いい気分になろう
あなたは今、どんな気分ですか?
誰でもいつもいい気分♪でいたいと思います。
日常では気分を乱されることも起こるし、
逆に気分が上がることも起こります。
誰かにこう言われたから、こうされたから、こんな状況だから気分が悪いと
周りに左右されがちだと思っていましたが、
実は自分の気分は自分が決めているんですよね。
自分の好きな空間にいると気分がいいですし、
嫌な空間にいると気分が良くありません。
嫌な空間にいるときにいい気分になれと言っても無理!と思います。
嫌だ嫌だ、あーもう嫌だ!と思ってると
『嫌』がミルフィーユのように重ねられて
『嫌な気分』がどんどん積もってしまいます。
でも『嫌だ』と決めているのは自分なんです。
以前私にとって、それ嫌だなと思うことがありました。
したくないなと思いましたが、
それをすれば私にとっていい状態になることがわかり、
急に考えがひっくり返ったんです。
それならいいなと。ゲンキンなものです。
その時に思ったことです。
気の乗らないことをしないといけなくて、
「3万円あげます」となったらどうでしょう。
これがきたら3万円入るとなったら気の乗らないことがいいことに変わる。
本当に嫌なことは別ですが、
気が乗らないというその出来事は変わらないのに、
自分の考え方でマイナスに感じていたものが
プラスに変わることもあるということです。
起こっている出来事に、
自分にとっていい意味を与えることも悪い意味を与えることもできます。
何かが起こったとき、
自分にとって「え、それはない」と思う出来事でも
隣の誰かは「わ、おもしろい」と思うかもしれません。
怒鳴っている人を見て、
なんだか気が重くなることもできるし、
何かその人なりの理由があるんだろうなと思えば、
見方を変えるだけでそんなに重く感じることもなくなります。
「毎日トイレ掃除して下さい」と言われて
嫌だな〜、めんどくさいな〜、ゆううつと思うこともできれば、
よーし、ピカピカにしてやろうと思うこともできます。
これは私が経験したことですが、
以前の職場で毎朝のトイレ掃除があったのですが
「今日もやらないと、、」という感じでした。
ある日、同僚が「洗剤これに変えたよ」と
アロマの香りの洗剤を買ってきてくれたんです。
シュッと吹きかけるとフワーっと甘いいい香りがして
それだけでいい気分になりました。
洗面台の掃除も洗剤をスポンジで泡立ててキュッキュッと擦ると
いい香りに包まれて掃除が楽しくなってきたんです。
それからはトイレ掃除が苦にならなくなって、
「洗剤変えてからトイレ掃除が楽しくなった」と同僚に言うと、
「私も。笑」
トイレがキレイになり、掃除のコツもわかってくると
ちゃんとキレイにしないと気持ち悪くなって、
「やらないと」から「やりたい」に変貌しました。
その経験から、職場が変わってもトイレ掃除が嫌ではありません。
「トイレ掃除」という一つの現象に対して、
気分は「嫌だ」「楽しい」の両極端に分かれたんです。
また、同じものを見て
「最悪ー」と言っている人もいれば
そんなに悪く思わないなという人もいると思います。
起こった出来事に意味づけして
いい気分になるか悪い気分になるかを決めているのは
自分なんですね。
カフェでコーヒーを飲んでいたら、
大きなくしゃみを連発した人がいました。
コロナもだいぶん落ち着いてきたとはいえ、
気になってその人を見てしまいました。
周りを見ると、おしゃべりを楽しんでいる女性の二人組も
1人でタブレットを見ている人もそれぞれのことをしていて、
嫌な顔をしたり気にしている風もありません。
くしゃみをした人に悪い意味を与えずに
そこにはそれまで通りの穏やかな空気が流れていて、
なんだかいいなあと思ったのでした。
私もくしゃみの人を気にして引っ張ることもできるけど、
忘れて自分の楽しいコーヒーの時間を楽しむことができました。
私だって、たくさん人がいるところで
くしゃみや咳をしたくなるもあります。
そういう時もあるよねと思えば気になりません。
自分がいいと思う方へ考えることです。
良くないと思うことを考えるほど良くない気分が続きます。
習慣で、好まないことがあるとまず「嫌だ」と思うんですが、
気分は自分で決めているとわかれば、
いい気分に持っていくこともできます。
物事はそこにあるだけ。
それに対して気分を決めているのは自分。
そこまでしていい気分になろうと思うのは、
もちろんいつもいい気分で過ごせる方が毎日が楽しいし、
以前も書いた量子力学的にも
いい気分でいれば自分からいいエネルギーが放たれて
いいことが返ってくるということを知ったからです。
湧き出てくる感情や気分をコントロールするのは
練習がいりますが、
できるだけ意識していい気分を選んでいます。