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レティシア書房店長日記

貴志祐介「梅雨物語」(角川書店/古書1100円)
 
 
めちゃくちゃ怖かった「黒い家」以来ですが、この著者の中編小説3作を収めた「梅雨物語」を読みました。なぜ読もうと思ったのかというと、収録されている二作目のタイトルが、永井荷風の「濹東綺譚」と同じ題名の「ぼくとう奇譚」だったから。読んでみると、永井荷風も登場するのですが、いやぁ、これが一番気持ち悪く怖い物語でした。

 「帝都じゃあ、あの不祥事件ですよ。岡田首相は狙われるし、高橋大蔵大臣は殺られるしで、こりゃあもう、前代未聞の非常事態じゃないですか?」という昭和初期。黒い蝶に誘われて奇妙な花魁と遊ぶ夢を見る男。その夢が徐々に陰惨さを帯びていき、男の命が危険な状況へとなってゆくという物語。これ以上のネタばらしはできませんが、虫嫌いの人にはお勧めできません。

 第1作目の「皐月闇」は、短歌の面白さと奥深さがよくわかる秀逸な作品でした。もちろん、背後には残忍な事件も含まれてはいるのですが……。
教師を引退した作田慮男の元に、突然訪ねてきたかつての俳句の教え子が、自殺した兄の俳句集を持ち込んできます。そこに並んでいる作品を、作田が解説してゆくというのがストーリーですが、俳句門外漢の私にも、その世界がよく判りました。後半、俳句の言葉をめぐっての二人の応酬がサスペンスを盛り上げていきます。
 「先生は、すべての俳句は、この惑星の上で過ごす短い人生の断片に対する、限りない愛惜の情から生まれたものだとおっしゃいました。だからこそ、ほんの小さな情景や季節の描写が、いかに貴重でかけがえのない瞬間かを思い起こさせて、深く心を打つんだと」俳句の本質を表した台詞です。

 3作目「くさびら」は、妻と子供がある日、家からいなくなって一人になったデザイナー杉平進也が体験する怪奇現象を描いています。リング状の模様を描いて、キノコが家を埋め尽くしていきます。しかし、触ろうとすると消えてしまいます。その現象に何らかの意思を感じた彼は、呪法の儀式を行うのですが.....。色とりどりの様々なキノコが家中を取り巻いてゆく描写が恐ろしいのですが、最後にその意図がわかった時に、素敵な感動が訪れます。
「生者と死者の本当の別れは、生者が死者を忘れることではない。死者が生者を忘れるのだ。」亡くなった二人との別れが切ない一編。

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