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レティシア書房店長日誌

イリナ・グレゴリ「優しい地獄」
 
 はじめに著者のことを紹介します。1984年社会主義政権下のルーマニアに生まれます。民話の世界そのもののような祖父母の住む村で暮らし、高校生のときにルーマニア語版の川端康成の「雪国」の感動したり、ルーマニアで公演中の中村勘三郎の歌舞伎などに魅了され、2006年日本に留学しました。翌年、獅子舞の調査を専門分野としてスタートさせ、一時帰国後、2009年に国費留学生として再来日し、弘前大学大学院修士課程修了後、東京大学大学院博士課程に入学。現在は人類学者として弘前に在住で、主な研究テーマは北東北の獅子舞、ジェンダーに関する映像人類学的研究。
 本書は、子ども時代から日本に住みここで過ごす時間を、順序立てることなく、行ったり来たりしながら展開していきます。(新刊1980円)

 子ども時代は田舎で祖父祖母と暮らし、森や農地での生活が原風景となって、どこにいてもそこに心が帰ってゆくことをノスタルジーを交えて書いています。社会主義国だった頃のルーマニア、その後資本主義に移行してからの混乱の姿、若き日映画監督を志した青春時代のこと、そして日本への留学、娘二人との日々の暮らしと、題材は多岐にわたっていきます。
 3歳でチェルノブイリ事故で被爆し、その後、被曝が原因で2回の大きな手術を受けたことも書かれています。5歳で社会主義に固執したチャウシェスク政権が倒れると、暗かった母国は新しい国家へと動き出します。社会主義国家の元で育った子供時代をこんな風に総括しています。
 「社会主義とは、宗教とアートと尊厳を社会から抜き取ったとき、人間の身体がどうやって生きていくのか、という実験だったとしか思えない。あの中で生まれた、私みたいなただの子供の身体が何を感じながら育っていったのか。それは、言葉と身体の感覚を失う毎日だった。高校生になったある日、急に話せなくなったことがあった。一生をかけてその言葉と身体を取り戻すことがこれからの私の目標だ。」
 ところで、本書のタイトルですが、彼女の五歳になる娘の発言でした。
「五歳の娘は寝る前にダンテ『神曲』の地獄の話を聞いてこう言った。『でも、今は優しい地獄もある。好きなものを買えるし好きなものも食べられる』彼女が資本主義の皮肉を五歳という年齢で口にしたことにびっくりした。それは確かに『優しい地獄』と呼べるかもしれない。彼女の言葉が私の中で何日も響いた。」
 読み終わってみて、これ翻訳じゃなかったんだ!ということに気づきました。岸本佐知子が「焚き火のように効く本」と評していましたが、まさに焚火のように文章が身体に沁み入ってくるようです。めったやたらと付箋を貼ってしまいました。かつて、映画監督を目指し、いま映像人類学を専門にしている著者の文体は、色彩豊かでシーンが鮮明に切り替わり、リズミカルに自由自在に変化していきます。とっつきにくい部分もあるのですが、その文体の持つ美しさ、悲しさ、切なさに引き込まれました。

●レティシア書房ギャラリー案内
8/21(水)〜9/1(日) 「わたしの好きな色」やまなかさおり絵本展
9/4(水)〜9/15(日) 中村ちとせ 銅版画展
9/18(水)〜9/29(日) 飯沢耕太郎「トリロジー冬/夏/春」刊行記念展

⭐️入荷ご案内
子鹿&紫都香「キッチンドランカーの本2」(660円)
些末事研究vol.9-結婚とは何だろうか」(700円)
夕暮宇宙船「小さき者たちへ」(1100円)
「超個人的時間紀行」(1650円)
柏原萌&村田菜穂「存在している 書肆室編」(1430円)
稲垣えみ子&大原扁理「シン・ファイヤー」(2200円)
くぼやまさとる「ジマンネの木」(1980円)
おしどり浴場組合「銭湯生活no.3」(1100円)
岡真理・小山哲・藤原辰史「パレスチナのこと」(1980円)
GAZETTE4「ひとり」(誠光社/特典付き)1980円
スズキナオ「家から5分の旅館に泊まる」(サイン入り)2090円
向坂くじら「犬ではないと言われた犬」(1760円)
「京都町中中華倶楽部 壬生ダンジョン編」(825円)
坂口恭平「その日暮らし」(ステッカー付き/ 1760円)
「てくり33号ー奏の街にて」(770円)
「アルテリ18号」(1320円)
「オフショア4号」(1980円)
「うみかじ9号」(フリーペーパー)


 

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