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この期間を振り返るための素材を定点的に残しておけばよかった

と、おさまる頃に思うだろうなって思っていた。そして、今がそんなタイミングなんだろうなと感じている。もちろんこのままおさまる、というか元に戻らないだろうことは言われていて、ニューノーマルなんて言葉も飛び交っているが、感染の収束はともかくとして「緊急事態宣言」みたいな物々しい環境下に置かれた経験というのはかなりレアなことだし自分の中に落とし込んでおきたい、また言葉にしておきたいと思うのだが、肝心の期間中、動画で遊んでいる間に終わってしまったとなると情けなく、お前一体何やってたんだよとこの期間の自分を逃げ道なく攻め立てたい気分になる。だから、動画で遊んでいたんだって。

そう、noteが途切れている間がちょうどそうなるんだけど、ぼんやり過ごしていましたね。たくさんの判断もしたし、配慮もしたけれどそこまで深刻な事態に直面しないで過ごせていることには感謝しかない。事態が落ち着くと、雑誌や書籍で「〜とはなんだったのか」という振り返りがあるが、どうしてもあの後出しジャンケンみたいな立ち位置が嫌いで読んだり買ったりはしない。今回もないだろう。解答を示されるような形も嫌だし、答えをカンニングような読み方も嫌だ。あ、医療とか疫学とかの話はいいんですよ。経緯とか犯人探しとか、「終わったこと」として講釈されるのが嫌なんです。

ハウスキーピングも、学校生活や授業体制も仕事も勤務体制も、そして変わりゆく環境でのコミュニケーションの取り方、情報の発信方法、価値観、それぞれの立場の人が置かれたところから考えて行動していたわけです。医療従事者と警官とカラオケ店のアルバイトとミュージシャンと大学生は全然立場も事情も違って。もちろん状況は違うんだけど、状況下ってことだけは平等で。地震でも台風でも戦争でも、ここまで広範囲での「状況下」はなかったでしょうね。そりゃそうだ。飛行機がバンバン飛び交っている状況でのパンデミック史なんてないものね。

そんな状況下でのんびり動画の練習とかやってましたが。できることの小ささにいじけないで、ちゃんと生きなくてはいけないね。

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