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夢うつつ白羊宮 「玄想映画室 白羊宮」主人繁田俊幸追懐 後篇


   ここで更に歴史を遡り、主人の人となりから白羊宮の背景を探ってみよう。
 昭和三十二年に東京田端で生まれた繁田俊幸が物心付いた頃、四十一年から俗に怪獣ブゥムと呼ばれた流行が放映作品から派生し、巷には子供向き書籍、玩具や音盤が溢れた。傾き始めた映画界も追随、この分野に長じていた東宝をはじめ邦画大手各社が軒並み新作を出し、洋画でも『恐竜100万年』等が封切られる賑やかさだった。この最中、四十二年に十歳になった繁田少年の心をも強く捉えたのはやはり怪獣だったことは、本人が時に述懐していたことからも明らかだろう。その書棚を飾っていた秋田書店の『怪獣画報』も、応時の名残りだったことは想像に難くない。

以下、約5900字・四百字詰16枚 図版10点

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