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何もかも忘れることがあの人の最期にくれた優しさだった

休日に一家で、小高い山にある公園へ行きました。過疎地域なので、土日でも大抵の公園はさほど混んでいません。その日も自分たちのほかに、2組ほど幼い子を連れた家族連れがいただけでした。
この公園にある遊具は幼児向けのものが多く、娘たちは物足りなさそうでしたが、今回の目的は遊具ではなく、塔に上ることでした。長女が幼い頃にみんなで上った白い塔のことを、夫がふいに思い出し、それが夢か現実かよく分からないというので、一緒にいろいろ思い出をたどった結果、それはあの公園にあるあの塔ではないか、という話になり、行ってみることになったのです。

その塔は、遊具のある広場を出て、ベンチと時計台しかない原っぱを抜け、ひっそりとした雑木林の獣道をしばらく進んでいった先に、新緑の木々のあいだから、本当に夢みたいに唐突に、ぬっと姿を現しました。古びた説明書きによれば、その塔は50年以上前に寄贈されたものなのだそうで、ところどころ白い塗装が剥がれ、灰色のコンクリートがむき出しになっていました。
塔をのぼると、住んでいる町を一望できました。イオンやら、学校やら、いつも行くスーパーやら、市中病院やら、小高い丘の塔から全部を見渡せてしまえる小さな町を、子どもたちと、小学校はあのへんだとかなんとか言いながら、ひとしきり眺めました。

塔にたどり着くまでの道に、いくつかベンチがありました。そのほとんどが、ベンチとして成り立たないほど、草花に覆われてしまっていました。中には座面の木が朽ちて、周りの草木と同化しているものもありました。やはり、利用者が少ないせいでしょうか。遊具のある広場以外の場所は、もうほとんど整備がされていないようです。

草花に埋もれ、朽ちかけているベンチは、『天空の城ラピュタ』に出てくる、こけのむしたロボットを想起させました。そんなベンチを見て、子どもたちは「雑草が腰掛けてる」と笑いました。

人から忘れ去られることは、悲しく寂しいことですが、その中にほんの少しだけ、救いも含まれている気がします。
数年前に他界した祖母が、認知症の進行により私を誰だか分からなくなったとき、私はとても悲しくて、その場で泣き崩れそうだったけれど、しかしその一方で、心のほんの片隅で、救われてもいました。おばあちゃんは私の悪い部分もまるごと忘れたのだと思ったら、自分の命が少しだけ、軽くなった気がしたのです。
いつも砂糖菓子のように優しく穏やかで、一緒に歩くと決まって腕を組んでくれた祖母が、一度だけ、私に冷たくしたことがありました。思春期のころ、祖母の目の前で母に対して反駁な態度を取ったときです。
具体的な言葉は忘れましたが、母の提案をとげとげしい言葉ではねのけて、母を怒らせました。いつもなら、私が母に怒られていると「そねえに怒らなんでもええがなあ」と私を庇ってくれていた祖母が、その時はすっと黙り込んで、私と距離を取り、しばらく口を利いてくれませんでした。
そのとき、私は初めて、母は祖母の娘であり、祖母にとってとても大事で可愛い存在なんだという、当たり前のことに気づき、やってしまった!という、激しい後悔の念に駆られました。祖母の前で母を傷つけるような行為をした自分が、恥ずかしくてたまりませんでした。

あのときの恥ずかしい自分を、大好きな祖母に冷たく距離を置かれてしまった自分を、祖母が覚えていると思うと、叫び出したいほど嫌でした。それからどんなに時間がたっても、むしろ、時間がたてばたつほどに、苦々しさは濃くなりました。
だから、祖母が、私の存在を丸ごと忘れてしまったとき、深い悲しみ中に、ほんの一粒、救いも含まれていました。

忘れ去られることは、確かに悲しくて寂しくて残酷なことでもあるけれど、もしかしたら、誰かにとっては、少しだけ優しくて、軽やかになることでもあるのかもしれない。草花に埋もれたベンチを眺めながら、祖母を思い、そんなことを考えました。
忘れ去られてしまったら、もう、悩むこともない。傷つくこともない。もう、謝ることも、許されることも、褒められることも、がっかりされることも、何もない。
それならば私は、これまでに出会いもう二度と会うこともないであろう多くの人たちにとって、草花に埋もれて朽ちていくベンチのような存在でありたいです。