見出し画像

人は死ぬ。生きているうちに何を体感したいのか→【人生の本質をデザインする対話セッション】をなぜ自分が思いつき、実現したいのか

【人生の本質をデザインする対話セッション】について、受講者の皆さんとともに体験したいことについて昨日は書いた

この講座(対話セッション)の広報note、トータル10日続けます^^。必要な人に届くといいな^^。読んでくださった皆さんの、この講座と相性良さそうな(人生のタイミングが合いそうな)友人知人さんへのシェア歓迎です。

きっかけはこの本。


著者がスタンフォード大学のdスクール(デザインスクール)で「人生の本質をデザインする授業」というのを担当していた、というエピソードから。その授業の中身のディテールを知らなくても、このタイトルにビビッと来たのでした。

新規事業開発で企業さんとコラボしながらデザイン思考を日々実践し、自身でも新しいビジネスを作り出し(企業顧問としての「医療ビジネスアドバイザー」という働き方や独自の恋愛支援講座など)、子育てをし(中学生の男子2名)、パートナーシップを実践し(妻との結婚歴21年目)、自分にとっての理想的な暮らし(少なく働いて多く稼ぐ、家族との時間を楽しむ、本当にやりたいことだけをやる、地域や社会に貢献する)を実践している(しかも昔はできていなかった)と日々感じている自分にしかできないことがある、と感じ、【人生の本質をデザインする対話セッション(講座)】の具体的なイメージや参加者の皆さんとの会話の中身のイメージが、勝手にむくむくと湧いたのでした。

この講座の本質的な動機として、根底にずっと抱えてきた想いがあります。

それはタイトルにあるように

人は死ぬ

ということ。


自分は新卒看護師で、人生最初のお給料をもらってする仕事は臨床現場での看護師(当時は看護士)でした。

担当した患者さんがたくさん亡くなりました。心臓・呼吸器外科だったので、先輩によると、普通オペする病棟ではあまり患者さんは亡くならないそうですが、呼吸器のガンやCOPD(当時は肺気腫)の患者さん、心臓のオペ後の患者さんなど、フルタイム勤務していた2年間の間に多分10人以上の担当患者さんがオペの合併症や突然の急変やがんの末期で亡くなっていくのを担当看護師として関わりました。

当時の僕は人が死ぬ、という日常に耐えきれなくて、逃げ場所を求め、夜学の映画学校に通っていました(映画技術美学講座→映画美学校→NPO法人 映画美学校へ)。昼間に看護師をやって、夜学校に行き、昼間映画学校の課題や共同制作の撮影に参加し、夜、夜勤で看護師として働いていました。

虚構と現実を行ったり来たりする毎日。

映画学校の学生さんは、すぐ「拳銃とレイプと死」を作品世界に持ち出します(きっと20年たったいまでもあるあるなのでは?^^)。その安易さに違和感を持ちつつ、でも虚構の、フィクションの世界を超えた「あっさりとした死」や「想定外の突然の死」(助かるために生きるために受けたオペで亡くなる、みたいな)が確かに存在することを看護師の日常で体感しながら、虚構の表面の芸術の世界にも、関わっていたのでした。


フィクション世界を作る営みと、現実世界の死(本来は死なないための医療の世界)が日常の営みと、その双方を同じタイミングで25歳、26歳の時に体験して、強烈に感じたのは

このことを誰かに伝えたい。伝えなければ!

という強い感覚でした。
ちゃんと伝えないと、みんながその瞬間(死ぬ瞬間)にきっと後悔するから。そんな想いだったのでしょう。


それはある時、突然、本当にあっさりと、やってくるからです。

そして何も(お金もお宝も、業績も資産も、長年かけた人間関係も、コンプレックスや恨み辛みさえも^^;)何も持っていけない(あっち側に)


一度は表現者の道を模索しました。

様々な出会いと別れがあり、映画作品や芸術世界で表現するのではなく、個人の生き方として別の表現をなんとなく選択し今に至ります。それは見ようによっては挫折かもしれないし打算かもしれないし価値観の変化なのかもしれない。

でもその後もずっとその周辺(表現して生きること・人の死について思うこと)をうろうろしてきたのでした。(そういえば最近、ご縁と身近な友人のおかげで新型コロナのおかげで映画業界の皆さんのコロナ対策の勉強会に関われているのですが、これもまた人生の不思議です^^。感謝)

研究者として:(医療業界のことや医学知識・予防知識を、何を使ってどう「伝える」か?についての研究:ヘルスコミュニケーション)

ビジネスマンとして:(株)リクルートにて新規事業開発、小会社統括、経営企画人材として

病院運営サイドとして:病院の事務方として、臨床家を支え、地域の住民と関わり、未来を構想して先を見通して、一人一人の感情に向き合う

企業と医療、企業とアカデミア、企業と個人をつなぐ「医療ビジネスアドバイザー/お引き合わせプロフェッショナル」として:大手企業含め複数の企業さんの「医療・健康・介護」関連の新規事業開発を外部顧問として手伝う日々

たぶんずっと根底のテーマは変わらないのでしょう。

それが、「人生の本質をデザインする」というフレーズでバチバチっと放電して一つの具体に昇華したような、そんな感じがしているのでした。


人は死ぬ


これは人間や生命世界を取り巻く、本質的な事実です。

Withコロナ時代となり、第二次世界大戦後の日本では一番「死」について考える機会のある時代を我々は生きています。

じいちゃんばあちゃん世代から教え聞かされた戦争時代の話を思い出しながら、「大勢の人が一度に亡くなる」可能性について肌で感じられる時代を生きている、という言い方もできるかもしれません。

だからこそ、【人生の本質をデザインする】時間が、自分の一生の中で一番大切なタイミングを生きているという実感があるのです。これまでの人生はこのタイミングのためにあった、とすら思います。

それを分かち合い・シェアすることが自分の喜びであり社会貢献の一つの表現です。対話によって、残りの人生の時間を色濃く、濃密にするデザインを一緒に体験していきましょう。

受講料は自身と参加者のお互いの覚悟の表現。本気の人と場を共にしたい、共に創りたいです。

1期生を募集しています。残席は3。必要な人に届け〜^^。


そして探求はつづく。

画像1

上司であり「戦友」だった前職の病院の院長、栗山先生(故人)。偉大な研究者であり、臨床家であり、教育者(論文指導者)であり、歴史研究者(探訪者)でもある方でした。訃報を事後に知り、とてもショックでした。

心からのご冥福をお祈り申し上げるとともに、先生に教えてもらった漫画「風雲児たち」を読むたびに、僕の知的興奮と喜びは先生と共にあることをお伝えしたいです^^。今回の講座でも課題図書としてその世界に受講生の皆さんとダイブしたいとおもいます。

偉大な思想、偉大な人格は永遠に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?