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クリスマスプレゼントの思い出

子どもの頃と言えば、僕は大抵真ん中の兄と幼なじみたちと走り回っている光景を思い出す。

真ん中の兄とは一歳半違いで、一番上とはひと回り違うため、長男の兄は僕らにとってかなりとっつきにくかった。

長男の兄は、ピアノやら空手やら習い事と塾やらに通わされ、両親や祖父母から口うるさく色々と言われていた。

真ん中は塾は行くことなく、スイミングだけ習っていた。

僕は、何も習わなかった。

大抵のものはおさがりで、唯一、新品といえば、サンタさんがくれた水彩絵の具セットと、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』だ。

兄弟とは不平等なのだ。

いつかのクリスマス・イブの夜、僕はサンタさんに手紙を書いた。

ポケモンとゲームボーイかDSをお願いします

ゲームボーイもDSも家になかった。
幼なじみの直樹仮称がある日、DSを自慢げに持って遊びにきた。
やってるのを横で見ながら、「俺の方が絶対上手くできるのに、早く失敗してくれないかな」と思っていた。
「失敗したら次にやらせてあげる」と言ってくれていたからだ。

なかなか友人は失敗してくれず、ほぼ僕は見ているだけの時が多かった。

そうしてまた、ある日、スケート・ボードを長男が僕に、使わないから、と言ってくれた。
友人もスケート・ボードに興味を持ち、週末、半日だけという約束で僕がスケート・ボードを貸す代わりにDSを貸してくれた。
僕も友人もひとりでめいめいにやるのはつまらないため、結局は他の遊びをすることになった。

それでもなぜだかゲーム機を手に入れたかった。

サンタさんならきっと叶えてくれる。
そう思って、僕は手紙を書き、僕の枕元に置いて、眠った。

翌朝、起きると、子どもには少し大きな包みが枕元にあった。

真ん中の兄にも何か置いてあったのだろう。
僕はとにかくドキドキしながら母に包みを開けてもらうため、持っていった。

母が満面の笑顔でジングル・ベルだか何かを謳いながら開け始めた。

包み紙の中から、赤いケースが出てきた。

僕は、DSだと確信していた。

真ん中の兄が先にビリビリと自分のプレゼントを開けて、僕のプレゼントも気になり、勝手に包み紙を全部剥がした。

「あー、いいなー、新しい水彩セットじゃん」

僕は、枕元にプレゼントがあったときの感動と赤いケースの正体を兄にバラされたときのガッカリ感を一生おそらく忘れない。

そのあと、DSをくれなかったサンタさんに対して不平不満を言っていると、

「サンタさんが何でもくれるとは思わない方がいい」

母がそう言いながら、赤い水彩絵の具セットを僕に渡してくれた。

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