20年後・・・
9・11がやってきた。20年前、私は日本にいてその日は台風が私が当時住んでいたところを直撃した。その台風の中なぜか私は友達に会いに行って、帰ってきたテレビで信じられない光景を見た。「nyで飛行機がビルに突っ込んだらしい」と聞いて、小型機の事故かな?と思っていたらそれは想像を超えた本当に凄まじい光景だった。陳腐な表現だけど映画を見ているような、現実感のない光景。
悲惨で、被害者が気の毒でやりきれない状況で、民間機が使われたことを知ってとても悲しい気持ちになった。大学を卒業してすぐに働いたのが航空会社で、CAとして数年乗務したせいもあり、人と人、場所と場所を繋げるはずの平和の象徴であるはずの民間機が人を攻撃するために使われたことがとても悲しかった。
その後、米海軍基地に近いところに住んでいる頭上を今まで見たことのない大きな輸送機が飛んでいくのを見て、「戦争が始まる」とぼんやり思った。アフガニスタンを爆撃するニュースを見て、知り合いの沖縄戦を体験された方が、「自分は幼い子供だったけど、あの時のことを思い出すの。」とおっしゃっていた。何十年も前の記憶が呼び起こされたらしい。そして優しいその方はきっと逃げ惑っているであろうアフガニスタンの子供たちに思いをかけられたのだと思う。
そして一年もたたない2002年にアメリカに移住した。もちろん人々は9・11のことを語り、どんなにアメリカが傷ついたか、ということを知った。知ったのだけれども、心のどこかを「でも日本でも、ベトナムでもイラクでも多くの民間人がアメリカの空爆で亡くなってるんだけど、彼らはそのことを知っているのだろうか?」とふとよぎることがあった。言い方は悪いけれどまるで自分の国だけが大きな悲劇に見舞われた、というような印象を受けたのだ。もちろん他の国の事情を知ったところで悲劇は悲劇であることには変わりない。ただ大きな世界の流れの中で自国を見る、という視点が欠けているように感じたのだ。いや、もっと根本的な個人の問題として、人の痛みを理解する、というような視点がかけているように感じた。沖縄戦を体験した知人がアフガニスタンの民間人の痛みを感じたのとは反対のことだ。
またアメリカの教会の中での愛国心の強さにも正直引くものがあった。国旗とキリスト教旗が同じ高さで礼拝堂に掲げられ、ある教会では独立記念日に近い日曜日にはまるでアメリカを賛美しているようだった。アメリカ人であることとキリスト教徒であることが一体化して、絡み合ってこれは解くのが大変そうだ、と思った。それは後にトランプ政権の時に本当に強く現れてしまうのだった。
アメリカは子供のような国だと思う。確かに若い国で、新しい移民がどんどん来て、それによってエネルギーを持ち続ける国だ。でも侵略されたことも自国の領土を攻撃されたこともほとんどなくてそこからくる痛みや苦しみを知らないし、学んでいない。9・11は本当に物凄くショックだったのはまさか攻撃されることのない本土、しかもアメリカの象徴が破壊されたせいだろう。
20年後、アフガニスタンは元に戻ってしまっているようだ。たくさんのアメリカ人やアフガニスタン人、またその他の国の人々の犠牲を経て、またイスラム原理主義者が支配する地となってしまうのだろうか。そう思うとこの20年はいったい何だったのだ、と思うけれど。それでも歴史を知って歴史から学び続ける限り、全く同じ状況に戻ることはない。少しでも前進し、良くなると私は信じている。
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