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レティシア書房店長日誌

石川美子「山と言葉のあいだ」

 新しい出版社ベルリブロから出た石川美子著「山と言葉のあいだ」(新刊2860円)は、文章を読むという読書の至福を味わえる静謐で透明感のある一冊です。

 著者はロラン・バルト等の翻訳家として知られているフランス文学者で、山歩き、山登りが趣味です。本書は、彼女が愛してやまないアルプスの山々のことを中心に書かれた随筆集です。といっても、高い山を制覇することを描いたものではありません。最終章「静かな背中の山の本」の最後、つまり本文の最後にこう書かれています。
「山を静かに愛するひとが書いた文章を読むことは、そのひとの背中を見ながら黙っていっしょに山道を歩いてあるいてゆくことかもしれない。本とは静かな背中なのだろう。」
 モンブランに近いシャモニーの街を、グルノーブルの山奥にひっそりと建つ修道院を、セザンヌが愛した故郷サント=ヴィクトワール山を、著者はゆっくりと歩いていきます。私たちはその後ろ姿を追いかけるようにページをめくっていきます。山々を通り抜けてゆく風の音や、激しく流れる水の音、静かに降ってくる雪の冷たさが立ち上ってきます。梨木香歩が自然界を描いたエッセイや、須賀敦子が歩いたイタリアの古い街の随筆、あるいは、著者自身が本書のなかで書いている若菜晃子の旅のエッセイ集、等々が好きな方なら気に入られると思います。
 「1980年に亡くなった批評家ロラン・バルトは、南フランスのアドゥール川沿いの風景を愛していた。 (中略) 川にそって歩くというゆるやかさが好きだったようである。それは『歩くという経験、ゆっくりとリズムをきざむように、風景が沁み入ってくるという古来の経験』なのだとバルトはエッセー『南西部の光』のなかで書いている。」バルトの言葉を思い出す著者が紡ぎ出す言葉を、私たちもまた味わいながら、一緒にアルプスの山々を歩いていくような気分になってきます。
 著者は初めて命がけでロッククライミングに挑戦した時の気分をこんな風に描いています。「ふと思った。わたしは今までこの手でいろいろなものをつかんできた。ペン、お箸、スーパーのレジ袋………。いま、両手につかんでいるのは、岩というよりはむしろ自分の命なのではないか。そう思った途端に、不思議な感覚がこみあげてきた。緊張感と快感をともなった生の実感とでもいうのだろうか。この瞬間に、わたしはクライミングに魅了された。」
とても素敵な文章だと思いました。


●レティシア書房ギャラリー案内
2/7(水)〜2/18(日) 「まるぞう工房」(陶芸)
2/28(水)〜3/10(日) 水口日和個展(植物画)
3/13(水)〜3/24(日)北岡広子銅版画展


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