @チクシュルーブ隕石, @コバ, @イスツクエ, @ゆーろっぷ, @あんまん, @Takuma Kogawa, @ていりふびに, @Yujin
Created by @Hiroto with /poll
義務教育レベルの学び直し回が
1 あるべきだ
2 あってもよい    14
@Naokimen, @YY 12, @chiffon cake, @蜆一朗, @Daiki, @Shun, @チクシュルーブ隕石, @コバ, @イスツクエ, @ゆーろっぷ, @イヤープラグさざなみ, @ていりふびに, @あんまん, @Yujin
3 あると趣旨にそぐわない    1
@Takuma Kogawa
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終始数学"史"をやる回が
1 あるべきだ    2
@Takuma Kogawa, @Yujin
2 あってもよい    13
@Naokimen, @YY 12, @chiffon cake, @Tsubo, @蜆一朗, @Daiki, @Shun, @チクシュルーブ隕石, @コバ, @イスツクエ, @ゆーろっぷ, @あんまん, @ていりふびに
3 あると趣旨にそぐわない
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Naokimen
そもそも数学が抽象→具体の流れとなることがほとんどなので、数学における物語性を重視するなら必然的に「抽象→具体」になるような気がします。ただ、抽象的な議論が初めに結構続くと脱落者がかなり出てしまう危険性があるので、抽象的な議論をする前につかみとして具体例を入れるなどの工夫をする必要はあるかもしれません。
その工夫は「物語性」とは別枠で考えるべきことであると思いますし、数学の“物語”が「抽象→具体」にしかありえないという意見には変わりありません。
「物語性」に引っ張られていてそれに結構悩んでいらっしゃるような気がしますが、あくまで「数学での」“物語”を示せばいいと思います。
一般向けの発表としてはヨビノリさんがよくあげているような「中学数学でわかる〇〇」のようなものを勝手にイメージしておりました。

chiffon cake
1.物語性と親和性が良いのは 具体→抽象 の流れ
 所長の"ラノベ論"を参考したうえで、ゆーろっぷさんと同じ意見です。ラノベの例でいえば、そもそも世界観を共有している人間が安心して読み進められるのが利点です。ここで言うならある程度数学に触れている人でしょう。一般向けを意識するなら、やはり普段は数学に触れない人を想定すべきかと。テンプレな異世界転生ラノベよりも、印象的なイントロから入る非テンプレものが適しているのではないでしょうか。出だしで面白い計算式や事実をパッと出して実践してみて、何故そうなっているのかと疑問を抱いた人が文章を追って理解を啓蒙するようなスタイルが良いのではないかと思います。なお、ここで僕は物語性を世間一般へ向けたWSにおける物語性だと解釈しました。
2.主軸に据えるべきは 具体的アプローチ
 1.と同様の理由です。ただ、議論が進む途中で具体性から離れていくのは当たり前だと思います。1.では 「具体 -> ... -> 抽象 -> ... -> 具体」 の流れをとる形式を想定しました。(どっちかというと抽象重視かも...)
3.義務教育レベルの学び直し回が あってもよい
 あんまり考えていません。4.終始数学"史"をやる回 あってもよい
 上の1~3とは独立している議題だと捉えました。純粋な数学を提供するよりは一般受けしやすいはずで、かつWSの新しい試みとしては実践しやすい部類なので、あってもいいかもしれません(小並感)。

Daiki
Hirotoさんの意図を汲み取れずに回答していなかったことをさーせぇーんと思ってます。「少々個別に寄った意見でも大歓迎」、「今までの内容の返信もいつでも僕は待ってます!」とのことだったので私なりのAnswerを提出します。

1つ目の質問は私もコバさんと同じく単に好みで回答しています。

1日目は質問の「量」をそのまま量として捉えるならば、人によって調節できるだろうと思いました。ただ、Hirotoさんが聞きたいのもみんなの回答を見てもここでの「量」は範囲の話だと思うので、それは少し難しく、「まだわからない(考え中)」で、答えていません。

2日目のアンケートは「活きていない」に投票しました。「人間の実生活」を餌を取ってきて、子孫を残し、娯楽を楽しむ、とした時、関連性が薄いと思ったからです。

3日目
・そのどちらも等しく物語性と親和性がいい
 「等しい」かはわかりません。しかし、どっち寄りかもまだわかってません。どっちも親和性は良いだろうと思ったので、逃げで:3:にしました。

・主軸に捉えるべきは抽象的アプローチ
 その場で聞いて即使える「具体」も重要だと思います。ただ、主軸は「抽象」であるべきだと考えます。「具体」は「人」や「時代」によって捉え方が変わりやすいので、それを主軸にすると、このWSがペラいものになってしまうと思ったからです。

・義務教育レベルの学び直し回があってもよい
 このWSに参加する(したい)と思う人は必要があれば自分で学び直すのではないかと思いました。ただ、あってもよいと思ったので:2:にしてます。

・数学史をやる回があってもよい
 物理に出てくる重量という単語からニュートンのりんごの話を思い出す人は多いと思います。光電効果でアインシュタインの名前が上がる時、舌出しのおっさんの話か、と(多少なりとも)既に知っていることと結びつけることで、アインシュタインを知らずに入るよりも興味を持って勉強できるのではないかと思いました。

物理は体験や史から愛着を持ちやすいと思う。
(ex.バケツブンブン、だるま落とし…etc. )

それに対して、数学はそもそも一般に知らない「史」が多いので、最初のハードルが高いのではないかと思いました。

ex.)
ピタゴラスの定理→ピタゴラスイッチのやつ?(でもそれが何かわからない)
ユークリッドの互除法→ユーグリッドって何?(誰?)

私の身の回りには、花やカタツムリが数列と関係することを知って数学をガチり始めた人や『数学ガール』を読んで数学を好きになった人がいました。(これは「史」でなく「具体」かもしれないが笑)

これを踏まえて、やった方がいい寄りの「あってもよい」です。ただ、必須かといわれればそうでもない気もしたので:2:にしました。

イスツクエ
1.物語性と親和性が良いのは 具体→抽象 の流れ

程度にもよりますが最初に抽象の部分を理解しきるのは難しくテンポが悪くなるので物語性との親和は良くないと考えました。(ちなみに物語性がなにかよく分かっていません..)2.主軸に捉えるべきは 抽象的アプローチ
最終的なゴールは抽象的な理解だと思うのでこちらを選択しました。3.義務教育レベルの学び直し回が あってもよい
学び直しというと昔すぎて忘れてしまったことに対してでしょうか。中学数学の内容を軽く調べてみましたがわざわざこの場で時間をかけてやるほどのものはないように思います。4.終始数学"史"をやる回が あってもよい
普通の数学にモチベーションをあまり持てないような方からすると参加のしやすさは上がると思います。数学って割と嫌われてるイメージ(今、嫌いな教科ランキングで調べたら数学が1位だったw)があるのですが、このコミュニティの方々はどうなんでしょうか。ちなみに僕は数学史に興味はあります。しかし、歴史についての議論ってどういう形になるのでしょうか。

Takuma Kogawa
逆張り回答をしたことだけに絞って書きます。「外部」はジェイラボの数学部に所属していない人を対象にした用語かもしれませんが、ログを公開するのであればより広く、世界中の人と捉えた方がいいだろうと思っています。・義務教育レベルの学びなおし
私は「学びなおし」の意味するところがよく理解できていません。まさか小学校の教科書を読むようなことはここではやらないと思います。アウトプットをただすればいいということではなく、それがやりたいことなのか、ターゲットは誰なのか等が不明瞭です。少なくとも高校までの数学を履修したうえで、中学校までの数学を再解釈あるいは再構成して、どのようにごまかしつつ児童や生徒に指導するかという、教育的観点からの「理解しなおし」であればおもしろいと私は思いますし、一般の子を持つ親であれば興味を持ちえます。これだと計算のレベルは下がりますが議論のレベルが下がることはないと思います。・数学史
学問は長い歴史で積み上げられてきたものですので、その領域の過去を振り返ることは極めて重要です。成人するまで受けてきた教育で歴史といえば国語と社会科であり、数学と理科では数学史、科学史はほぼノータッチではないでしょうか。予想や定理が証明されるような話題はたまに見かけますが、他の話題はほぼ見かけません。基礎教養のような意味合いでもいいのでやるべきではないでしょうか。

イヤープラグさざなみ
数学史を扱う際に数学的内容に深く突っ込まないと、それを見た人からはそれが数学であると感じにくくなってしまうのではないでしょうか。数学史だからこそ数学的内容を扱うべきで、何なら数学的な内容がメインで、数学史はおまけでもいいと思っています。ただ、数学史を扱うこと自体には賛成です。数学的内容の中に人間の顔を思い浮かべる体験ができるのは、数学史を学ぶことによってのみでしょう。

Hiroto
(進行ちょっと遅れます)

Hiroto
皆さん、アンケートの解答および詳細なご意見、ありがとうございます。再度目を通して返答いたします。さて、ここまでで(グダリかけたものの)「抽象・一般」のターンは終了です。ここからは、「抽象→具体」の流れに沿い、より具体的な内容に入ります。

Hiroto
具体1日目: 「去年のWSで印象に残っているor聞けるなら聞きたい発表は何か?」
WSの具体的進行を考えるにあたって、すでに蓄積されている過去のデータをあたるのは当然のことと言えます。去年のWSの一覧を並べます。
第02回「数学部オリエンテーション(オイラーの等式の美しさに関する論考を添えて)」
https://note.com/boss_saga/n/n893216ecbc23
第07回「初等関数の複素関数への拡張」
https://note.com/boss_saga/n/n5f7b153a8f4f
第12回「逆行列から一般逆行列へ 〜ペンローズに愛を込めて〜」
https://note.com/boss_saga/n/n651d91f75b8d
第17回「複素数体手作り実習」
https://note.com/boss_saga/n/n41035afa122e
第21回「これまでの、線型代数輪読会は!」
https://note.com/boss_saga/n/n4df9fcf0720c
皆さんはどれに一番心を惹かれた(惹かれそう)でしょうか。ここからは「あなたの趣味・趣向・意見」を聞かせてください。よろしくお願いします。アンケートは投下しますが、今までと変わらずできるだけテキストでの理由づけを望んでいます。僕に文章を供給してあげてください。よろしくお願いします。

一番心を惹かれた(惹かれそう)なのは?
1022
@蜆一朗, @YY 12
2072
@ていりふびに, @Yujin
3124176
@Naokimen, @Takuma Kogawa, @チクシュルーブ隕石, @ゆーろっぷ, @コバ, @chiffon cake
521回
Created by @Hiroto with /poll

Hiroto
(謎解きしてたので、少し遅れます。)

蜆一朗
僕はどうしても高校生に教えるとしたらという観点で数学を見てしまうので、最も親和性が高い第2回に惹かれます。無理数乗について先走ってネタバレしてしまった罪悪感を今でも忘れていません。

YY 12
このコミュニティでは珍しい(?)数学への素養が薄い者の意見で恐縮ですが、個人的には第2回が一番興味深ったです。各々の数学への感覚や、高校数学(あるいはそれ以前)を大学で数学を学んでいるから方の視点から見れるというのは、門外漢にとっては大変面白いです。

Hiroto
第17回を選んだ理由を誰か伝えてください!!!正直全然なにが皆さんに刺さったのか、票数多いくせにわかってません!!!!!!!!優しい方、何人でも良いのでお願いします。

Hiroto
掲示板での延長戦もあるので、そのときでも大歓迎です。「タイトルが!」とか一言でも良いんで、僕への貸し作りだと思って、オナシャス

コバ
こんばんは。また問いへの問いで申し訳ないです。。。恐らく今具体的な返答が文章ベースでなかなか出てこないのは偏に、昨年度全ての数学部さんのWSを比較して、その中の1つの回を選び、かつ「私はこういう理由で第○回の数学部さんのWSが一番心惹かれました(あるいは惹かれそう)」と、「WS単位」で意見を投下するのはかなり骨が折れるからかと思いました。仮の話で申し訳ないのですが、例えばこれが哲学部のWSで、私が参加者として同じアンケートを答えるとしましょう。
昨年度の哲学部のWSを実際に司会進行した私自身でも、一番心惹かれそうなWSを1つ選び、それをWS単位で「こういう理由でその回のWSが一番心惹かれました」と言語化するのは結構大変です。
もちろんその仮定だと、私自身が哲学部の部長なのである程度しっかりした意見を述べなければいけないというハードルが前提としてあるので、今回のケースにどこまでこの仮定が落とし込めるかという観点はありますが、いずれにしてももう少し情報を小粒にして、それに対して答えてもらうというような構成の方がレスポンスは集まりやすかったかもしれません。例えば、それこそ直近で蜆君が仰られていた「無理数乗について先走ってネタバレした出来事」や、私が第17回に投票した理由である「数の実在に関してみんなでああでもない、こうでもないと議論した出来事」というふうに出来事ごとに分解して、「昨年度の数学部WSの中で①〜⑤までのこんな出来事がありました。その①〜⑤までの出来事の中でどの出来事が一番心を惹かれましたか?(惹かれそうですか?)」というように、情報をある程度Hiroto君の方で小粒にして答えやすい形にして、その答えてもらった意見をまたHiroto君(あるいは数学部さん全体)で汲み取って、今年度のWSの具体的進行にフィードバックしていくのも1つのやり方としてアリだったのかな〜と思ったりもしました。

Hiroto
みんなに長文を読んでくれることを期待して良い、というのにも限度があるということですかね。皆さんお忙しい中なのでそれは言われれば当然ですね。
もちろんコバさんのおっしゃった進め方にも合理性はあると思います。むしろ、親切だし返答も得られやすいだろうと思います。正直昨日の時点でそうしていても全然よかったとも思います。が、僕が恣意的に切りとって色々な場面を出すのもそれこそ誘導というか、「皆を信用してない媚び」のような気がしてしまって、noteのURLを貼るくらいにとどめた(自分で概要を見たり流し読みするなりしてくれるところまで信じて期待した)という狙いも、昨日の時点ではそこまで言語化できていたわけではないですが、フワッと自分の中でありました。タイトル見ただけの印象とかだけでも全然良かったんですが、僕って変にハードル上げさせる雰囲気醸し出してるんですかね、、?
ここまで不親切だと返答が得られない、ここまで親切にしたら双方向性が実現できる、その線引きを僕がこの1週間で少しは学習できたので、今後には活かしていけると思います。
返答はもう少し気長に待ちます。なんせ掲示板でもう1週間粘れるので!!!笑

Hiroto
レスポンスはもちろん集まってほしいですが、こちらからレスポンスが集まるように仕向けすぎるのも、個々人の尖り(具体性)を損なうので躊躇してしまう、というジレンマですね。
WSではこれから媚びる(こちらから流れのスムーズさを演出する)気満々だったところ、この前の所長主催のWSでその軌道が修正され、ふらついているというのもあります。僕が言葉を拡大解釈してるだけなのかもしれませんね。もう少し"媚び"について考えてみます。コバさんのいくつかの指摘によって、メタな観点からWSの課題がぼんやりと見えてきました。感謝しかないです。

コバ
私もWSのあり方の答えは分かっていませんが(というよりも“答えが無い“のが“答え“なのかもしれません)こういった話し合いができること自体がジェイラボが前進している証拠でもあると思います。
大変なこともあるとは思いますが、お互い頑張っていきましょう。

にしむらもとい
またちょっとだけ横から口を挟みますが、そもそも解説動画があった回となかった回があるので、単純に並べて比較できない気がします。テキストベースのやりとりに動画混ぜるのはチートなので、そら違いが生まれるだろうと思います。
方向性の問題についてはお任せするのでコメント控えますが、そんなに僕が主導でやった回でWS全体の方向性を破壊したでしょうか笑 ただ、媚びると言っても自分の表現したいことを曲げてまでレスポンスに寄せる必要はないと思います。今回はレスポンス得るのが目的の特殊な回だったので、もう少し単純な問いにする工夫は必要だったかもしれません。

Hiroto
僕からすると、「そんな動画観てくれてた!?!!?」と正直驚いています。(Kogawaさんが完走していただいたのはもちろん存じ上げていました。)
「動画があったから見やすかった!」も意見として聞きたかった(何より動画の意義をWSでは僕が本当に一ミリも感じられていなかった)ので、とりあえず単純に並べたことによって明確になってよかったかなと思っています。
後半に関しては、方向性を破壊したというより、単に僕に柔軟性がないだけですね。今回はもう少し寄せた方がよかったか、、と反省しています。「寄せすぎるべきでない」という帰結になったのが個人的に衝撃的(納得はしています)すぎてそっちに頭が偏りすぎていました。とにかく、僕が頭カチカチだっただけなので、所長のWS自体はものすごく実りある回だったと思います。(そんな意図ではないフラットなご意見だったらすみませんが、)本当に何回も横槍を入れさせてしまうふがいない進行で申し訳ございません。精進します。

Hiroto
具体2日目: 「WSでは聞き専でもよいか?双方向性の砦は守られるべきか?」
(ちなみに具体3日目はボツになりました)WSの方針として、「物語性の提供」というテーマが大きく掲げられました。ここで議論したいのは、皆さんが物語に"介入"する余地を僕ら側が意図的に作り出すべきか否かです。
去年のWSは試行錯誤の年でした。発表のみで全ツッパしたこともあれば、みなさんとの対話をベースにしたこともありました。
そして、今も絶賛試行錯誤中です。とりあえず今回のテーマでは、皆さん一人一人が、
・数学部の与える余地のもとでコメントをしたい
か、
・余地が必ずしも与えられない中でコメントを勝手にするor聞き専に徹してもよい
か、ご意見をお聞かせ願いたいです。なお、双方向性のみに全振りする選択肢は除いています。

Hiroto
比較のため。
去年のもので言えば、
「第02回」は双方向性全振り。
「その他」はほぼ介入の余地なしで、各々が勝手にコメントを残してくださる形でした。(方針などの相談はありましたが。)

これからのWSでは、数学部が議論の中に皆さんの発言の余地を意図的に
1 作るべきだ
2 作ってもよい    10
@ていりふびに, @チクシュルーブ隕石, @Yuta, @コバ, @イヤープラグさざなみ, @chiffon cake, @あんまん, @Daiki, @イスツクエ, @Yujin
3 作らないべきだ    1
@Naokimen
Created by @Hiroto with /poll

Hiroto
待ってください!!!!笑
これだとまたオープンクエスチョンになってしまいますね?
ここで踏まえてほしいことは、あなたが抽象フェーズで、抽象論を主体にするべきか具体論を主体にするべきかどちらを選んだかです。それと物語性の親和を考える際、皆さんの入りこむ余地を(明示的に質問を投げるなどして)作るべきでしょうか?作った方がスムーズか、作ってもスムーズに進めようがあるか、作るとむしろ枷になるか、考えてみてください。
それでももし分かりづらければ、去年のWSの第02回以外の回のときに、皆さんとの対話込みで進めることが皆さんの理解度的に見たときに枷になるか、スムーズになるかを考えてみてください。これらの回はかなり皆さんにとっては抽象ベース(前提から置いてけぼり)だったと思います。これでも難しいかもしれませんが、とりあえず一つ選んでみてください。もしよろしければ一言でも添えていただけると僕が笑顔になります。

チクシュルーブ隕石
一つの数学に関する物語の中において質問を作ることでWSが盛り上がる(理解が深まる)と言う側面があるために質問を作るというのは良いと思っています。ただ投げかける質問をより高度な数学の議論に寄せるか一般論寄りにするかによって負担は全く変わってくると思います。かなり難易度が高いと思われる話題であればそれに伴って必要な数学的知識や考察経験が必要となり、それらが無いと質問の意味を解釈するところに齟齬が生じる可能性もあります。
結局の所どんな質問をするかと言う事がネックになってくる気がしますが、WSを通じて『体験』するためには質問があってそれに答えると言うフォーマットも必要だと感じました。

ていりふびに
発言の余地を作るかどうかは、WSの内容や難易度に合わせてでいいと思います。
発言することが物語に介入することの必要条件でも十分条件でもないはずなので....以下は今回の議論を通じて感じたことです。
今までは数学部メンバーのwsへの関わり方はws時の発言が重要視されていましたが、今回の議論を通じて事前の準備についてを重要視すべきかと思いました。数学部内で意見をまとめる必要があるのでHirotoさんの負担が増える可能性もありますが、その分より多くの人が介入できるwsになるはずです。

Naokimen
「作らなくもよい」という選択肢がなかったので「作らないべきだ」に投票しました。あまり質問することにこだわりすぎると扱えるテーマが狭まってしまうので、テーマに応じてどうするかを決めればいいと思います。

イヤープラグさざなみ
物語の大枠が予め準備されている以上、参加者に発言の余地を残すか否かはさほど重要な問題ではない気がします。内容に対して想定され得る質問を数学部内の準備段階でおさらいし、それをも発表に盛り込むのが望ましいのではないでしょうか。

Hiroto
この1週間、投票とご意見ありがとうございます。参考にさせていただきます。
個別の返答に関しては、急いで簡単なものになってしまうのもアレなので、掲示板の方でメンション付きで送らせていただこうと思います。この1週間で、僕は何かの答えを得ようと思ったわけではありません。むしろ色々な意見をもらってさらに迷いの種が増えたような気さえしますが、全てのご意見を参考に、これからのWSについて前向きに考えていこうと思います。
僕が言葉足らずで変に考えさせてしまった部分に関しては申し訳ございません。事前シミュレーションをもっと綿密に行ない、部員との連携&部員へのタスク割り振りを密に行いながら、これからのWSは実行していこうと決心しました。皆さん自身がこれからWSに参加していただく際に意識していただきたいことは、
・具体性の度合いを自分の中で意識しながら議論を追うこと
・抽象の話は無理に具体化せず、抽象そのものとして話を受け入れること
・それで理解できなくても、メタな意味で数学の香りを感じ取ってほしいこと
・話の流れを全く気にせず、何を発言しても良いこと
などが挙げられると思います。僕が皆さんの発言の余地を意図的に作るかは分かりませんが、そんなことは関係なく、思ったことを全て吐き出していってください。また、今回は僕だけのWSになりましたが、これからはもちろん部員の皆さんに協力してWSを稼働させていきたいと思っておりますので、部員ともども何卒一年間よろしくお願いいたします。数学部のオリエンテーションは以上となります。次回からのWS物語に、ぜひご期待ください。

以上.

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