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レティシア書房店長日誌

小川洋子✖️佐伯一麦「川端康成の話をしようじゃないか」(新刊/
田畑書店/1980円)

二人の小説家による川端康成をめぐる対談が、一冊の本になりました。その中で、川端を表現する言葉として最も多く登場したのは、「グロテスク」という言葉でした。私は納得しました。
「『古都』はお父さんがちょっと異様な人なんです。傾きかけた老舗の着物問屋のご主人なんですけれど、なじみの芸者に歯を見せろって言って、その芸者の前で舌を出して吸わせるとか、本当にもう気色悪いお父さんなんです。ああいう気色悪さを書かせたら、もう天下一品ですね。」と、小川が言えば、佐伯が「川端は日本美を描いたというところもあるけれども、結局のところグロテスクだよね」と応じます。しかも名作としてよく読まれている「古都」は睡眠薬の副作用で、何を書いたのかさっぱり覚えていないと、川端自身が告白しているとか。
 気色悪いと言えば、川端の短い作品を集めた「掌の小説」(古書700円)に収録されている「屋上に金魚」にはこんな描写があります。
「いつの間にどこから来たのか。彼女の母が水槽の横に黒ずんだ顔で立っていた。獅子頭の金魚を口一ぱいに頬張っていた。大きい尾が舌のように口からべろりと下がっていた。娘を見ても素知らん顔で、金魚をむしゃむしゃ食っていた。『ああ、お父さん』と叫びながら、娘は母を打った。母は化粧煉瓦の上にひっくり返って、金魚を銜えたまま死んだ。」
 小川と佐伯は、今まであまり論じてこられなかったような視点で、この大作家について語り合います。でも、その裏側の顔を引きずり出して既成の評価を壊すというようなことではなく、大いなるリスペクトを持って肉迫してゆくのです。
 川端の小説に常に「死」の気配を感じるのは、関東大震災で見た多くの死体、あるいは原爆投下後の広島と長崎で焼死体を浴びるように見たからなのか。あるいは若き日、彼の婚約者が預けらていた寺の住職に犯されて悲惨な結末を迎えた経験からなのか。様々な興味深い言葉が飛び交います。小川は「小説を読む行為は、他者と語り合うことでいっそう深まる。互いの間に本さえあれば、いくらでも話ができる。たとえ相手の考えが自分と違っていたとしても、がっかりしたり、ましてや腹が立ったりしない。むしろその違いを楽しめる。」とあとがきに書いています。
 川端文学をテーマに縦横無尽に語り合った愛すべき幸福な一冊です。

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