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原作とかい離する脚本化問題から 「正欲」を観る ~身近に迫る危険性まで~

漫画家・芦原妃名子さんの訃報がきっかけで、同業の森川ジョージさんのSNSを目に機会が増えた。その中で印象に残った文言がある。

「日本では原作者が【絶対】です」

この上ない重い言葉だ。しかし、これが遵守されなかったため、この度の訃報に接してしまった。

同じ頃、いつも聴いているラジオ番組で、パーソナリティとして出演している中西正男氏 (芸能記者) が、自ら担当するコーナーで芦名さんのことを取り上げていた。

「原作者は、何もない所から作品を作り上げている。登場人物しかり、場所や小物一つとってもこれらは、作者にとって全てかけがえのないものであり、それを脚本で省かれてしまう時の悲しさは、察するに余り有る」

この言葉を聞いて、私は改めて原作の大切さに気がついた。幸い読書が好きなので、今も折に触れて小説を手にしている。小説原作の映画で興味を持った場合は、原作を読み終えてからという手順を守っていきたいと思う。

が、しかし…

決意を述べたのにも関わらず、これから紹介する作品は、恐縮ながら前述の手順を守っていない。これには訳がある。

一つは、芦名さんの訃報に触れる前に映画を観たということ。そしてもう一つは、原作を読んでいる最中に一週間の期間限定で、地元の映画館にこの作品がやって来たことだ。

その作品の名は「正欲」

※多様性という言葉が溢れる昨今、この言葉に甘えていないか。

※誰にも共感される多様性だけが全てではない。誰にも知られたくない性癖が人々にはある筈etc.

こういった宣伝文句に興味を持ち始めた私は、書店で小説を手に取った。


文庫本の帯には映画化と書いてあったが、本を手にした頃は全国公開が終了していた時期だった。なので、少しズボラして本を放置していたのだが、前述の通り、地元の映画館にこの作品が遅れてやってくることになった。

私は本棚から「正欲」を引っ張り出し、慌てて本を読み始めたが、半分くらいしか読み終えることが出来ず、映画館へ行く日を迎えてしまった。原作を読んでいる最中に該当作品の映画を観るのは初めての経験だ。

しかし、結果的にこれが大正解だった。小説では登場人物の容姿がおぼろげにしか浮かんでこないが、映画内でこれがハッキリする。また、小説に描かれている主人公の家庭環境、大学生活、ユーチューブの漠然としていた描写がスクリーン越しに見ると、非常に解りやすかった。なので、映画に入っていき易かったのである。一方、映画を観た後に小説に戻ると、あのシーンのことだなという描写にうなずくことが何回もあった。ここで気がつく方もおられよう。

映画『正欲』は、原作をできるかぎり忠実に再現している作品ということ。

ただ、決定的に違う箇所がある。それは、小説の起承転結と映画のそれが違うというところ。なので、映画を先に観ると、ラストはどんでん返しになる。一方、小説を先に読んでいると、冒頭の件が映画のラストにやってくるので、事情がより鮮明になる。今回、原作と映画を同時進行で観るというトリッキーな状態で接した「正欲」は忘れられない作品となった。

ただ私は「正欲」の内容に関して、全てに共感した訳ではない。秩序を守る風潮を好む世の中を否定することは悪くはないと思うが、これが行き過ぎてしまうと最悪の結果を招くことになる
(皮肉なことに小説に描かれている2019年は、あの忌まわしい放火事件が発生した年でもある)

予断になるが、私は秘密にしている性癖がある。もちろん誰にも話したことがない性癖だ。もちろん、これからも誰1人に打ち明けることはないが、この先の人生において、犯罪を犯したり、死んでしまったらこの性癖が明らかになる筈だ。死んでしまった後のことは、どうにもならないので構わないが、問題は犯罪の方だ。

「正欲」の描写にも関連するが、世の中には疑いをかけられる危険性がはらんでいて、実は私も、昨年それを経験している。くしくも疑われたのは「盗撮」だった。その気がなくても紛らわしい行為をすると、大変なことになることを思い知らされたのである。当時、数人の警察官に取り囲まれた時は生きた心地がしなかった。結果、疑いは晴れたので開放してもらったのだが、しばらく落ち込んだし、当時のことは今でもトラウマになっている。

この件については、機会をみて当欄で発表したいと思っている。


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