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創作シリーズ「熾火」(19)

こんにちは。

3週間ほど空けてしまいました。前回から「熾火Ⅱ」に入り、その2回めとなります。今後ともよろしくお願いいたします。

連続創作「熾火Ⅱ」(01)

谷中昌行と千々和雅実は、同じ桐華大学の文学部に通っていた。昌行は1982年、雅実は1985年の入学で、それぞれ社会学科と英文学科で学んでいた。昌行が4年生の時に雅実が1年生として入学しているのだから、2人は教室で出会ったのではなかった。学科も異なるのだから、なおのことである。

昌行は、大学院の入試を受けるために卒業を1年先に延ばしていた。大学5年の時に1回め、浪人してさらに2回と、都合3回を受験していた。浪人中は、タニナカベーカリーの増改築のため、大学の近辺にアパートを借りていたのだ。その生活費はアルバイトで捻出することが家族との約束だった。このアルバイト先に、当時大学3年生の雅実が在籍していたのだ。

昌行が抱いた雅実の第一印象は、鮮明なものとは言えなかった。このアルバイトとは、自習教材を購入した家庭の中学生をフォローアップするために行われていた、社外の講習会場での個別学習の指導だった。何人もいた女子学生の中で、雅実は必ずしも目立つ存在ではなかった。

昌行は国語と社会及び教務主任職を、雅実は英語と数学を担当していた。雅実は教科の実務の上では、その才覚を発揮していた。教職課程を履修していたこともあったのだが、むしろ天性のものを感じさせ、特に女子中学生たちからは慕われていた。

雅実に対して、好意らしきものを感じていると昌行が自覚したのは、アルバイトを始めた年の冬の講習でのことだった。一週間の予定で実施される講習の初日、雅実は講習会場への道に迷って遅刻した。その姿を、会場の窓から昌行が見つけたのだ。開始からは既に1時間は経っている。通り過ぎようとしていた雅実を、昌行はあわてて追いかけた。

「千々和さん。どうしたの?」

半ば問い詰めるように昌行が声をかけると、一時間は歩き詰めだった雅実が涙目で振り向いた。

「何よ、ちゃんとした地図もくれないで!」

その時昌行の胸の内で、何かがコトリと音を立てて落ちた。そう、それは確かに「落ちた」のだった。

その日以来、雅実に対する昌行の扱いが、少しぞんざいになった。とはいえ、人前で千々和ちゃんとか、雅実ちゃんと呼ぶには、遂に至らなかった。何より昌行は、雅実の清廉さを尊敬していたし、この関係を変えてしまうことが怖かったのだ。

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「熾火Ⅱ」の(01)はここまでといたします。初回発表時の誤字やらを修正しての公開となります。価格設定はしてありますが、気に入っていただけましたら「応援」してくださいますと幸いです。

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