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昭和な温泉宿で行う読書会

温泉オフが近づいてきている。
2024年6月22日(土)~23日(日)です。

今回は「米沢温泉オフ」といいながら、米沢ではなく、おとなりの赤湯温泉というところでの開催となる。
米沢からクルマで30分ちょっとなので、まあいいかなぁと。

ちなみに、今はあまりやらなくなっているようだが、昔は会社の忘年会というと、温泉宿で泊りがけで行うというのが、けっこう普通だった。そのとき、地元の米沢に泊まるかというと、そうでもなく、赤湯温泉、かみのやま温泉というところまで、行っていた。
30分、1時間という場所なので、そんなに遠いというわけではなかったりする。

【1】赤湯温泉の特別なところ

実は、僕はこの「赤湯」という町にかつて住んでいました。小学1年生から3年生までの3年間です。
小さな温泉町で、住んでいたところの歩いて5分か10分くらいのところに温泉街がありました。そうした意味で、本当に懐かしいところです。
小学校の低学年というのは、僕の人生において(おおげさかもしれないけれど)もっとも楽しく充実していた毎日だったようにも思います。
どうして3年間だけ住んでいたのか?

いわゆる転校生をやっていたわけですね。
小学1年生の入学式当日に、この赤湯という町に来て、確かそのまま入学式に出たように記憶している。3年生の最後のときも、終業式に出て(学年の代表として壇上に上がった記憶がある)、終わってから、引っ越しの移動だったと思う(それから、母親にお別れの挨拶としてポールぺんてるを買ってもらい、クラスの全員に渡した)。
今そうしう小学生はあまりいないかもしれないし、その頃もけっこう特別だったみたいだけど、まあ、僕の小学3年生の最後だった。

毎日毎日、学校が終わると近所を走り回り、昆虫をつかまえたり(河川敷と山がすぐ近くにあんった)、田舎によくあるような少年だったように思う。

赤湯温泉というところは、温泉街と住宅地とが一緒になった、楽しんでもらえる場所なのではないかと思う。

【2】昭和の宿

昨年の米沢温泉オフのとき、最終日に「毎年やりましょう」という話になり、とても嬉しい気持ちになった。
そして思ったのは、「昭和の温泉宿で読書会をやりたい」ということだった。

今、温泉宿はどんどん変わっている。建物自体が大きく変わっている。何よりも異なるっは、料理のような気がする。なんだかハイカラなのだ。「オールインクルーシブ」なんてわけのわからない言葉もあるけど、僕という人間には合わないように感じる。
昔風の料理でいいんじゃないか、そんなことを考えた。
気取ることがなく、ただただ、浴衣でのんびりとできるような。

インバウンド客が増えていることもあり、値段も変わってしまった。
特に土曜日の夜は、劇的に高くなった。普通に、気軽に、というような宿は本当に少なくなったように思う。
しかし、幸いにも、米沢周辺では、探せばそれなりに昭和の値段で泊まれる宿はある。そんなに特別な接客を求めているわけではない。特別な料理を求めているわけではない。普通の温泉と、普通のお米と、普通の牛肉と、普通の日本酒で十分なのだ。ちなみに、「つやひめ」「米沢牛」「東光」とか、あと普段食べている「山菜」とかか……。

昨年の米沢温泉オフのとき、ちょっとした名も無い出来事があった。参加メンバーのひとりが、温泉宿にお土産を持ってきてくれた(僕もいただきました。ありがとうございました)。僕はチップとかそういうのは無しで良いだろうと思っている人間なのだけど、それでも、渡している姿を見て、なんだかいい景色だなぁ、と思ったのだ。
これが、株式会社として行っているような大きな温泉宿であったならば、成り立たないような風景である。小さく、家族で行っているような宿、そうしたところこそが、雨の中の読書会として、行うべきところなのかもしれない。そんなことを考えたのだった。

【3】本を読まなくなっている日常

実は、恥ずかしながら、この数年、どんどん本を読まなくなってきているような気がしている。なんだか、ゆるゆるとして、ぼんやりと映像を見る方が楽になってしまっている自分がいる。

錆びれた温泉宿とテレビやパソコンは似合わないように感じる。
テレビの電波や、ネットから、離れた雰囲気の温泉宿に泊まることで、何かをリセットできるのではないかと思う。
インターネットはときどき繋がらなくなる。モデムをリセットするような作業と同じように、日常生活をリセットすることで、いい読書に繋がるように思える。

温泉宿というのは、錆びれているからこそ、いいように感じるのは、おかしなことだろうか?

【4】小さな宿という存在について

少し脱線するけれど、「宿」というもについて、少し語りたい。

僕は、四国歩き遍路の旅というのを、行っていたことがあった。四国をぐるりと歩く。5回の区切り旅で、ざっと40日ほどの宿の泊まった。泊まる宿はビジネスホテルだったり、宿坊だったりしたのだけど、民宿のような家族でやっている小さな宿にも、泊まった。今思い出しても、「四国遍路の想い出=小さな遍路宿」というような気持ちが強い。
中には年老いたおばあさんが1人でおこなっているようなところもあった。
2階の廊下を歩いていると、ぎこぎこと音がすることがあった。隣の部屋は襖一枚で、声が聞こえてきたりもした。
でも、そうした遍路宿では、歩き遍路の人が同じテーブルとなり、一緒に語り合いながら食事をするのが、当たり前のものであり、普通に、話をすることができた。僕の場合、人見知りで、なかなかうまく話をすることはできなかったけれど、それでも、特別な時間だった。

「宿」というところは、どういう場所なのか?

「読書+読書会+温泉宿」という、特別なものを、重ね合わせたようなのが、今回の雨の中の読書会/温泉オフなのではないかと思っている。

2025年6月も開催予定です。今から参加者の募集をしています。

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