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【100分de名著を語ろう】2023年4月度『福音書』④弱き者たちとともに

こんにちは。

今回のclubhouseルームで、4月度分の『福音書』が完結します。イエスの生涯、特にこのテキストの内容に照応している映画として、メル・ギブソン監督作品である『パッション』がお勧めです(新品での入手は難しいかもしれません)。

これとは別に、スコセッシ監督の『最後の誘惑』がお勧めされていたことも書き添えておきます。

その他にも、イエスその人や、キリスト教を題材とした映像作品はたくさんありますので、探してみるといいと思います。なお、講師の若松英輔さんによる以下の

が、5月10日ごろまでkindle版でセール価格となっているので、これを機会に読まれてみるといいかもしれませんね。

1)隣人とは誰か

  1. ここでいう「弱さ」とは「強さ」の対義語ではありません。むしろ、真の意味における「強さ」の源だといったほうがよいかもしれません。

  2. 私たちは自分の人生を大切に生きようとするとき「弱く」なる。日々を丁寧に、繊細な気持ちで生きるからです。ですが、それだからこそ、どこからか(※1)が湧いてくるのだと思います。

  3. イエスの弟子たちは、イエスが亡くなってから、師の存在をはっきりと感じるようになってといってもよいように思います。

  4. 「弱く」あるということと「隣人」の発見は深く結びついているのです。

  5. 社会的に「強い」立場にいる人よりも「弱い」立場にいる人のほうが、他者の痛みを確かに感じ、的確に応答もする、とイエスは言うのです。

  6. イエスにとって重要なのは、この世で力をもつことではありません。隣人とのつながりにおいて「ちから」(※2)を発揮することなのです。

  7. ここでいう「ちから」は、知力、権力、経済力というときのような計量可能な「能力」ではありません。むしろ私たちから湧き出る不可視ははたらきだといえるかもしれません。

  8. 「ちから」は自分のためだけに生きては育まれません。それは他者、それも未知なる他者とのつながりのなかでこそ培われるのです。

    ※1、※2の太字による強調は、引用者によるものです。

2)戒律よりも大事なもの

  1. 「安息日は人のために設けられたのであって、人が安息日のためにあるのではない」。

  2. どんなかたちであれ、危機に直面している人がいれば、どの掟よりも、困難にある人に寄り添うことが優先される、というのです。

3)イエスが「選んだ」十二使徒たち

  1. 神の子であるイエスは、すでに自分が裏切られるということを知っています。それでも、自分を裏切る相手を弟子にし、「使徒」にしたのです。イエスは弟子たちが「弱い」人間であることを承知で弟子にしている。

  2. 彼らは愛されることばかりを考えていて、自分のほうから愛することができるのを忘れているのです。

4)「三度わたしを知らないと言うであろう」

  1. 愛する師を裏切らねばならないとは、何と過酷な人生だろうという憐みの言葉であるように感じられます。

  2. イエスのいう「契約」とは、永遠の約束ということにほかなりません。

  3. このあとペトロは、イエスが語ったように行動します。それはイエスを裏切ることだっただけでなく、自分を裏切る行為でもあったのです。

  4. 人は誰も思うようには生きられない。このことを深く認識できるとき、私たちは自分にも他者にも寛容になれ、「ゆるす」ということを実現できる、そうイエスは語っているようにも感じられます。

5)なぜユダはイエスを裏切ったのか

  1. 「友」とは、たしかな「ゆるし」がなければ出てこない言葉です(略)イエスがどうしても最後に背負わなければならない試練を準備する人、それがユダだったのです。

  2. ユダは善き人です。しかし、イエスはその善さを、包み込みながら超えていかねばならない、と諭すのです。

6)「どうしてわたしをお見捨てになったのですか」

  1. 見方を変えると、イエスはここで神に向かって高らかに弱さを表現しているともいえます(略)このとき、高潔な言葉を残して亡くなったとしたら、人は、高潔なありようで死ななくてはならない、ということになったのではないでしょうか。

  2. マルコ伝には「多くの婦人」がイエスの死を見届けたと記されています。

7)語られなかった女性たちの声

  1. 「復活」とは肉体的な蘇生ではありません。

  2. 復活のイエスとは、死を経てもなお「生きている」者です。

  3. 生者にとっての隣人は、生者だけでなく、死者もまたそうなのではないか(略)私たちの人生は、死の向こうでも続くのかもしれないのです。

8)イエスが命じた、ただ一つのこと——神の掟

  1. わたしがあなた方を愛したように、
    あなた方が互いに愛し合うこと、
    これがわたしの掟である。

  2. 「互いに」という言葉には、他者だけでなく自分自身も愛する、ということが含意されいるのだと思います。

9)追記

※4月28日(金)以降に追記がされる場合があります。その場合には、改めてツイートでURLをお知らせいたします。


今回の「レジュメ」は、以上といたします。お読みくださいまして、ありがとうございました。それではまた!


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