過去の日記 ジョブズみたいには思わないけれど

日記がしばらく途絶えて復活したと思ったら何やらセンチメンタルになっている。知人の死は寂しいものである。

2016.10.20

とあるキッカケで知り合った仕事関係の方が亡くなった。突然の逝去。まだ41歳と若いのに……とショックを隠しきれない。この方のお陰で、自分の中での大きな企画が実現し、終わる頃のタイミングでお礼の連絡をしようと思っていたのにその前にいなくなるだなんて。午前中は葬式に出る。こんなことになってしまったがお礼はしなければならない。

少しセンチメンタルになったので少年時代のことを思い出した。アルバイトをしていたコンビニに幼馴染の父親がお客として来た。すぐ近くだというのに働いていたことを知らなかったらしく、随分と久しぶりに会ったこともあって嬉しい気持ちになった。その2週間後である。訃報が届いた。その方が亡くなったという。睡眠時無呼吸症候群が死因だそうだ。このときもショックだった。斎場に行き挨拶を済ませて、身体を拝んだ。冷たかった。つい最近、会ったばかりの人がただの物になっていた。特別親しかったというわけではないから悲しいとは違うけれども荒涼とした砂漠を見たようななんとも言えない気持ちになった。

人はいつでも死ぬ。自分だけは違うと思っててもきっと突然にそのときはやってくるんだろう。スティーブ・ジョブズが「明日死ぬとしたら……」とか言っているけれども、自分が死ぬような目に合わない限り実感を持ってそう思える人がどれだけいるだろう。少なくとも自分は思えない。ただ死が割とすぐ近くに転がっていることは分かる。幼馴染の父親の件も含めて学生時代は近親者の訃報が多かったのでよりそう感じる。だからと言って常に死を意識できるわけもなく(そんなことしていたらむしろ不健全だろう)、日常をもうちょっと楽しもうと思うだけだ。目の前が砂漠でも楽しむことはきっとできるはずだから。

と、センチメンタルな気分はここで終いにして、忙しくて急死は嫌なので健康診断行ってこよう。不養生はよくない。

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