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とりとめのないこと2024/06/28

僕たちの生活は、水道をひねれば水が出るし、食べるものにも困らず、寝るところもある。それなのに、心の渇きについて悩むことがある。この心の渇きの本質は、多くの場合、孤独と向き合うことだ。そして、この孤独は他者との本質的なつながりの欠如から生まれるときもある。

小さな選択肢を追い求めても幸せを感じることができないという悩みも理解できる。確かに、社会的な成功や物質的な豊かさが心の渇きを満たすことは難しい。しかし、世界に目を向けると、生存そのものが脅かされている人々の存在に気づかされる。飢餓、紛争、災害に苦しむ人々がいる一方で、僕たちは心の満足を求めて悩んでいる。

こうした現実を知ると、自分たちの悩みが相対的に小さく見える。これは単純に比較すべき問題ではない。しかしながら、自分の内なる苦しみと他者の苦難を同時に見つめることで、より深い共感と行動の原動力が生まれるのではないだろうか。ここに、他者性の認識が重要な役割を果たす。

心の渇きに向き合いつつ、同時に他者の苦しみにも目を向けることが、成熟した人間としての姿勢だと考える。例えば、地域社会での活動に参加したり、困難を抱える人々を支援する団体に寄付をしたり、日々の生活の中で他者への思いやりを実践したりすることから始められる。また、精神的な問題を抱える人々への理解を深め、支援の輪を広げることも重要だ。これらの行動は、他者の存在を認識し、その価値を尊重することから始まる。

興味深いことに、このように社会問題に注視し行動することは、自分自身の心の渇きを癒す効果もある。なぜなら、他者との関係性を築き、社会とのつながりを感じることで、孤立感が和らぐからだ。自分が社会の一部であり、他者と共に生きているという実感は、心の渇きの根源にある孤独感を和らげる力を持っている。つまり、他者性の認識は、自己の充実にも不可欠なのだ。

自分の内面と向き合いながら、同時に社会の課題にも取り組む。この二つの視点を持ち、他者の存在を真に認識することで、より豊かな人生観が築けるのではないだろうか。そして、それこそが真の意味での「成長」であり、心の満足につながる道なのかもしれない。

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