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妻を大好きだと言うのが怖かった

このnoteは以下の講座の関連投稿です(注記:コルクラボの仲間達に読んでもらってフィードバックもらってここに修正・再投稿したものです)

数ヶ月前、この講座について、もっと広く、もっとたくさんの人に(最終的には本当に必要としている人に)この講座の意味や価値を伝えたいと思い、事業パートナーのさかちゃん・あさんた・妻のみおと4人で相談してたら、さかちゃんに言われた

「ぶんちゃんがみおさんのことが大好きだ!っていうことが伝わるブログを書いたらいいんだよ」

???はい???

そもそも自分は恋愛に興味がないし(セックスはめちゃ興味があるけど^^:言わんでええ)、恋愛講座って場違いで、でもプロデューサー的な黒子:場の接待係、で講座に参加する、みたいな立ち位置のつもりだった。

でも事業開発のためにトライアル講座を始めてみたら、さかちゃんや、あさんたから「みおさんとぶんちゃんの夫婦のあり方やパートナーシップの具体を生の声で受講生が聴けるのがいい」と言ってもらえて、なんだかメイン講師のみおのパートナーシップの「リアルを語る」配役で黒子ではなく当事者になっていった。

さかちゃんやあさんたにうまいことノセられて進んでる気もするけど、自分たちの若い頃の話やこれまでのお互いの関わりについて語ることで受講生の皆さんから価値を見出してもらえるのはありがたいし、さかちゃんの言語化能力と経験からくるわかりやすい「解説」のおかげで、あさんたからの信頼とリアルでまっすぐな反応や彼女自身の変化のおかげで、自分たちのパートナーシップの意味も価値も(講座を始めてから逆に)少しずつ理解ができて確信が深まっている状態。→いま・ここ。

で、さかちゃんの言う

「ぶんちゃんがみおさんのことが大好きだ!っていうことが伝わるブログを書いたらいいんだよ」

これに向き合って数週間(当時)

なかなか書けない。

と言うよりも書こうとする事自体がなんか「恥ずかしい」
この原稿も、なんども「進んでないっす」と4人の定例ミーティングで報告を繰り返した後、やっと成立した次第。。。

「なんで恥ずかしいの?」

と、みおに聞かれる。

自分でもよくわからない。

九州の恋愛とかに無縁のカタイ家庭で育ったから、とか言い訳を思いつくけど、結局よくわからない。話せるのに、書くのはなんか恥ずかしい。世代の問題か、個人の問題か、、、

書く本人が恥ずかしがってる内容を読まされる人の身になるとなんだか大変申し訳なく、すみませんって感じなのですが、、、と言うわけで、さかちゃんのせいなので許してね^^;


色々考えてわかったのは、さかちゃん曰く、僕は「強い人に見える」らしいんだけど、もともとの自分が強い人間なんじゃなくて、みおのおかげで時間をかけて「強く」(自由に)なってきた、ということ。みおがいなかったら、お前、実は何にもないじゃん!って自分が感じちゃうって部分(ネタバレ?馬脚をあらわす的な)。恥ずかしいというか、むしろ怖いのかも。。

これ4人で相談してる時に話したら、みおは泣き出した(涙腺かなーりゆるめな人です)。

「そんなことない。ぶんちゃんにはちゃんとオリジナルな中身があるよ」「ぶんちゃんはぶんちゃんだよ」と。

うん、そうだよね。それは頭ではわかってるんだけども、、、
それとはまた違う感覚が自分にはあるような気がしてて、、、


多分、自分はみおにめちゃくちゃ心理的・魂的?に依存してて、
自分がこの世に生きていられているのは、みおがいるからで、
(「グラウンディング」という言い方があるんだけど「この世で生きる意味を感じられていること、そんな自分を受け入れられること」みたいな意味で使ってる。この地上に根を生やしてるイメージ。)

何が今の自分にとっての「恐怖」かって、みおを失うことなのだよ、多分。

書いててなんで泣いてるのか自分でもわからないのだけど、泣きながら書いてます(自分も涙腺ゆるめな人でした。。。これもみおのがうつった感じ)


自分はずっと幸せが怖かった。
幸せになると、それを失うような気がして、
耐えられなくて若い頃は自殺願望が強くて酔うと危うかった。。。

幸せになると、誰かが何かがそれを理不尽に奪っていくような気がして、、、

なので、自分の想像を超える幸せや自分に平和な家庭やあったかい人間関係みたいなものが手に入りそうになると、すっと身を引いて、どこかお客さんなポジションで、いたい、みたいな癖があって。そんな25歳が、みおと出会って。

当時、西荻窪という、昼間からおじさんが立ち飲み屋で赤い顔してるような町で、自由に暮らす破天荒な酔っ払いだったみおの世界に引き込まれて、週末ごとに呑んだくれて、、、、

気づいたら結婚してて22年一緒にいて息子たちは中学生。

言語化できてなかったけど、自分が心の底では求めて欲してた平凡で偉大な「幸せ」(≒「家族」との日常)が手に入ってて。ちょっと驚く。

失うのが怖くて、お金のことと向き合うのも怖くて、20代の頃は「稼ぐ」ってことから、なんだか逃げ回ってた気もする。お金が幸せの象徴みたいに思えてたのかな?

子どもも感覚的には好きで欲しいのに、なんだか「人並みな幸せが手に入るはずもない」と、子作りしてもなかなかやってこない赤ちゃんの存在に、なぜだかちょっとホッとしたりして、、、でもあきらめた頃に、赤ちゃんやってきたね。

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アメリカにお金ないくせに留学することが決まって、借金しまくって必死に準備してる最中に妊娠がわかって。結婚してもう6年近く経ってた。珍道中を乗り越えてアメリカ渡って生活set upして、特にみおは英語できない運転できない出産初めて!な中で、必死で長男産んで(一緒に産んだ気分^^:)育てて、、、起きてる時はhappy boyなのに、睡眠に関しては繊細でぜんぜん寝つけない子ですぐ泣いて起きちゃうから、ノイローゼになりそうになりながら、二人掛かりで昼夜2交代制で面倒見て、、、彼が0歳の時は眠い中でずーーーーッと抱っこしてた記憶しかない^^;長男がアメリカで2歳になる前に川崎病という病気になって、アジア人に特有の病気だから、アメリカでは詳しい医者もいなくて、、、なんとか乗り越えて治ったけど、慣れない土地での彼の入院治療(医者との交渉)に疲れ切ってお金もなくなって3人で(次男がみおのお腹の中にいたから4人で)命からがら、日本に帰ってきて、すぐ次男が生まれて、、その後すぐリクルートに入って慣れないビジネスマン生活で、自分よりできる人たちに囲まれてプレッシャーで追い詰められて鬱病になりそうな手前でギリギリ耐えて、なんとかビジネス修行してたね。3年経って仕事が苦しくも楽しくなってきたころ、広島の旧友から病院の魅力的なジョブオファーもらって、でも世田谷にローン組んで一軒家を買って住み始めたばかりでタイミング悪いと思って断った。その話をみおにしたら「え、それぶんちゃんに合ってるんじゃない?広島に行ってもいいよ」と言ってくれたよね。で、思い切って転職して広島に引っ越して、すごく恵まれた職場環境においてもらって、やっと収入も生活も安定したかと思ったら、5年近く経って新しいことがしたくなって、、、みおは広島ですでに理想の暮らしを手に入れてたけど、俺は満たされきれなくて、、、今思うと「雇用されて働く」っていうスタイルが自分にあってなかったねえ。。。仕事のあてはそれほど無いくせに無理くり独立して東京方面に戻ってきて。。。思い出すと、当時、新しいことしたいのにできないジレンマで、どんどん元気が無くなっていく自分を見て、その時点で収入の目処がないのに、みおがため息つきながらも明るい声で「いいよ、東京戻ろう」って言ってくれたの、なんだか覚えてるよ。アメリカ留学するときも反対する奥さんって多いんだって。「(奥さんが留学OKしてくれる)お前がうらやましい」って複数の研究者の先輩たちに言われたもん。みおは「面白そう」ってノッてくれたね。リクルート入るときも広島の病院のオファーを受けるときも、俺よりもみおの方が先を読んで、俺にあった選択に光を当ててくれた気がしてる。

ああ、なんでこんなこと書いてるんだろう。
いつの間にか涙が落ち着いてる^^;


僕らは冒険してきた。小さな冒険だけど、お金もなくて経験もなくて、でも初めてのことに飛び込む蛮勇だけがあって。周りから心配されて反対されて。でも飛び込んできたね。

おかげさまで息子たちは、(変わってるけど^^;)面白い子達に育ってくれてる。一緒に遊んでもらえるありがたい幸せな父親になってます。あれ?また涙出てきた。

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(2歳・0歳当時→今は15歳・12歳)

小さい頃、割と家庭不和な状態で小学生だった自分は、普通の仲のいい、なんでも言い合えてるような親子関係や家族というものに憧れがあり、でも見たことがなくて、それがどんなものなのかわからなかった。

でもみおは信頼してるお母さんのもとで育ち、みおのお母さんの世界に触れていると自分もそこで育ったような気がして、そこから生き直したのだと思うよ。みおと出会って、再び「生まれて目覚め」直したんだろうな。みおみたいになりたいって若い頃いつも言ってたらしいね(すでに覚えてないけど^^;)それはそういう意味なんだろうなあ。


今の僕は、幸せが怖くないです。
お金のことも、将来のことも不安や日々の格闘はもちろんゼロにはならないけど、少なくとも自分が幸せになれる、幸せになっていいって信じてる。

そのためにどういうあり方で進むと良さそうなのか、どんな匂いを頼りに、どんな仲間を頼りにすればいいか、これまでの冒険からなんとなくわかってるから。

自分が今のような自分でいられるのは、やっぱりみおのおかげなんだと思うと、
ほらやっぱり俺の手の内さらけ出すことになって、恥ずかしい、という感覚は消えないのでした。あれ、でも怖くはない。。。

男性は女性との関わり方によってグラウンディングができるし、より変化・成長できるし自信を持つことができると思う。女性も、男性とそういう関係を持つことでより自由になって自分本来の才能や愛に気づけると思う(逆の関係もあり得ると思うし、パートナーとの関係性の話なのでジェンダーを超えると思う)。

自分の体験から、そう信じています。

僕が自由になったように、誰もが自由になれると思う。
「自由が広がるパートナーシップ」はありえると思う。

ふう。なんだか疲れた。
今回はこんな感じで終了です。


長くなりました🙇‍♂️最後まで読んでくれてありがとうございます。

(恥ずかしくて怖くて、noteにするのをビビってたときに、先に読んでくれて、たくさんのフィードバックと励ましをもらったコルクラボの大好きな仲間達にも心からの感謝とともに^_^)


そして探求は続く。

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まるでわたしがぶんちゃんに惚れてるみたいで不本意だ!逆でしょ?と、みおからクレームのついた写真を自己紹介がわりに載せておきます^_^

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