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【100分de名著を語ろう】2023年4月度『新約聖書・福音書』①

こんにちは。

年度が改まって、1回目となるclubhouse「100分de名著を語ろう」ルームは、4月6日(木)21時からの回がちょうど100回目となります。今までの約2年間、本当にありがとうございました。深謝申し上げます。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

新年度は、若松英輔さんが担当される『新約聖書』の『福音書』、つまりイエスの生涯と言動をつづったものが扱われます。ご自身が信仰を持たれている若松さんですが、テキストの第一回分を読んだ上で番組を視聴いたしましたが、並々ならぬ熱量で取り組まれていることがうかがわれました。こちらも、心して取り組んでまいりたいと思いました。以下、テキストの抜き書きを中心とした「レジュメ」として構成してまいります。

【はじめに】神のコトバと対話し、自分自身と向き合う

  1. 「福音書」は一冊の本ではなく、そういう名前の書籍は存在しない・

  2. 「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」「ヨハネによる福音書」の4つの文章をまとめて「福音書」という。

  3. イエスの生涯が描かれる。どのように生き、何を語ったか、あるいは語らずに体現したかを描いていく。

  4. 語ったことよりも、語り得ないことのほうが、人間の一生には多い。言葉にならなかった真実、それを見過ごしてしまっては、「生涯を読む」ことはできない。

  5. 福音とは「よろこびの知らせ」=救世主が人間の姿をして世に現れたこと。苦しみをともにし、生きるとは何かという、人生でもっとも大切なことをじかに教えてくれることのよろこび。

  6. キリスト者以外の人だからこそ読み解けるコトバがこの書物の中に豊かに備わっている。

  7. それぞれの「イエス」と出会い、「わたしのイエス」を発見すること。

  8. 「福音書」は難解な書物ではないが、なかなか「読み終わらない本」。

  9. 本を読むときに「わかった」と思うことは、とても恐ろしいことなのかもしれません。「わかった」と感じるとき、人はそれ以上探求しなくなるからです。

  10. 常に「わかりつつある」という状態に自分を置いておくこと。

  11. 多く読むのではなく、深く読む。知的にだけ理解するためではなく、深く心で味わうために読む本。

第1回:悲しむ人は幸いである

①四つの福音書とイエスの生涯

  1. 『旧約聖書』=ユダヤ教の聖典、『新約聖書』=キリスト教の聖典というのではない。『旧約聖書』は、キリスト教の聖典でもある。

  2. イエスの行われたことは、このほかにもたくさんある。その一つ一つを書き記すなら、世界さえも、その書かれた書物を収めきれないであろうと、わたしは思う(「ヨハネによる福音書」)

  3. 誰の生涯であっても、語り得ない部分が多く、語り得ることはごくわずかなのではないでしょうか。

  4. イエスの生涯を通じて私たちの人生観そのものを見直すことが重要。

②イエスの誕生——「聖家族」を見つけたのは誰か

  1. 天使=神のコトバの通訳

  2. 羊飼いたちは、世の中で大きな権力をもっているわけでも、多くの知識を有しているわけでもありません。

  3. 重要なことを神から託されるのは、いわゆる権力者ではなく、民衆のほうであるということなのでしょう。

③ヘロデ王はなぜ「うろたえた」のか

  1. 視座を変えてみれば、この王はイエスが自分の地位を揺るがす、並々ならぬ存在であるということを、正しく理解していたことがわかります。

  2. 自分が立っている権力の座が、あまりにもろいものだと理解していた

  3. この物語は、そうした隠れた弱さ、あるいは愚かさが誰にでもあることを教えてくれているようにも思います。

④「聖霊と火」の洗礼

  1. 「聖霊」とは、万人に及ぶ神のはたらき、「火」は神からの浄めのはたらきであり、この世で生きていくうえでの試練そのもの。

  2. 「生の現場」で起こる神とのつながりを重んじる者としてのイエス。

  3. 人生の試練にある者はすべて、聖霊と火による洗礼に開かれている。

  4. 自分が誰のために現れたのかについて → 正しい人を招くためではなく、罪人 つみびとを招くためである。

  5. 「つみびと」とは「ざいにん」ではない。「ハマルティア」=的外れの意味。人間は「生きている」だけではなく「生かされている」存在でもあって、神の働きなくしては生きられないのに、自分の力だけで生きられると思い込んでいる状態。傲慢な人間たちのためにこそやってきた。

  6. 誰かをあわれに思うのではなく、自分以外の人と心を同じくすること。誰かの痛みを自分の痛みとして感じようとすること。

  7. 「罪人を裁く」ためではなく、そのありようすべてを包み込み、変容させるためにイエスは現れた。

⑤山上の説教

  1. 「真福八端」

  2. 貧しさ 自分の不完全さ

  3. 悲しむ 誰かを深く愛したことの発見

  4. 柔和な人 頑なではないこと、わからないことにも意味があると理解している

  5. 義に飢え渇く人 真の「よいもの」を強く求める人

  6. 憐み 人の苦しみを自分のことのように感じること

  7. 心の清い人 「神を見る」もう一つの目が開かれている人

⑥「わたしの衣に触れたのは誰か」

  1. マルコ伝からのエピソード。苦しむ人すべてへの呼びかけ。真に願う、真に祈る。

⑦イエスはなぜ泣いたのか

  1. 「福音書」を通じて、イエスが誰かのために泣くのは「ヨハネ伝」の一か所だけ。

  2. 人の悲しみをそのまま背負い、わがこととして考えられるイエス。


今回の記載は以上といたします。4月7日以降に、「追記」がされる場合がありますので、お含みおきください。最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。それではまた。



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