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レティシア書房店長日誌

町田康「入門山頭火」
 
 
町田康はパンク系ロッカーとして活躍していた人です。その後、作家として活躍し、「きれぎれ」で芥川賞を受賞、第一線の作家として小説やエッセイを発表してきました。
 今回彼は、自由排律歌人として有名な山頭火に挑戦しました。俳句の専門家ではない町田が、山頭火を論じるのは面白い!と思って読んでみたのですが、極めて刺激的な一冊でした。(新刊/春陽堂2200円)


 山頭火といえば「分け入っても分け入っても青い山」という有名な句があり、広く知られています。町田は、この俳句に注目します。そして、リズム的には「分け入っても青い山」と一度の方がいいはずと考えます。
「ところが、分け入っても分け入っても青い山、と二度、分け入っても、を繰り返しているのは、さほどに分け入ってる感があったからだろう。なぜそんなに分け入らねばならなかったのか。そのときいったいなにがあったのか。『大正15年4月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た』と前書きにある。その『解くすべもない惑ひ』とは、はっきり言ってなんだったのか。」
 著者はその答えを見つけるために、彼の跡を追いかけます。本書は山頭火の作品を並べて解説したものではありません。ひたすら著者が、彼に付きまとった「惑ひ」とは何かを探すために書かれた本です。
 山頭火は明治15年、裕福な家に生まれます。俳句を作り始めたのは中学生の時。早稲田大学を中退、山口の実家を手伝い結婚もするものの、実家は破産。その後、熊本で古本屋を始めたり、東京で様々な仕事につくが続かず、やがて離婚。禅門に入り、出家得度して観音堂の堂守となりますが、行乞流転の旅へと出ます。放浪の歌人として有名で、TVドラマにもなっています。
 山頭火の母親は自殺し、女に入れあげた父は悲惨な最期を遂げ、弟は首をつって自殺。それを見た祖母もまた絶望にうちに死にます。そして、彼自身自殺未遂を起こしています。お金がないことに苦しめられ、その苦しみから逃げるために酒を飲む。そんな彼の人生を追いかけながら、彼にとっての行乞流転の旅の本質を著者は問い続けます。
「平成の初め頃、乞食になろうと思ったことがある。その頃、俺は稼ぐ能がなく、女が働いて俺は日中ブラブラしていた。当然、諍いになって、嫌になって俺は家を出た。その少し前から俺は乞食になることを考えていた。その頃、俺は山頭火のことをなにも知らなかったが、やはり真実一路、本当に生きるためには、本当を生きるためには乞食になるしかないのではないか、と思いつめていたのである。」
「本当を生きるためには乞食になる」のは理解が難しい文章ですが、ここから著者は山頭火へと近づいていったのではないのでしょうか。山頭火が持っていた「どうしようもなさ」を、著者は「人間のどうしようもなさ、を見て戦慄する。なぜならそれが間違いなく俺の中にあるものであるからだ。」と書いています。
 著者の山頭火を巡る長い長い旅を通して、著者が思う「どうしようもなさ」を、あ、私にもある!と本書の最後で思うのです。関西出身の著者らしく、随所に関西弁で書かれている文章が顔を出すので、関西人には親しみやすく読みやすいかも.......。

●レティシア書房ギャラリー案内
1/24(水)〜2/4(日) 「地下街への招待パネル展」
2/7(水)〜2/18(日) 「まるぞう工房」(陶芸)
2/28(水)〜3/10(日) 水口日和個展(植物画)
3/13(水)〜2/24(日)北岡広子銅版画展


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