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とりとめのないこと2022/12/05

SNSなど匿名性の高い場での肩書きって何だろう。


素敵な文章で少し考え込んでしまった。

ケースバイケースだが、私も私的領域にとどまるならば肩書きを付ける必要はないように思う。
立場を明らかにしておきたい、あるいは、しなければならない内容の場合には添付しておく方が良いだろう。

私的ではない領域、つまりオフィシャルあるいはパブリックな領域──ホモ・サピエンスとしての活動の場における肩書きではそうもいかないのは自明でもある。

3年ほど前に私は名刺を作り直した。
業務上必須な国家資格を取得した為である。

透明性が前提の場では名刺に
社名
職名と氏名
必須資格の有無あるいはアピールしておきたい肩書きを表に入れるのではないだろうか?

裏にはずらずらと他の必須資格や企業理念にまつわるものなどなど入れるかもしれない。
三年前までは
社名
職名と氏名
裏には保有しているその他資格

いずれにせよ、おそらく肩書きは、この場合、職名のみではなく、名刺の表全ての総体である。
表に資格を載せてから一番変わったのはお客様のファーストインプレッションに信頼を寄せてもらっているのを感じられること。
こうした観点から、実務上対外的に用いるハクというのは重要でもある。(資格保有の有無はきちんとしたものとするが、当たり前だが無いと設計の仕事そのものができない)
しかし、そのあとは、「技術力」と「実績」が全てである。

それでもやはり資格を取って良かった。
何よりも視座が増えたし扱える対象が増えたことで仕事内容そのものが変化してきた。
しかしながら、給与はそんなに変わらない。

ホモ・サピエンスとしては名刺に書いてあるものが肩書きだけではない。

夫、父、三男、一応日本人

これらも肩書きと言えば大事な肩書きである。

ではボノボとしての肩書きってなんだろう。

匿名性を重視したり現実から離反した運用をする場合には自己満足でしかないと個人的に思っている。
これが会社などオフィシャルなシーンで運用するとしたら名刺の表と同じ内容を書いていると思う。

匿名性を重視していなかったとしても私的領域にまつわる運用ならば、「肩書き」など必要ない。
運用が公共性に及ぶ場合は必要だろう。

ボノボの世界線──私的領域の肩書き

読書メーター連携と一日一篇須賀敦子用でしかないTwitter
note
Instagram

とても満足している肩書き群だと思う。
Twitterは正直言って読書メーターと須賀敦子さんの一日一篇用となっている。
これだけ書いても読書ソムリエールやインフルエンサー養成講座に参加費1000円取られる文学賞もどきなど──馬鹿げたDMがくる。

文学賞もどきは酷すぎて無視した。
参加費用として、まず1000円払わないといけない。
一次審査なるものは指定された自己啓発本の感想文。
正直なところネタにしたくて私はずっと彼の次の一手を待っている。

こうした私のプロフィールを見ない人々のうちDMをしてくる奇特な方々には、返信でドストエフスキーについて延々と一方的に語り、最後にDMをしてきた方に「子どもの頃好きだった本とその理由を教えてください」と締めくくる。
いまだかつて、一度もそのことに返信がきたためしがない。

ボノボの世界線の肩書きとして透明性を持たせる為にきちんとプロフィールがてら自撮りもあげた。
その日フォローを2名の方に外された。
かなりのショックだった。

そういうひとたちはなぜ私のプロフィールをきちんと読まないままフォローしたのか?
1時間ほどかけて問い詰めたい気分になる。

しかもそのうちのひとりは村上春樹作品の感想を投稿したらまたフォローしてきた。
だから私は、あゝ俺のプロフィールちゃんと読んで理解したんやな、と思い数日を過ごしていた。
ある時、私は満面の笑顔と輝く歯を剥き出しにして自撮りした。そのままではまたフォロー外され傷つくかもしれない、と思い、私は映画のパンフレットもどきを1枚目、2枚目に牧歌的な私の自信に満ちた笑顔を投稿した。
すると、その方はまた私のフォローを外した。
そんなにボノボの世界が嫌なら最初からフォローしないで欲しい。外されたら傷が深まる。
こういうのは何度かある。

かなり投稿内容と合致したプロフィールなのに、だ。

ボノボの肩書きはこうした悲劇を避ける為にかなり考えて書いている。

どうしてきちんとプロフィールを読まずにフォローするのだろう。

ほんとショックだった🦍

で、妻のシモーヌ大佐のSNSのプロフィールをのぞいてみた。
割と真面目に書いていた。

私は
・自撮りするとフォロワー数が減る謎の現象で傷ついてしまうこと
・そのことで夜も眠れぬままショックのせいか気を失い気がつくと朝になっていること
・なぜ私の投稿は自分で読んで笑ってしまうほど面白いのに誰も面白いと言わないのか悩んでいること
などを彼女に告白した。
もちろん、プロフィールに書いていることも伝えた。

あなたのは字が多すぎる。
大佐談

つまり、何が言いたいか?

私が死ぬ気で書いても内容すら読まれないかもしれないSNSの投稿。
ましてやプロフィールというのは──匿名性の高い場であれどボノボはボノボらしく書いているはずなのに──真面目に読むひとがもしかしたら少ないかもしれない。

あるいは肩書きとは私的領域において───書いているもの全ての総体かもしれない。

ということです。
つまり、SNSでの私的領域における肩書きというのはそんなもんかもしれない。
そもそものそもそも、匿名性を重視して書いたとしたら、エビデンスの限定がされて想像で書いているのと何ら他者にとっては変わらないかもしれない。
目的と内容に依存する。
前述のとおり、公共性が高い場合は匿名性とは逆に透明性や実績が求められると思う。

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