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レティシア書房店長日誌

池内紀「亡き人へのレクイエム」

 「あとがき」で著者は、本書「亡き人へのレクイエム」(古書2200円)は、27篇、28人を「ペンによる肖像画の試みである。」と書いています。ここで取り上げたのは、親しく交わりを持った人、一二度しか会ったことはないけれど強い印象を受けた人、ただ書かれたもので知って著作を追いかけた人、などですが、共通点は「徒党を組むのをいさぎよしとしなかった人たち」への追悼文です。

 作家、学者、俳優など仕事はいろいろですが、著者のペンの力でものの見事にその人物像を描いています。こういう本を読む時、私は順番にではなく、興味のある人から読んでいきます。
「女優高峰秀子は5歳のときに子役でデビューして、1951年にはすでに実働22年をかぞえていた。好むと好まざるとにかかわらずどっさりと人に会い、血縁なり何なりを言い立ててせびりにくる大人たちを、あの大きな瞳でじっと見ていた。映画スターがかげろうのような幻であることを骨身にしみて承知していた。絶えず第一線を守りながら、口当たりのいいはやし言葉にも、時代のしり馬にも乗らなかった。」見事に大女優の本質を示した文章だと思います。
 赤瀬川原平、野尻抱影、野呂邦暢、須賀敦子、澁澤龍彦、岩本素白など、読んだことのある作家がいるかと思えば、俳優の児玉清、歌舞伎の澤村宗十郎、坂東三津五郎もいるのです。そして、今まで読んだことのない人も、著者が書くぐらいだから、きっと面白いだろうとページを繰っていきました。
 ロシア語の翻訳家からエッセイストとして活躍した米原万里を、「笑いの持つ機能と効能を人一倍よく知っていた。そもそもそれがなくては外国人と中身にある話など、とうていできっこないのである。ウィットをもつということは、とりもなおさず人間が犬でもサルでも虫でもないしるし。」と、10歳年下の彼女との対談を思い出し、こんな風に締めくくっています。
「とびきり自分に正直で勇気あるこの女性は、あきらかにあるべき未来の女性を先どりしていた。」
 米原の「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」を読んだとき、この翻訳家の並々ならぬ才能に驚きましたが、池内は早くから、この人の力を見抜いていたのですね。
 微笑ましいものを一つ。著者がほろ酔い気分で山手線に乗った時のこと。ふと見ると、俳優の小沢昭一が目の前にいました。やあやあ、と握手して小沢は隣に腰掛けます。小沢は一仕事終えた後みたいで、ご機嫌の様子。そして、「気がつくと最初の握手のまま、ずっと手を握り合っていた。老境にも、タダならぬ仲があるものだ。」おっさん二人が、山手線の電車で手を繋いだままで座っている様を想像するだけで可笑しみがこみ上げます。
 著者の達者な筆さばきに誘われるように、どこからでも読み始められます。きっとそれぞれの人に対して、新しい素敵なイメージが出来ます。
 
レティシア書房のお知らせ 8月21日から29日まで休業いたします。


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