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とりとめのないこと2023/03/26

いま、創作小説で書いているのは、家族と向き合うべきときに向き合えなかったり、資本主義社会、能力主義の中で必死になって働こうとした人間の成れの果ての地獄と二度とその人間を受け入れることのない元家族の娘の成長だったりする。

赦されようが、赦されまいが、お互い生を全うするしかなく、けれども親というのはどこまでも自分の子どもに対して捨てきれない想いが死ぬまであるだろう。
追い出された母親の孤絶と孤独の地獄、追い出した父と娘のそれぞれの新しい人生とのコントラスト。
どこかで、自分とはできるかぎり無縁で、何かを背負う背負わされることなく静かに別れた元家族、他人にはやっていってほしい。
娘にとって親は既に他人であり、かといって血は繋がっているから何らかの形で、何かしらをそのあとも背負わされることもあるかもしれない。
一方で母親にとっては、娘はこの世で唯一自分が生きた証のようにすら思えるときがいまだにあり、自分の置かれた状況をよく見れていない。

着地点なんてものは恐らく見いだせない。

親になって、子育ての中で、ふと「ああ、あのとき父、母はこういうことで悩んだのか、こんなことで喜んだのか」と思うけれど、それと同時に彼らの親ではなくひとりの人間としての孤独との向き合いの辛さを思い知る瞬間がある。
地獄を選んでしまったら、誰が彼らに恩寵を与えるのだろう。そのようなことを取り留めもなく考えていた。

すべて夢だったらどれほど幸せだろうか───巻き戻すことのできない時間。

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