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創作シリーズ「熾火」(20)

こんにちは。

「熾火Ⅱ」に入って3回め、全体としては、ちょうど20回めとなります。お読みくださいますと幸いです。

連続創作「熾火Ⅱ」(02)

同じ桐華大学の先輩後輩として、谷中昌行と千々和雅実はアルバイト先の栄進センターで中学生たちの指導に当たった。東京都下にあった栄進センターに昌行を誘ったのは、昌行と同じ桐華大学文学部社会学科の前原浩二だった。昌行と前原は栄進センターの教務職の中核であり、中学生たちへの教育についてだけでなく、創立15年程度の桐華大学の将来についても語り明かす間柄だった。しかし、ほどなく前原は栄進センターへは姿を見せなくなった。勢い、センターの実務は昌行が担うこととなる。昌行は、次第に雅実を教務の中核の一人と頼むようになっていった。

しかしそのセンターの経営は放漫としか言い様がなく、アルバイト代の支払いも滞ることがあって、バイト学生たちの心は離れていった。昌行は、当時中学2年生として籍があった中学生たちが、卒業するまでの事業継続をと経営側にかけあった。しかし、バイト学生の何人かが立ち去ろうとするのを引き止めるには至らなかった。

「谷中さん、そろそろ大学院の試験に集中しないといけないんじゃないですか」

「うぅん、そうなんだけどね。教務の人たちが何人か抜けちゃったから、なんとかしないといけないしね」

その頃の栄進センターは苦肉の策として、現金収入につながりやすい家庭教師の派遣にも手を広げていた。会員子弟の家庭に、どのバイト学生をマッチングさせるかを決めるため、事前に昌行は家庭訪問を行い、初回の家庭教師の派遣には同行もしていたのだった。

こうして昌行は、相当回数の家庭訪問を行ったのであるが、そこで気がついたのは、広い市内にあって、親の収入や中学生たちの学習態度には地域格差があるということだった。市の多くの部分が、新興住宅地であるがゆえに、地域による経済格差が如実に表れているように昌行は感じ取っていた。つまり、住環境の質の違いとしてである。それはほとんど、子供たちの学習態度としても表れていた。要するに、親の収入と子どもの成績との間に、強い相関関係があるのだ。それを、昌行は肌感覚として掴んでいた。

昌行は、目の前にいる一人の生徒にしか働きかけることはできなかったが、それでも何とかしたい、何とかしなければという思いが強かった。それは、大学院に進学しようとしていた動機とも、ほぼ連動している。それは、東華大学の建学の理念とも相呼応していた。つまり、教育の充実による社会環境の改善ということである。

昌行は桐華大学に12期生として入学している。創立12年というのは、大学としては若い。否、幼い。創立者である桐華教会会長の川合は、文明の動因としての宗教という文明観だけでなく、その担い手としての大学ということをしばしば語り、学生たちに期待を寄せていた。昌行は、自らがその担い手の一人として立っていくことを切願していたのだ。昌行は若かったが、若いのは昌行だけではなかった。桐華大学も若く、川合会長もまた、若かったのだ。


今回はここまでとして、以降は(03)へと続いていきます。引き続きご講読くださいますよう、お願いいたします。お読みいただきまして、ありがとうございました。それではまた!

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