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2023年の振り返りと2024年について

 気がつけば2024年になってから、もうすぐ1ヶ月が経ちます。早いですね。変わらずバタバタと生活していて、一日が長いように感じる割に、月日が経つのはあっという間です。
 忘れないうちに2023年の振り返りと、2024年について少し考えます。

2023年振り返り

健康の維持の難しさ

 思い返せば10年前、ちょうど30歳になる頃も大きく体調を崩した時期がありました。あの頃から生の芋が食べられなくなったのでした。大好物だったのに。
 去年は夏頃にコロナに感染し、後遺症と思しき皮膚病に長く苦しんだのが強く印象に残っています。記録を見ると、5月くらいからもうずっと病院に通っているので、コロナで一気に悪化しちゃったんだろうなぁ。今も通院はしていますが、秋ごろに比べるとだいぶ症状が落ち着いてきました。しばらくは健康に気を遣って生活したいですね・・・

息子の成長に伴走する喜びと苦労

 2歳の息子も、歩いたり走ったりはすっかり上手になり、遅れていた発話も夏頃から見られ、今ではたどたどしく歌を歌ったりしています。時折、彼が赤ちゃんだった頃の写真を見るのですが、ちゃんと成長していて(当たり前)、それでいて今でもかわいい。
 他所様のお子様と比べたことがないので詳細はわかりませんが、いっちょまえにイヤイヤ期。だいぶ手を焼いています。特に眠い時と空腹時は機嫌が悪くてイヤイヤが激しくなるようで・・・まるで自分を見ているようだ・・・。
 在宅で仕事をさせていただいているので日々の成長を間近で見られている喜びはありつつ、日々の育児トラブルも対応することになるので、つくづく仕事と育児の相性は悪いなと思います。効率よく出来ない自分が悪いだけですが。
 そんな息子も春から幼稚園の満3歳児クラスに入園し、またちょっとした生活の変化が訪れそうです。

キャリアの折返し

 2008年から働いて、去年で15年。今年から数えて、定年まで20年。社会人として、もうまもなく折り返し地点。
 今では見る影もないのですが、キャリアの出発点は、かなり技術寄りの志向で、新しい技術だとか、大規模システムだとか、そういう強いキーワードに惹かれるタイプでした。その頃はビジネスとか組織とか微塵も興味なかったな・・・。
 転換点があったのは、やっぱり前職の環境の影響が強いと思います。プロダクト成長のための(職種・組織)越境思想、個や組織と事業が直結した成長戦略。開発組織の外側にも同じ会社の従業員がたくさんいて、彼らには自分と同じように家族や友人や日々の生活があって、同じ目標のために、自分とはちょっとだけ違う仕事をしている。エンジニアリングマネージャーという仕事を知ったのはちょうどその時期でした。
 2017年頃からEM専任で仕事を始めたので、今年でもう7年。右も左もわからない初心者、とはもう名乗れない。というか、個別具体で対応する日々の業務自体は、もう大体が概要を理解していると思います。EM業務に再現性があると言われているのは、個別業務自体はパターン化していて、どの会社でも発生しているからだと思います。

 一方で、EMとして成長実感があるか、でいうと、ずっと無い。立ち止まっている印象すらある。正直なところ、首の皮一枚でキャリアが繋がっているとさえ思います。抽象度の高い課題を捉えて解決するというのは、泥臭い動きを淡々と進めるというのももちろん大切ですが、発想・行動・自省すべて高い打点に無いといけない。これはEMという仕事というより、より重い責任を伴う仕事には共通するものだと思っていて、高い思考能力を要求されていると感じます。頭打ち感があるのは、私のスペックがそろそろ足りなくなってきてるからなんだろうなぁ。

2024年

健康、健康、健康

 病気で悩むのはメンタルに相当堪えるし、懲り懲りなので、今まで以上に気をつけたいですね・・・。まずは暴食を控える。出来る範囲から体を動かす。スポーツジムに通ってしっかり鍛えられるほど時間が作れないので、10分から出来るようなものを継続したいですね。何かあるかしら。

頑張りすぎない

 EMなんだから、父親なんだから、ここまでやって当然。ゼロ地点。そうやって追い込んで、結局うまく行かなかったのが2023年だった気がします。そんなうまくやれるほど自分は優秀ではなかったし、何より傲慢だったのかもしれません。年末のあたりはずっとカリカリしていて、アンガーマネジメントも何も無かった。自分で自分を追い詰めすぎだったんでしょうねぇ。

https://note.com/boscoworks/n/n6aa3381f28f1

 今冷静に振り返ると、自分以外がやったほうが案外うまくいくかもしれなかったことを、無意識に選択肢を潰してしまったのだから、ひどいもんです。過去を振り返れば、この類のミスは今回に始まったことじゃなくて、何度か繰り返してしまっているから、私の性根に問題があるんでしょう。これはもううまく付き合っていくしか無い・・・。
 10年、20年前の自分から見て、あんな大人にはなりたくないと思っていた大人に、段々となっているような気さえします。でもその可能性を見過ごさないで、しょうもない自分、変われない自分もまた自分なのだと受け入れることも大事で、だからこそ頑張りすぎず、積極的に周囲に支援を要請できるような姿勢を持っていきたいですね。これも何度かやったことはあるから、きっと出来ると信じたいところです。

小さく始める

 育児・家事・仕事。これに自分の全リソースをつぎ込んで、ようやく自分に人権が認められると思っていました。たぶん今でもそう。でもそうやったところでうまく行ってないなら、あんまり意味はないですよね。
 せわしない毎日の中で、息子と遊んだり、スキマ時間で動画を見たりして、楽しいなと思う日々ですが、時折虚しくなったり、楽しくないなと感じたり。少しだけ自分に投資しないと、長続きしないと感じます。
 そういえば、会社のカレンダーには毎日びっちり予定が詰まっていて、プライベートでは育児やらマイホーム購入やらで多忙だった元同僚が、いつぞやの1on1で「そんな日々でも毎日30分はかかさず読書をしています」と言っていたのを思い出しました。たとえわずかな時間でも、自分が自分のために生きている実感というのは大事なんでしょうね。
 なので、1日数分で良いので、ちょっとずつなにか始められれば良いなと思っています。まずはやりたいこと探しから、ですが・・・。

不惑を目指さない

 2024年、40歳になります。今のところ不惑とは程遠い生き方をしています。38歳のときに現職に転職した際、40歳になる頃までには自分の生き方に選択肢を作っておきたいと思ったのですが、オファー面談のときに同僚から「不惑って言いますけど、惑うことの何がいけないんでしょうか。僕は今でも惑っているし、惑う生き方を選んでいるし、楽しんでいますよ」という言葉を頂いたのをよく覚えています。自分自身が入口一歩手前に立って、ようやく少しだけ飲み込めたような気がします。これも一種のNegative Capabilityですよね。
 何より惑わない生き方、選択肢を固定する生き方というのは、無意識に外の選択肢を除外してしまうので、それも良くなかったんだと思います。第一いま時点でうまく行ってないのに、そんななかで選択肢を作ったって、しょうがない。

 まずは目の前から、出来るところからやっていきます。振り返ったときに、少しでも楽しかったと思える日々を過ごせるように。

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