見出し画像

議論、良くもなければ悪くもない女はどこへ行けるのか


 私は子どもの頃から文章を書くことが好きだったのだが、気が付けばいつの間にか全く書かなくなっていた。

 文章を書いていたピークは、このアカウントでせこせこと投稿をしていた4、5年前ほど前。私がまだ20歳の頃のことだ。

 5年も経てば、悩みも肌質も環境も変わってくる。
20歳の頃に、辛くて苦しくてどうにもならなかったことは、すっきりさっぱりなくなって鼻で笑える過去になったし、無印の化粧水をぐいぐい吸い込んでいた肌はヘソを曲げ、今ではやれ炭酸泡の土台を作る美容液だプラス3時間寝た効果のクリームだで機嫌を取らねばならなくなった。

 環境も変わった。
認めてもらいたい、力の出しどころ行きどころのないもどかしさもなくなった。
不本意なかわいいで、足踏みをすることもなくなった。

 私はこの5年で、着実に女の子から女の人に成長したのだと思う。

 そして、自分の着火点が分からなくなった。

 当時は、なりたいものも欲しいものもたくさんあって、憧れる一瞬を見てはひた走るを繰り返せばよかった。
 ネットの海に転がる名言にうなだれる気持ちを跳ね起こし、すれ違った自分より少し上の豊かな美人を見てはその日のヘアトリートメントのつけ置き時間を長くした。
 ひとつひとつ、良くなっていく。着実になりたいものに近づけているような感覚が楽しかった。

 けれども、良くも悪くも私は大人になった。
世界の解像度が上がって、それまで追いかけていた輝きの裏を見られるようになったのだ。

 SNSに流れる耳触りの良い言葉は、私の成長のためではなく巡り巡って発信者のためにあり、私の暮らしていた街で見た美しい人たちは、綺麗であることが仕事だったりした。

 そうして、5年前の自分を奮い立たせていた魔法はすべて効かなくなった。

 その頃の自分が好きだった言葉に、こんな言葉がある。

 「良い女の子は天国へ行けるが、悪い女の子はどこへでも行ける 」

 ヘレン・ガーリー・ブラウンという方の、有名な言葉だ。TwitterもといXでも時たま見かける、割と人気のあるフレーズだと思う。

 当時の自分は、脱おりこう娘で悪いことだってへっちゃら!度胸も賢さもある若い女の子だからね!と本気で思っていたので、この言葉はまさにワンフレーズ・バイブル。もう少し痛かったらInstagramのプロフィールに書いていたくらいには好きだった。

 しかし、来月25歳になる自分がこれを改めて読んでみるとむず痒くてたまらない。
 良い悪いの基準って何?しかも女の子って超期間限定、キャンペーン期間が短過ぎる。そしてその上天国だ地獄だって、よくよく考えたら来世の話じゃないの。いくらなんでも遠過ぎる。

 大人になって、より理屈っぽく明確な何かが欲しくてたまらなくなってきている。

 良くもなければ悪くもない女は、このロジックでいくとどこへ行けますかね……?

 あっ、結構ざっくりとかでも全然大丈夫なんで…!ほんと、あの方向性だけでも一旦頂戴したいです…。

 でも、この言葉はきっと、とにかく一歩飛び出したい、そんな夢だけを抱いた少女のためにある言葉なのだとも、本当は、分かっている。

 飛び出した後は、その先は、自分で決めなくてはいけないのだと、よく、分かっている。

 だけど、25にもなるのに、私はやっぱり背中を押してくれるような魔法の言葉が欲しい。

 だから、最後に一行足す形であと5年保たないか試してみることにする。

 「良い女の子は天国へ行ける、悪い女の子はどこへでも行ける、人生は頑張る人に振り向くように出来ている。」


 今日はここまで。
25になる私は、夜の西麻布を歩くことなく、さっさと髪を乾かして、早く寝て、早く起きて、そして提案書を作ります。

人生に、振り向いてもらいたいので。

(全然別件だが、まさかTwitterがXになるなんて、5年前の自分に言っても信じられないと思う。Twitterは永遠だと思っていた…!)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?