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1026 喋り続けるじじばば

久々にしっかり眠れて朝起きるようになってきた。このままの勢いを保ってすっかり健康なライフスタイルを送りたい。

平日の朝は部屋だとうだつもあがらんので、駅にあるちいさなパン屋のイートインコーナーでだいたい仕事を始める。今日は隣に余裕で80過ぎたじじばばがおって、全然噛み合ってもない会話をしたり急に歌い出したり、好き勝手やっとった。「うちの親はまだ元気だから」「いやもうとっくに亡くなってるじゃないの」「ああお母さんはね」「お父さんもだよ」って支離滅裂の会話しながらも二人はずっと喋り続けてて、友達なのか夫婦なのかわからんけど、かたやボケてしまって正確なキャッチボールが出来ないとしてもキャッチボールをやめようとしない、って姿勢はめちゃくちゃいいなと思った。諦めないというよりも、ある種諦めを前提にしたうえでキャッチボールし続けるというか。

Instagramのおすすめ欄とかで「彼から返事がくるLINEの方法」「はじめての人に脈アリと思わせるLINE」とか、びっくりするくらい浅いTIPSを見るたび思うけど、そういう小手先が通じるのってまじで本当に小さな範囲でしかなくない?興味をもってもらえてればスタンプ一個でも返事はくるし、興味もってもらえてなければどれだけ正しい返事をひねりだそうとも返事はこん。特にLOVEの話においては、何を言ってるかより誰が言ってるかが超重要で、そういった小手先はほぼ何の意味ももたない。

そんなことよりも自分が興味をもった相手に話しかけ続けること、相手の話を聞き続けること、うまい会話じゃなくても話を続けようとすること。この姿勢がお互い一致してる状態だけが、長い時間続くなにかになっていくんじゃないかと思う。友達ならそれは自然と出来るけど、パートナーともなると「俺が傲慢になったか?君が怠慢になったか?(by 桜井和寿)」みたいなことになる瞬間も訪れる。

たぶんやけど大体の喧嘩の火種もここにあって「トイレの電気を消してくれない」ことに怒る彼女がおったとして、
トイレの電気を消し忘れる彼氏がおったとして、「トイレの電気を消そうと心がけてるけど忘れちゃう」人と「トイレの電気なんて大したことじゃないやろ」って消さずにいる人だと前者は許されても後者は許されん。ここにおいては「トイレの電気を消してほしい」わけじゃなくて「トイレの電気を消してほしいっていう私の思いに応えてくれる姿勢があるかどうか」を絶対に見てるよな。変わろうとする姿勢、変われないとしてもそれに向き合おうとする姿勢、そうやって調整を繰り返そうとし続ける態度のうえにこそ、関係性は成り立つよなあと思う。

過去にも書いたけど気に入った文章の引用残して仕事に戻る。

関係性を作り上げるとは、握手をして立ち止まることでも、受け止めることでもなく、運動の中でラインを描き続けながら、共に世界を通り抜け、その動きの中で、互いにとって心地よい言葉や身振りを見つけ出し、それを踏み跡として、次の一歩を踏み出してゆく。そういう知覚の伴った運動なのではないでしょうか。

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