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コラム街

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ここはコラムしかない場所、「コラム街」。 コラムコラムコラム……どこを見てもコラムしかありません。なぜでしょう?  企画力をみがく講座「企画でメシを食っていく」で、 受講生… もっと読む
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#歴史

年表を眺めながら#6『無知を自覚する』

わからないことをわからないまま放置する能力。子どもから大人になる過程で、みんなこの能力を大なり小なり身に付けていき、自分がわからないことがあっても、「別に大丈夫」になっていく。 2007 2007年、ぼくはまだイラストレーターには1ミリもなっておらず、英日翻訳の仕事をはじめた。その仕事は国際ニュースに関するもので、海外で撮影されたニュース映像をたくさん見た。当時、イラクではイラク戦争の影響で国内が乱れまくっていて、テロが頻発していたので、毎日のようにテロ現場の映像を見た。そ

年表を眺めながら#5「その見え方でOKか?」

2019人は見たいものしか見ない、という「認知バイアス」。 網膜はすべてを捉えているはずなのに、意識したもの以外は脳が認識しない。通勤途中にある建物がある日突然なくなったとき、そこに何が建っていたのか思い出せないあの感じ。 『勉強の哲学』を読んでいたら、「言語的なVR」という言葉に出会った。ヘッドセットを装着しなくても、人は言語で世界を認識している。その人がどんな言葉遣いに馴染んでいるかによって、その人に見える世界は変わってくる。 私たち人間は、(物質的)現実そのもの

年表を眺めながら#3「突き放す笑い」

2003現在のぼくを知っている人にはことごとく驚かれる話だが、ぼくは20代だった2003年から1年ちょっとの間、お笑いをやっていた時期があった。きっかけは本屋で見つけた雑誌『Cut』だ。松本人志の「ひとりごっつ」が特集だった。後半のモノクロページを眺めていると、そこにお笑い学校一期生の広告が出ていた。学校はなんでも一期生が1番良い。ダウンタウンが吉本NSCの一期生だということからそんな考えを持っていたぼくは、いつにない行動力でこれに申し込んだ。 1995『ダウンタウンのごっ

年表を眺めながら#2「語り継がれる作品」

1999 高校生のころ、学校を休んで家で映画『東京物語』を観た。当時のぼくにとって学校はとてもつまらなくて退屈な場所だったから、この映画を観ることのほうが、学校へ行くよりも大事なことだと思っていた。 『東京物語』は刺激の少ない映画だった。それまで自分が観たどの映画とも違う、のんびりとした時間の流れ。棒読みのように淡々と話す役者たち。動きのないカメラ。刺激の少なさは逆に「考えながら観る」ことを促す。僕はその後、何度もこの映画を観て、反芻しては新たに感動するポイントを発見する。

年表を眺めながら#1『少年ジャンプと私』

社会学者・田中俊之さんの『<40男>はなぜ嫌われるか』には、今の<40男>たちがどんなふうに社会に影響されてきたかを指摘する箇所がある。僕が歴史に興味を抱くきっかけになった文章だ。 40男が少年だった頃、『週刊少年ジャンプ』が全盛期を迎え、ファミコンによって家庭用ゲーム機が爆発的に普及した。1980年代に人気だった『キン肉マン』や『北斗の拳』、あるいは、1990年代を代表する『ドラゴンボール』や『スラムダンク』の愛読者で、絵が得意だった少年たちは漫画家になりたいと願っていた

福岡文化人類学〜第1回『日本酒文化と焼酎文化』

「しょっぱぃっっっ!!!!」 東京に来た福岡人が酒場で受ける洗礼が味の違い。特に塩気の多さに目をまん丸させた経験は誰しもにあるだろう。 (反対に関東の人が福岡の料理食べたときとかどんなんでしょう?「(ムダに)濃いぃぃいい!」とか?分からん...!!) そこで抑えたいのが「日本酒文化と焼酎文化」だ。 「日本酒は食べ物と一緒に口の中で混ぜるもの。焼酎は口の中をカラッとリセットさせるもの」 事実、僕はこの言葉に救われた。This is マジ金言。これを意識するだけでその地域の食事