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秤は天地のいずこにありや?



 中世ヨーロッパにおいて、裁判権というものは世俗権力と教会とで奪い合いになることが多かった。

 罰金がとれるからである。




 1248年の春、シャンパーニュ伯領の都市トロワ近辺の休耕地で、行商人ニコラの死体が発見された。上半身だけの姿だった。

 伯より権限を委任された法務代官アルベールは、ふかい傷跡の残る顔を凶悪に歪ませ、それを見下ろしている。

「何だってんだ、これは」

 吐き捨てた言葉の意味は、疑問と嘆きだ。なぜ上半身だけなのか。なぜ自分の友人がこんな所で死んでいるのか。

 つい先日も、昔馴染みの四人で酒を飲んだばかりだった。ニコラはそこで、はにかみながら自分の結婚を報告した。他の三人はやっかみ混じりにエールをぶっかけて、それを祝福してやった。久々に傷の痛みを忘れられる夜だったというのに。

「こんなのってあるかよ……」

「全く。俗世は試練ばかりですね」

 アルベールは振り返る。嫌みったらしい笑みを貼り付けた美男の司祭が、いつの間にかそこにいた。名はシリル。彼もエールをぶっかけてやった内のひとりである。

「何でお前がここにいる」

「友の半身があると聞いたのですよ。独身不良代官殿」

「うるせえな。だからお前の信者をひとり寄越せっつってるだろ」

「だめですよ。彼女たちは私が神の御許へつれていくのです」

「けっ。天の門はベッドの上か?」

 シリルは鼻を鳴らし、隣に立った。ただじっと、ニコラの死体を見つめている。彼なりの祈りだ。この男はアルベールの傍では決して十字を切らない。

「下手人は?」

「今、トロワの自警団に探させている。それらしい足跡が残ってたからな。すぐに捕まるさ」

「そうですか」

「捕まえたら、市の法廷で絞首刑にしてやる。決闘裁判を申し出たら俺が相手だ。いずれにせよ、ただじゃ済まさん」

「いいえ。裁くのは教会です」

 アルベールは彼を見る。

「どういう意味だ」

「彼の下半身、どこにあったと思います?」




【続く】


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