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創作シリーズ「熾火」(18)

こんにちは。

今回から、第二部の「熾火Ⅱ」をお届けさせていただきます。noteのタイトルは、第一部からの通番を採用しています。どうぞよろしくお願いいたします。

連続創作「熾火Ⅱ」プロローグ

一時的なものかもしれないが、谷中昌行のうつの症状は、父・義和の死去のあと、半年ほど経って、若干軽快化しているように思われた。2005年から続いた、祖母・光江の死去、家業からの撤退、そして義和の死去といった大きな出来事のの連続は、むしろ昌行を躁に近い状態にさせていたのかもしれない。

そんな中、2008年2月のある日、昌行は不意に読書を再開するようになった。彼が通っていた桐華中学・高等学校は中高一貫の男子校で、国語科以外の理科や社会科の教員たちからも、熱心な読書についての指導があった。それがきっかけとなったのか、昌行は少なくとも20代の10年間、熱心に読書をしていたのだった。

しかし、30代半ば以降は山手線を使った通勤と、何よりもうつ病を発症したことが重なり、昌行は2000年前後より読書から遠ざかっていた。むしろそれは、不可能になっていたのかもしれなかった。

それでも、この時手にしたファンタジー文学の傑作『ゲド戦記』シリーズ全6巻が読了できたことがきっかけとなって、読書を再開できたのだ。このことの影響と意味とを、昌行はまだ理解できてはいなかった。

昌行は桐華大学時代、文学部社会学科に在籍していた。社会学という学問を、昌行は「悪食」と評していた。「社会学的な方法で」と断りをつければ、何でも対象とできるように昌行には思われていたのだ。最も昌行が関心を抱いていた社会学者は、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したドイツのマックス・ウェーバーだった。ウェーバーの広範な関心領域の中でも、近代化論・社会変動論としても整理できる宗教社会学に強い関心を抱いていた。

桐華大学の創立者である宗教法人桐華教会の川合賢治第3代会長は、開学以来折に触れて大学で記念講演を行っている。川合の文明論とは、文明の基底には宗教が伏在し、力強い宗教、例えばキリスト教や仏教は、文明をリードし、方向づけ得るというものであった。ウェーバーの宗教社会学理論は、この川合の文明論と響き合うようにも昌行には思われていた。また、教会の教学で展開されている生命論は、臨床心理学などとも呼応していた。

しかし、川合会長は、教学、つまり信仰の理論的裏付けとして学問の成果を濫用することを、厳しく戒めていた。学問が信仰の従属物であってはならないという信念もまた、昌行が学んだことの一つであった。昌行が、この大学で教鞭をとりたいと考えるようになったのは、無理からぬことだった。結果的にはこの希望は叶わなかったものの、昌行には学問ないし、学問的なもの・知的なものに対する敬意が自然と備わっていたのだった。


今回の「プロローグ」はここまでといたします。次回は(01)として、第二部の本編を開始いたします。

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