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レティシア書房店長日誌

小林信彦「日本橋バビロン」

 かつては大賑わいを見せた盛り場だったのだが、震災と戦災で賑わいを失っていった日本橋界隈。その地で享保8年創業し、明治、大正、昭和と九代続いた老舗和菓子店「立花屋」の10代目を継ぐことなく、作家となったのが小林信彦です。本作「日本橋バビロン」(古書700円)は、一軒の商家の栄華と没落を、変わってゆく街の歴史とともに描いた物語です。

 小林信彦は、私の大好きな作家です。小説、エッセイ、映画・芸能評論など多彩なジャンルに秀作があります。また、テレビ創世記の現場に参加して、伝説の番組の制作の一端を担っていました。著作を読んでいて安心できるのは、いつもどこかに醒めた視線があり、冷静に対象を見つめているところです。旧友とも言えた渥美清を描いた「おかしな男 渥美清」にしても
「天才伝説 横山やすし」にしても、のめり込むことなく、ノスタルジーとは無縁の本に仕上げていました。だから、再読に耐えるのかもしれません。
 本書の執筆に際して、著者は「実はこれが目的の一つなのだが、江戸時代に<両国・浅草>と称された二つの盛り場の前者がなぜ消滅したのかについて、資料を探りながら明らかにしてみたいと考えている。一つの盛り場が<消える>というのは、どういうことだろうか?」と書いています。
 彼の実家の栄華と没落が、街のそれがシンクロするように進行していきます。前半は彼の祖父、父の時代が語られていきます。才覚のあった祖父の時代から、焼け野原になった戦争を経て店を畳んだ父の時代。そして、戦争を経験し、東京オリンピック(1964年開催の方です)で街が破壊されてゆくのを目の当たりにして育った著者の時代まで、簡潔な文章で綴られていきます。
 小林少年は戦争をどうみていたのだろうか? 
「昭和19年(1944年)1月1日の朝日新聞には、昭和天皇の軍服姿の写真と、<敵撃滅の一途>という題の東條英機首相の文章、そして<出血作戦には成功 転ぜよ総攻撃>という文字がある。 しかし、国民学校5年生、春には6年生になる私は、<出血作戦>なんて作戦はないだろうが、と思った。際限なく負けつづけるーそれだけである。それ以上のことを考えるのは、おそろしい。<一路必勝邁進せん>などという<社説>にはうんざりするだけだった。」子供ながら「際限なく負け続ける それだけである。」とズバリ見切っていたのです。
 著者の的確な批評精神は、例えばこんなところにもよく表れています。
「小泉首相を評して、ナルシシズムとサディズムのかたまりという批判がある。それはその通りなのだが、要するに<幼児性>の発露ではないか。鏡を眺めて、おのれの姿にウットリする。ホメられると喜ぶが、少しでもケナされると、ネチネチ恨む。弱い者を徹底的にいじめ抜く。これが幼児性。」(週刊文春連載「本音を申せば」より)
 著者は1932年生まれ。今年92歳です。お元気だといいのですが........。

●レティシア書房ギャラリー案内
1/24(水)〜2/4(日) 「地下街への招待パネル展」
2/7(水)〜2/18(日) 「まるぞう工房」(陶芸)
2/28(水)〜3/10(日) 水口日和個展(植物画)
3/13(水)〜3/24(日)北岡広子銅版画展


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