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進化の功罪

いつから我々は真理を神聖なる領域ではなく、俗なる不連続の領域に求めるようになったのだろうか───ホモ・サピエンスの歴史や進化と文明の発展により、ホモ・サピエンスは人間へと進化を遂げている。
その過程において、自然は神秘で暴力で畏怖すべく存在であったが、自然という概念は人間によって制御可能なものへと変貌した。

やがて神々の時代が終わりを告げて、神すなわち科学的エビデンスそのものとなったのは、科学が自然を制御するための道具として存在しはじめたからかもしれない。

神は死んだのではなく、神が科学へと遷移し、神は人間の傲慢な欲望そのものを引き受ける受容体になったとも言えるかもしれない。

私はそのように考える。

自然という神秘への畏怖を忘れ、我々はますます神を信仰し、制御不能なものはすべて責任を押し付け合い、神の次の一手のみに集中する。

愛されたい───愛、欲望という幻想を知りながらもその幻想を乗り越えて、現実に目を見開き生きること、愛することを放棄する人間の業を新たな神はどう裁くのか?

あるいは

我々が神を捨て去りあるべき裸の姿でただすべてを全身で再び受け止められる日がまた来るのだろうか。

我々の進化の功罪をいま我々はさまざまな形で罰を受けている。
しかしながら、権力者たちは、そのことに目を見開かず、隷従的奴隷の市民たちは盲目に突き進む。

デモクラシーであれコモンであれ我々の真の神は科学という名の欲望である。

愛することを放棄した我々はただひたすらに、神を信じ、愛されたいと願い、罪を贖うことなく、赦しを乞い、あらゆるものを踏みつけて悲鳴に耳を塞ぎ残酷に他者の生を快楽の赴くままに貪り尽くす。

他者を支配しようとし、己れの優位性を誇示するか知ることを拒絶し考えることも投げ売って、行動することを誰かに押し付けながら、蔑む傲慢で欲深い業。

自然、神秘への畏怖を忘れたホモ・サピエンスの進化。
かつて、畏怖の概念がまだ僅かながら残されていたころ、我々は彼岸の先の真理と聖域を目指した。やがて神秘を制御可能と見做した我々は、真理を嘲笑い、あるがままの人間の実存、すなわち、欲望の中にかりそめの神秘を目指した。

責任を分散し曖昧にさせ、なすりつけあう愚かな人間の我々は、燃える灼熱の太陽から罰を甘んじて受けるべき、地獄の季節の中で、茫然と佇む。

我々が制御できぬものを欲望の末に作り続けて地球を廃墟と化すことがないことを私は祈った。

誰に?

神───科学に。

赤茶けた大地が広がり、罰の雨が降り注ぎ、すべてを飲み込み我々の記憶と記録が太陽に焼き付くされたとき、はじめて我々は罪の重さを思い知るのかもしれない。

時々、曖昧な境界を超えたくなるのだ。

贖罪することも何もかもを放棄して、親しみ深い声で私を呼んでくれることを待ち続けている。私が誰かの名を呼び、呼応してくれることを待ち続けるように。

漆黒の闇に彷徨う数多の煌めく魂たちと、愛する人のなかで名付けられることも名を呼ばれることもなく消えた小さな魂。

この先を歩いてはいけないのだ、と思い知らされながらも歩くしかないのだ。

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