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川西飛行艇のミッシング・リンク(2)

実験飛行艇UF-XSの開発目的は、波の高い外洋にも離着水が可能な飛行艇を実現するため、BLCの効果を実証することだった。すなわち、BLCによって離着水速度を限界まで引き下げる、いわゆるSTOL(Short Take Off and Landing)飛行艇の実現を図ったのである。
新明和工業のWEBサイトによると、航空再開の翌年、1953年には研究が始まっているようだ。

飛行艇の基礎設計をまとめる傍ら、新明和は実機開発に向けてのPR活動を行った。すると、まず関心を示したのは、海上自衛隊ではなく、アメリカ海軍だったようだ。
この経緯を新明和工業のWEBサイトから引用する。

そこで、政府からの発注を受けるために、飛行艇が対潜哨戒に最も有効であることについてPR活動を行ったところ、アメリカの海軍が当社の新型飛行艇計画に注目し、1959年に菊原をワシントンに招聘。菊原は、海軍首脳者と会談し、「日本の海上自衛隊から公式の要請があれば、技術と資材についてアメリカ海軍は全面的に援助する用意がある」との約束を取り付けることに成功します。
そして、菊原は「本開発に取り掛かる前に、実機で新技術の飛行実験をしたい。そのためにアメリカ海軍所有の飛行艇を1機供与してもらいたい」と申し出、承諾を得ます。

この記述によれば、1959年に菊原はワシントンに招聘されている。そして、海上自衛隊を介すれば、アメリカ海軍は全面的に協力する、との約束を取り付けているのである。

この後の話は、同社WEBサイトにあるとおりだ。UF-XSへの改造母機として、アメリカ海軍はグラマンUF-1アルバトロス飛行艇を日本に供与している。しかし、実際にはもう少し事情が複雑だった。

アメリカ海軍は約束どおりUF-1を供与しようとしたのだが、その時点で海軍には余剰のUF-1が存在しなかったのである。そこで海軍は、空軍の同型機SA-16をわざわざ海軍籍に移管したうえで、UF-1として日本へ供与したのである。
そのため、現存しているUF-XSの機内にある製造銘板には、UF-1ではなく、SA-16の型式名が刻まれている。

ここまでの話はすでに知られたことであるが、僕にはどうも腑に落ちない思いが残っていた。なぜアメリカ海軍は、こうも好意的に、かつ積極的にUF-XSを後押ししたのだろうか。
もちろん、同盟国である日本の防衛力向上や、新明和や菊原の飛行艇技術に期待したことは事実だろうが、それだけにしては唐突な感を受ける。戦時中の二式飛行艇から、BLCシステム搭載のUF-XSまで、ミッシング・リンクがあるように思われたのである。
しかし、最近になって、そのミッシング・リンクにたどり着くことができた。

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