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創作シリーズ「熾火」(12)

こんにちは。23/08/23に「はてなブログ」で発表したシリーズ「熾火」の12回目です。谷中家2世帯の面々は、生活保護を受けるようになりました。

連続創作「熾火」(12)

谷中家の人びとがベーカリーを営んでいた区内で転居した上で、生活保護を受給する生活に入ってから、一年が過ぎようとしていた。腰の高さほどもある大きさの犬を連れて散歩に出る人びととすれ違うような住宅街にあるアパートの岸野ハイツの一室を昌行は借りていた。周囲には、同じ岸野の表札がかかっている家が並んでいる。大家も岸野姓であった。アパートの管理会社の担当者は、いかにも二代目社長といった風情で、家賃のやり取りも地元の信金の口座への振り込みを指定されていた。つまり、代々住み着いている、この土地の名士たちが住む住宅街ということだ。隣家の人びととは、朝にゴミを出す時あいさつを交わす程度だったが、商店街のしがらみを煩わしく感じていた昌行には、むしろ心地よく思われていた。昌行の病状は、この頃少なからず安定していたように見えていた。

弟の昇も、統合失調症特有の幻視があるものの、返済の重圧からの開放感を感じているようだった。滋は少しの間と言い訳をして、働きには出ずに気ままに振る舞っていた。咲恵は一人、クレジットカード会社のコールセンターで、派遣社員として働いていた。

この前後、義和は白内障の検査や補聴器の調整などで、いささか頻繁に病院に通っていた。2007年の4月のある日、義和たちのアパートを訪れていた昌行は、検査入院することになったと義和に告げられた。

「最終的には、心臓のバイパス手術が必要らしいんだよ。しばらく入院することになるんだけど、よろしく頼むよ」

父の口調は穏やかだった。しかしその穏やかさに、昌行はいささか反感を覚えていた。この一年余り、母の外出時に義和と昇の食事を手配していたのは昌行だったからだ。義和は、この生活に入ってからというもの、家事のほとんどについて手も口も出さなかった。齢七十を超えると、こうも動きが鈍くなるのかと、昌行は呆れていた。

しかし、昌行をより呆れさせていたのは峰子だった。敬老会に入って、詩吟やらゲートボールやらで、文字通り飛び回っていたからだ。

その昌行は、この頃はまだ社会復帰への意欲が継続していた。1枚配って5円というチラシのポスティングをしていたが、暑い盛りだったために、あまりの辛さと効率の悪さで続けられるものではないと判断していた。

その後義和は、近隣にある中規模の総合病院に入院していったが、日を置かず心臓の専門病院に転院することが決まった。心臓のほぼ半分が壊死していたのだった。

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