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縛られる勇気・縛られる自由【訪問看護ステーション開設17日目】

え、いやなんのはなし?って。自由と束縛と責任について。

訪問看護ステーション始めて、「緊急コールの電話を持つ」ということが日常になりました。24時間。そんなお話し^^。ディープなSMの話でも訪問看護ステーションの厨房で美味しいチャーシュー作る話でもなかった^^;(それはそれで今度やろう)


僕は今まで自由って、好きな時に好きなところに遊びに行けることだと思ってました。その時間とお金と身分の自由があること。訪問看護ステーションを開設するまでのこの5年、いろんなお仕事に恵まれて、確かにそれに近い自由を謳歌してきました。

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数年前に仕事でいった北海道の洞爺湖にて。人生が変わる体験をしました^^。


地元の公立中学校のバスケ部の外部コーチ業も、めっちゃ参加率高く中坊たちから「あの人、仕事してんの?」状態で暇な地域のおじさん枠でエンジョイしてました。

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これはミニバス時代^^;審判は頑張っても頑張っても上手くならない。。。


でも、幸せな日々の中、満たされつつも、それまでの人生で足りなかったことを取り戻しつつも、どこかで


どんな自由も、いつか飽きるのだ


ということを薄々、感じ始めていました。


そしてコロナになりました。父がアルツハイマー型認知症になりどんどん症状が進行していきました。仕事に対する感覚も、オンライン会議のおかげもあり、リアルには職住近接で愛する地元、住んでいるところに貢献する事業への関心が高まっていきました。訪問看護と仲間と出会いました。


結果、24時間いつ鳴ってもおかしくない電話とともに生きることになりました。プレッシャーはあります。これまでほぼ自分と家族のことしか考えてこなかった生活で、仕事時間が終われば仕事のことは完全にオフで、好きなことやっていれば良かった生活から。。。

どんな時も、呼ばれてもおかしくない立場へ。最優先は自分のことや家族のことよりも利用者さんとご家族の安全と安心、ともに在宅ケアの環境を作っている先輩事業者さんたちとのコミュニケーションや関係性に変わりました。大好きなお酒も100日禁酒継続中ですし、その後もシフトに合わせて飲めない日が必ずあるでしょう。


ある意味で身も心も縛られています。責任も重いです。


でも、苦痛じゃないのです。嫌じゃないのです。(こころが)疲れないのです。うんざりしていないのです。

もちろん始めたばかりだからでしょう。もちろんまだ利用者さんが少ないので電話が夜中に鳴る確率も低いからでしょう。でも日々少しずつ心の準備ができて、少しずつ当たり前の日常になって、少しずつ本物の訪問看護師さんになっていっている気がするのでした。


一見、縛られて自由度が下がっているように見えて、心がこれまでの人生で最も自由、という不思議な日常を生きています。

これが「生き甲斐」ということなんでしょうか。これが天職、ということなんでしょうか(新卒で看護師になり仕事になれた頃に「看護師ってきっと天職だなあ」と感じてたのに、長く現場を離れた意味がなんとなく少しずつわかってきている今日この頃)。アラフィフでそういう幸せな日常を生きていることに心からの感謝が湧いて来ます。


自問自答しながら、いろんなことに縛られる勇気を持ち、縛られることで得られる(心の)自由もある、という新しい日常を経験しながら、本日も土日関係なく鳴る可能性のある緊急コールの電話を持つ生活は続くのでした^^。


そして探求はつづく。

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友人のかけさんことアーチストの遠藤智美さんに描いてもらった青龍と日光浴しながら^^。光をつかみ、光とともに。僕の名前にも竜(隆)がいます^^。




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