仕事で苦戦していた24歳、私はADHDと知った。

4月で25歳になった。この機会に24歳を振り返ろうと思う。
とにかく仕事でもがき続けた。
振り返ってみると、いつも脳内で「逃げちゃダメだ」と何度もリフレインして自分に言い聞かせていた。
もはや碇シンジ以上に「逃げちゃダメだ」を使いこなしていた(多分)。
そして行き着いた先は、精神科に行きADHDと診断され、自分が特性を抱えているという気付きだった。

私が碇シンジになった理由。

とにかく仕事でミスが多く、周りが普通にこなす事が私にはなかなか出来ない。
例えば、"横浜元町"で登録するものを"神戸元町"で登録する。会社の鍵を閉め忘れたまま帰社する。家の鍵を無くして家から出れず遅刻する(事前の遅刻連絡はします)。こんな事をちょくちょくやらかす……..
自分にガッカリするし、周りから見切りをつけられる不安が耐えない。
「次のステップに行って欲しいけど、これじゃあ任せられません…」と上司から言われる始末。
私は社会人になってから幾度となく「自分と向き合う」というテーマを上司から命題にされ、自分でも「自分から逃げちゃダメだ」と強く思っていた。
でもなかなか治らず、本当に自分が嫌で仕方なかった。自分が自分である事を恨んだ。

「それ、もっちゃんの脳の特性かもよ?」という言葉

実は社会人になってから、私は職場の何人かの人から「特性とかあるかもしれないね」と言われていた。
私のミスが多すぎる所を見て、私自身がそれに悩んでいるのを見かねて、伝えてくれたんだと思う。でも、"特性=発達障害”みたいな聞こえが好きじゃなくて「私は別にフツーに社会生活送れてるし!」と受け入れることが出来ず、スルーしていた。
しかし、その時は来る。

「あ、これは私、普通じゃないわ」と悟る瞬間

ミスにも色々ある。その中でも、お客様や会社に迷惑をかける程度のミスになると業務改善の報告書提出する必要がある。私は同じ内容の業務改善ミスを半年に3回起こした。
いつもは「わーやらかした……どうしよう」と頭を抱えまくるが、3回目にやらかした時、自分でもビックリするくらい、すんとしていた。
ミスしない為に出来ることはしていたし、注意もこれでもかってくらいしていたけどやらかした。「あ、やっぱ私フツーじゃないわ」とついに悟る….!

レッツゴー!精神科!

「自分を知りたい。普通に生活したい。」これ以上でも以下でもなかった。過去に言われた「特性があるかもよ?」がスッと受け入れられた瞬間。
私は人生初の精神科へ行った。
精神科の待合室ってひとクセある人がいたりするんかな、とか思っていたけど、私と同じようなフツーな人ばかりだった。これぞ偏見。
私はADHD(注意欠陥・多動性障害)といわれる一種の発達障害の検査を専門医にしてもらった。

「そんな感じで発達障害か否か決めるんや〜!」と思った診断方法

私はいわゆる”大人の発達障害”だった。幼い頃には顕在化しなくても、社会生活を営む上で徐々に上手くいかないことが表面に出てくる。そして”実は特性を持っていた”ということに大人になってから気付く。

ADHDは先天的な脳の発達の偏りなので、後天的なものではないらしい。
「本山さんの小学生までのお話を聞かせてくださいね〜」
「家や学校に物を置き忘れたり、探すのに苦労したことってどれくらいありましたか〜?」
こんな感じで聞かれる。ポイントは幼い頃から症状があったか否からしい。
「小学校でランドセル開けたら空っぽ!一日中、誰かに教科書見せてもらうとかやってました〜!」
とか、諸々答える。

そして、20問くらい聞かれた後に「ADHDの可能性は大いにあります」と言われた。結構ざっくりした質問で、こんな短時間で発達障害化か否か人を仕分けるんやな〜と思った。意外とザックリしていて面白い。

特性を知って、とても生きやすくなった


「エリートおっちょこちょい認定をされたから、周りより注意する必要があるのは仕方なかったんだ!」と非常に良い諦めがついた。周りと同じ土俵に立っていると思うから自分に劣等感を感じていたけど、そもそも土俵が違った。そこからとても前向きに課題解決に向けて動けるようになった。
次に「脳の仕組みが私をおっちょこちょいにさせてやがる!」とある意味、自分の中で逃げ道を作ることが出来た。
ADHD等の特性は”ここからがADHDです!”という、明確なボーダーラインがない。だからあまり自分をカテゴライズせず、発達障害というより”ちょっと強めの個性!”という自分なりの受け止め方をしている。
そして、チームにも自分の特性を共有した。世界は思っているよりも温かい。「そうだったんですね!そしたら僕達もできるだけカバー出来るようしますね」と受け入れてくれる。
そして、不得意な細やかな作業は他の誰かにパスして、私の得意分野で貢献できるようになった。

特性と私の共生。特性と社会の共生。

そこからADHDの本とかも読んで、どうしたら特性をカバーして普通に仕事が出来るか模索した。
最近はミスりそうな所に対して、先に自分で勘付く事が出来るようになった。そして先手を打って対策して徹底的に仕組み化している。
例えば、不良品の配送にはいくつか気を付ける項目がある。本山のミス防止策の為、配送チェックリストを作り共有スペースに貼らせてもらっている。
「ミスを防ぐ為、ここに本山専用チェックリスト貼らせて頂いてもよろしいでしょうか?」と、みんなに共有して「はーい」と了承を得る。
特性を受け入れて共生していく。自分の特性と社会の共生も模索している途中。
この特性を出来ない言い訳や免罪符にしたくはない。そして、特性に自分を縛りつけたくない。だから、気持ちよく生きれるラインを見つけてゆきたい。

「まぁ、こんな自分もいるよね」  が私を救う

自分は自分に牙を向けていた。
同時に、しれっと周りにも牙を向けていたと思う。
自分はどんなに仕事が上手くいかなくても自分に僅かながら期待していた。でも、いつも出来ない自分が自分を裏切った。薄っぺらい謎のプライドもあった。
周りからの評価も気になったし、同期や下から抜かれることも異常に恐れていた。そんな自分が何よりもイヤだった。

とても生きにくかった。
自分でいうのもおかしいけど、比較的に明朗快活な私が、社会人になってから不安、嫉妬、恐れ、そんな感情に侵されているのを感じた。

今だから思うけど、理想の自分や”こうじゃないと!”みたいなものに自分を縛っていた。もっと自由でいいし、自分の弱さとか未熟さを抱き締めず否定しまくってた。自分を知る。受け止める。
自分を受け止められないから、周りの人も受け止められなかったなと思う。
だから今は「まぁ、こんな自分いるよね」で自分にも、周りにも優しくなれた。

……….先輩!私、ちょっとは自分に向き合えたんじゃないでしょうか!!!

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