ほんとのつながり

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  • 読書日記

    その日たまたま読んだ本のなかから、印象的な文章を抜書きするとともに、その日の思い出を簡単に添えた日記。

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    本の紹介をしています。紹介した本は、読書メーターにも掲載しています。 https://bookmeter.com/users/1339281/bookcases

最近の記事

読書日記【029】整理し目を通す

しとしと雨が降る。シルクのようになめらかな海を、ビルの屋上から老人たちが無言で見つめている。 *** 昔、パズルが趣味の同僚がいた。 毎晩帰宅すると、1000から2000ピースほどのパズルを組み立てる。完成したパズルは、全てバラバラにして、また一からやり直すそうだ。そうすれば一つのパズルで何度も遊べるじゃないですか、と彼は言う。 せっかく完成したパズルをまたバラすなんて、賽の河原みたいじゃないですか、虚しくなりませんか?と聞くと、「完成」が目的じゃないから、と彼は答え

    • 読書日記【028】翻訳して届けてくる

      喉が渇き、夜更け、自動販売機を探し歩く。大通りの灯りが次々と消え、24時間営業のコインランドリーの明るさだけが街に残る。店内で漫画雑誌を読み耽る男が一人。 *** ちょうどいま夕立ちが降っている。 これだけ雨の多い国で暮らしてきて、雨音を、「雨」が物体を打つ音としてではなく、雨に打たれた「物体」が届ける音だと、そんな風に考えたことは一度もなかった。主役を「雨」から「物体」に、その主客転倒の発想に目が開かれる思いがする。 その音を「翻訳」とするのもよい。私たちが言葉で会

      • 読書日記【027】相手を恐れさせよ

        ワイシャツにスラックス姿の父親が、片手でゆっくりとサッカーボールを地に転がす。その跡を小さな子どもがよたよたしながら追いかける。広場の中心には空のベビーカー。その影がこちらに向って鋭く伸びる。 *** 幸福と自尊心の満足は区別が難しい。 スタンダールは「情熱恋愛」と「自尊心を刺激する恋愛」について次のように語っている。相手が浮気したとき、前者であれば恋を殺すが、後者の場合は倍加する(嫉妬の苦しみが被虐的な快楽に転じることによって)、と。 恐怖による支配は、自尊心を満た

        • 読書日記【026】洋燈の力の届かない

          プールサイドに一匹の蜻蛉がやってくる。はるかさきの崖に、とんびの滑空する影が落ちる。崖の上にはがらんどうの邸宅が並ぶ。 *** 夜が訪れると縁側に座り、とりとめのないおしゃべりを始める夫婦。二人の仲睦ましい習慣は微笑ましくもあるが、世捨て人のような諦めの気配も滲む。洋燈が照らす縁側の二人より、彼らを包みこむ”洋燈の力の届かない”夜の闇がいちだんと印象に残る。 寄る辺のない者同士が肩を寄せ合って生きていく姿を見ると、胸がしめつけられる。相手を失ったら、生きていけないのでは

        読書日記【029】整理し目を通す

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          本の紹介:読書日記から5冊【016-020】

          過去の読書日記に引用した本について、5冊分まとめて紹介。 【016】ジョアオ・ビール『ヴィータ 遺棄された者たちの生』 詩のつもりで書かれていない言葉が、ときに詩のような美しさを湛えることがある。 カタリナの『辞書』もそれで、最低限の読み書きも覚束ない彼女が、人や場所、病気などの名前を忘れないように書き留めたノートのことを、彼女はそう呼ぶ。その単語の連なりは意外性に富み、詩のようなきらめきと強度が言葉に宿る。 本書は、ブラジル南部の保護施設”ヴィータ”に入所するカタリ

          本の紹介:読書日記から5冊【016-020】

          読書日記【025】名句を思いだす

          朝、くすんだ色の雲が幾重にも塗り重なり、霧のような雨が降る。道行く人は誰も傘を開かない。遠くで幽かにセミの鳴く声がして、イヤホンを外す。 *** ”山は暮れ〜”は与謝蕪村の句。岩波文庫『蕪村俳句集』収録の「蕪村句集」に掲載された868句中、487句目に登場する。 「蕪村句集」に目を通したときには印象に残らなかった、868句中の一句に過ぎなかった句が、独歩の引用により、秋の武蔵野の情景と共に、私の中で特別な位置を占めるに至る。 要素を抜き出し、異なる文脈に投じることで、

          読書日記【025】名句を思いだす

          読書日記【024】新婚旅行

          夜、海辺の方角に柔らかな橙色の明かりが灯る。海の家の営業が始まったか。近づいてみると、公衆便所の灯りだった。 *** 『ちびまる子ちゃん』のアニメで、山田が電車に乗る回があった。困っているお年寄りを助けた山田が、お礼に100円玉をもらう。山田はその使い道を少し思案した挙げ句、駅に行き、一駅分の切符を買って電車に乗る。 幼児のように車窓に顔をひっつけて、外の景色を楽しむ山田。その場面には軽い衝撃があった。電車を単なる移動手段ではなく、いわばアトラクションとして、乗車そのも

          読書日記【024】新婚旅行

          読書日記【023】両手の物語

          日が暮れたあとの街をみんながぶらついている。縁側で西瓜を食べる子どもたちもいて、絵に描いたような夕涼みの場面。 *** 赤ん坊がワーッと泣き叫ぶあのエネルギー。私にもあったはずだ。どこで失くしてしまったかな。赤ん坊をあやしながら思う。 言いたいことはたくさんあるのに、うまく伝えられない。もどかしくて泣き叫ぶ者あれば、両手を忙しなく動かす者もいる。そんな誰かの姿がいつも私の琴線に触れる。同じように口惜しい思いばかりしていた過去の自分の姿が重なるからだろう。 *** 除

          読書日記【023】両手の物語

          読書日記【022】勝利の栄冠

          二人の男女が裸足で浅瀬に立っている。手を繋いで、海の向こうを見つめている。夕暮れの海風が吹き抜けて、二人の白い髪がなびく。囁きあう声はこちらには届かない。 *** アレクサンダー大王のように世界征服を成し遂げたことも、レディー・デッドロックのようにパリの社交界の頂点を極めたこともない。勝利の栄冠を手にした人間が目標を見失って虚無感を覚えることは想像できる。 目標を立てること。目標を達成するために努力すること。この二つの重要性は、幼少期から学校教育などの場で散々強調されて

          読書日記【022】勝利の栄冠

          読書日記【021】罠に身体を預けたまま

          通りに男がたたずんでいる。旅館の庭先をただ凝視している。くもり空の下でいびつなほど鮮やかなレモンイエローのジャージ。すれ違いざま彼の見つめる先を一瞥すると、庭木に生るコケモモの実だった。 *** この「罠に身体を預けたまま、その位置や形状や手触りをじっくり味わうのだった」という言い回しに痺れる。 「罠に掛かる」という常套句で終わらせず、罠に掛かったあとの行動まで想像をふくらませ、その描写によって少年の性質をより深く伝える。作家のもう一歩踏み込んだ想像力によって、ありふれ

          読書日記【021】罠に身体を預けたまま

          読書日記【020】ドア・ストップのように

          暮合いの海辺で、小さな双子がぴょんぴょん飛び跳ねているのを見る。波が押し寄せてくるたびに飛び上がり、キャッキャと歓声を上げる。それを飽きずにくり返している。日が落ちるまで。 *** 「これまでの人生で、母親を早くに亡くした以上に悲しいことはなかったよ」と教えてくれた方がいた。当時の私は誰かを亡くした経験もないし、それに匹敵するような悲しい経験の覚えもなかったので、その話は他人事のように聞き流した。 「ドア・ストップのように」という表現が素敵だなと思う。ドア・ストップを取

          読書日記【020】ドア・ストップのように

          本の紹介:読書日記から5冊【011-015】

          過去の読書日記に引用した本について、5冊分まとめて紹介。 【011】ミラン・クンデラ『笑いと忘却の書』 戦後のチェコの政治的混乱を背景に、集団から弾かれる人間の姿が描かれる。 男女のあけすけな性愛描写が数多く登場するが、チェコの近代史の暗喩として機能している。それは度重なる為政者の交代、その都度不都合な記録を抹消し、過去を書き直してきた「忘却の歴史」のアナロジーである。 特に未亡人タミナの物語。亡夫との思い出が詰まった手帳の奪還に焦り、行きずりの男に体を許した結果、亡

          本の紹介:読書日記から5冊【011-015】

          読者日記【019】古典作品の魅力

          夜中、窓を開けて外の空気を吸う。雨、しっとりとした夜気。金魚鉢からあぶくのはじける音がする。 *** 古典作品の魅力の一つに、古今東西の「ファン」による考察や二次創作の豊かな蓄積がある。手を伸せば、自分一人では想像も及ばなかった視点の作品解釈や感想などが楽しめる。一粒で何度も美味しいのが、あらゆるジャンルで”古典”や”クラシック”と呼ばれる作品の良さではないだろうか。 面白いドラマや映画を視聴したあと、ファンによる考察ブログや感想・レビュー記事をWEBで読み漁るのは楽し

          読者日記【019】古典作品の魅力

          読書日記【018】人の温もりを浴びる術

          昼に家族と散歩する。雲と雲の間の底に青空が見える。電線の上に一羽の鳥が止まる。あれは山鳩ではないかと噂する私たちの頭の上で、鳥がトゥートゥーットゥトゥーとやりはじめる。 *** 1対1の人間関係のありかたに唯一の正解がなければ、1対多の場合も同様のはずだ。誰が相手でも深い人間付き合いができないヒトはいるだろう。しかし付き合いが浅ければ悪く、深ければ良いのか本当に? 見知らぬ他人からのちょっとした挨拶や気配り(道や席を譲ってもらうなど)に人の温もりを感じたことは誰しもある

          読書日記【018】人の温もりを浴びる術

          読書日記【017】小さなひと手間

          穏やかな海、白糸のような雨。途中駅で修学旅行生の団体が搭乗、電車の中はにわかに騒がしくなる。走行中、学生たちの鞄から吊るされたJTB社のタグがゆらゆら揺れる。 *** 小さなひと手間を加えた事実が少しでも相手のよろこびになるのであれば、それはもう”手間”ではないと思う。 *** 手書きの手紙やカードには格別の喜びがある。送るときも、受け取るときも。 モノとして残るのもよい。すっかり忘れた数年後、部屋の掃除中に見つけて読み返すそれらのなんと面白いことか。データは過去の

          読書日記【017】小さなひと手間

          読書日記【016】つかず離れず

          砂浜に海の家の骨組みが。雲間から朝日が顔を出すと、渚を散歩していた人びとや犬たちが蜘蛛の子を散らすように消えた。 *** 言葉の意外な組み合わせが、思わぬ詩情を喚起することがある。言葉の組み合わせの妙について考えるとき、私は俳句の世界をまず思い浮かべる。 *** ある俳人は、「抱く孫の 瞳のうるみ」という五・七・五のあとに「鯉のぼり」と下七をつけた素人の句に対して、「鯉のぼりではせいぜい五年の人だな。私なら”山法師”とします」と答えたという。 「孫」と「鯉のぼり」で

          読書日記【016】つかず離れず