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創作シリーズ「熾火」

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23/08/05より「はてなブログ」で連載していたものをまとめています。全体で約50本、45000文字程度となっています。
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記事一覧

創作シリーズ「熾火」(21)

こんにちは。 寒暖の差が大きい日々が続いていますが、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。体調にはお気をつけくださいね。今回は、「熾火Ⅱ」(03)をお届けいたします。 連続創作「熾火Ⅱ」(03)桐華大学創立者・川合会長の文明論は1000年を射程とするものであり、大学論は、遠くヨーロッパ中世にその起源を遡るものであった。昌行ら桐華大学生たちの多くは、桐華大学を新しい「第三の大学」として創造していくという気概と野心を抱いていた。しかし、具体的は何をどう積み上げていけば、川合のビ

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創作シリーズ「熾火」(20)

こんにちは。 「熾火Ⅱ」に入って3回め、全体としては、ちょうど20回めとなります。お読みくださいますと幸いです。 連続創作「熾火Ⅱ」(02)同じ桐華大学の先輩後輩として、谷中昌行と千々和雅実はアルバイト先の栄進センターで中学生たちの指導に当たった。東京都下にあった栄進センターに昌行を誘ったのは、昌行と同じ桐華大学文学部社会学科の前原浩二だった。昌行と前原は栄進センターの教務職の中核であり、中学生たちへの教育についてだけでなく、創立15年程度の桐華大学の将来についても語り明

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創作シリーズ「熾火」(19)

こんにちは。 3週間ほど空けてしまいました。前回から「熾火Ⅱ」に入り、その2回めとなります。今後ともよろしくお願いいたします。 連続創作「熾火Ⅱ」(01)谷中昌行と千々和雅実は、同じ桐華大学の文学部に通っていた。昌行は1982年、雅実は1985年の入学で、それぞれ社会学科と英文学科で学んでいた。昌行が4年生の時に雅実が1年生として入学しているのだから、2人は教室で出会ったのではなかった。学科も異なるのだから、なおのことである。 昌行は、大学院の入試を受けるために卒業を1

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創作シリーズ「熾火」(18)

こんにちは。 今回から、第二部の「熾火Ⅱ」をお届けさせていただきます。noteのタイトルは、第一部からの通番を採用しています。どうぞよろしくお願いいたします。 連続創作「熾火Ⅱ」プロローグ一時的なものかもしれないが、谷中昌行のうつの症状は、父・義和の死去のあと、半年ほど経って、若干軽快化しているように思われた。2005年から続いた、祖母・光江の死去、家業からの撤退、そして義和の死去といった大きな出来事のの連続は、むしろ昌行を躁に近い状態にさせていたのかもしれない。 そん

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創作シリーズ「熾火」(17)

こんにちは。 「熾火」第一部は、(16)で本編が完結いたしました。以下は、「あとがき」として23/08/29に「はてなブログ」に公開したものです。ご覧ください。 連続創作「熾火」あとがき自分の父と母たちを「物語」として書き留めていきたい。それは、自分の権利のようなものであるばかりか、その「使命」さえも自分は有していると、いつの頃からか考えるようになっていました。今回それを、極めて拙い形ではありますが、実行できたことを喜ばしく思っています。 1回を約1000文字前後で書き

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創作シリーズ「熾火」(16)

こんにちは。とうとう昌行の父・義和が逝きました。葬儀の日を迎えた谷中家の人々を綴り、「本編」部分は一旦終結いたします(次回は「あとがき」です)。 連続創作「熾火」(16)斎場には主として親戚筋の者が集まってくれていたが、それ以外の人々については、控え室が用意できない事情を話して帰ってもらうことがあった。 火葬が終わり、遺骨を収めた後で、関係者たちはタクシーに分乗して桐華教会の地域施設へと向かった。「送る会」の会場には、斎場への来場を遠慮してもらっていた教会や商店街の知己が

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創作シリーズ「熾火」(15)

こんにちは。ネット接続が、一時的にできなくなったこともあって、半月ほど空けてしまいましたが、投稿を再開いたします。どうぞよろしくお願いいたします。 連続創作「熾火」(15)「ぼくたち家族は、朝7時に開いた集中治療室への入室が許されて、父・義和と対面することになりました。ぼくの心持ちは、自分でも驚くほど静かでした。少なくとも、生きていてほしいと強く念じているようなことはなかったと思います。今にして振り返ると、そこで行われたのは、父がもはや生きているという状態ではないことを確認

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創作シリーズ「熾火」(14)

こんにちは。以前「はてなブログ」に掲載していた創作シリーズを、noteに転載しています。転載にあたっては、若干の調整を加えています。「熾火」(Ⅰ)は、(16)までと「あとがき」で終了し、その後は「Ⅱ」「Ⅲ」と続いてきます。しばらくの間、おつき合いくださいますようお願いいたします。 連続創作「熾火」(14)心臓疾患の手術のために入院した谷中義和を、妻の峰子は頻繁に見舞っていた。2007年8月4日には、峰子や入院中の昇以外の子らの計4人が呼び出されたが、その時は幸い大事には至ら

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創作シリーズ「熾火」(13)

こんにちは。創作シリーズの「熾火」13回目をお届けいたします。前年、祖母の光江が死去しましたが、今度は父の義和が入院することになってしまいました。 連続創作「熾火」(13)2007年7月、谷中義和は転院して心臓の手術を待っていた。 「昨日、病室の窓から花火が見えてねえ」 足繁く義和を見舞っていた妻の峰子は、アパートで昌行に楽しげに語った。ちょうどその頃、昇は何度目かの再入院をしていた。排尿に手間取っていたため、尿管にカテーテルを挿入したのだが、尿道を傷つけてしまって高熱

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創作シリーズ「熾火」(12)

こんにちは。23/08/23に「はてなブログ」で発表したシリーズ「熾火」の12回目です。谷中家2世帯の面々は、生活保護を受けるようになりました。 連続創作「熾火」(12)谷中家の人びとがベーカリーを営んでいた区内で転居した上で、生活保護を受給する生活に入ってから、一年が過ぎようとしていた。腰の高さほどもある大きさの犬を連れて散歩に出る人びととすれ違うような住宅街にあるアパートの岸野ハイツの一室を昌行は借りていた。周囲には、同じ岸野の表札がかかっている家が並んでいる。大家も岸

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創作シリーズ「熾火」(11)

こんにちは。前回までで、主人公・昌行の祖母・光江が死去し、周囲から生活保護を検討するよう諭されていた谷中家について書いてきました。今回はその続きです。 連続創作「熾火」(11)谷中家の4人の兄弟のうち、実に2人が病床にあった。長男の昌行はうつ病が既に5年間回復せず、次男の昇に至っては10年以上も精神病(のちの「統合失調症」)であって、光江の葬儀の時期には精神科病棟に入院していた。谷中家を公私に渡って支援していた人びとは、生活保護の受給を開始してはどうかという点で一致していた

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創作シリーズ「熾火」(10)

こんにちは。以前「はてなブログ」に掲載していた「熾火」シリーズの全50回ほどを、順次noteに転載しています(その際、購入可能な設定をしています)。1回がおおよそ1000文字前後で、これはだいたい、新聞の連載小説の1回分に相当するようです。偶然の一致でした。今回は、その10回目をお届けします。 連続創作「熾火」(10)祖母の光江が逝いた。享年91歳なので、もはや大往生と言えるのだが、昌行は自身の病のために、特老に入っていた光江の晩年の記憶はほとんどなかった。かえって、遠ざけ

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創作シリーズ「熾火」(09)

こんにちは。創作シリーズの「熾火」通算9回目をお届けいたします。産業カウンセラーの講習で、雅実と再会した昌行でしたが、今回は谷中家の事情が語られます。 連続創作「熾火」(09)昌行は、谷中家にあっては三男一女の長男であった。既に病を得ていた次男の昇、デザイン系の専門学校を卒業して、雑誌広告のレイアウトをしていた長女の咲恵に、三男の滋があった。昌行が職を失った2004年2月には、滋は妻・由美子と暮らしていた。また、義和の母・光江は施設で過ごしていた。 タニナカ・ベーカリーと

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創作シリーズ「熾火」(08)

こんにちは。「はてなブログ」に掲載していた連続創作「熾火」から「熾火Ⅲ」までを、語句の調整程度の修正をした上でnoteに転載をしています。今回はその8回目ですが、第1回からは、こちらのINDEXを参照いただけますとお読みいただけると思います。 連続創作「熾火」(08)明けて2003年、2月に資格試験の結果が通知されたものの、昌行は合格には至らなかった。同期の受講グループの仲間は残念がり、受験資格がある来年の再受験を勧めてくれた。 昌行の心身の調子は、相当程度に安定している

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