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「今日の光に」

創作小説「今日の光に」


 私に夢ができたのは、遠い昔のこと。

 今ではまだまだ「幼い」といえるほどの歳だったとき、私は夢を持った。

「シンガーソングライターになりたい」

 好きなアーティストに影響されたのがきっかけだっただろうか。少しエレクトーンが弾けるから、と簡単な曲を作り、歌詞をつけ、弾き語りをした。今考えると、かなり簡単……というか単純な和音やメロディばかり。だけど、それが楽しかった。だから好きなアーティストのようになりたい、同じシンガーソングライターになりたい、と、願うようになった。

 あれから、八年が経った。

 夢を諦められなくて、音楽関連の大学に進んだ。いつしかエレクトーンではなくピアノを弾くようになり、持ち運びできる電子ピアノを持って駅前に行っては、路上ライブなんかをやったりもした。Twitterや Instagramにも演奏している動画をアップしている。夢を見始めた当時よりも、複雑な和音や曲の進め方は多く知っているし、それを生かした曲作りだってしている。

 でも、諦めようかな、と思い始めていた。

 路上ライブには人があまり来ない。それに、SNSの反響は芳しくない。大学の成績も、思った以上に低かった。私には、音楽のセンスがまるっきりないのかもしれない。

 そう気付いてしまうと、もう、夢を見るのが辛いのだ。苦痛にすらなるのだ。夢を持っていられるのは、ある意味現実を見ていないから。現実を知ることは、信じ続けていたものをへし折られること。それは嫌だ。

 夢は希望ではなく、絶望になる。

 絶望を抱えるくらいなら、そんなもの、捨ててしまった方がいいに決まってる。


 今日で、路上ライブを終わりにしよう。そう心に決めて、地元の近くでそれなりに人の集まる駅へと向かった。

 最後のライブの支度をする。電子ピアノを用意し、冊子になった歌える曲リストを用意する。オリジナル曲が十数曲と、好きなアーティストの曲が四十曲。段ボールで作ったお粗末な看板には、『笹原亜紀 ピアノ弾き語り』の文字と、TwitterやInstagramのQRコード。歌える曲リストも、画鋲でこの看板に留めてある。ちなみに名前は、もちろん本名じゃない。いわゆる芸名、作家でいうペンネームみたいなものだ。

 電子ピアノの電源をオンに。アンプやマイクなんかを用意するだけのお金はないから、私の声の大きさとピアノの本体音量だけでアピールしなければならない。でも、それも人が集まらない一因かもしれない。まあ、そんなことはどうでもいい。今日でこれは終わるのだから。

 お客さんがいないうちは、好きなアーティストの有名な曲や、自ら作ったものでお気に入りの曲を演奏し続けた。

「——このアーティストさん、好きなんですか?」

 いつの間にか、小学生くらいの女の子が目の前に立っていた。

「う、うん。好きだよ。何か弾いて欲しい曲、ある?」

「じゃあ、これとこれ」

少女が指さしたのは、好きなアーティストのファーストシングル曲と、インディーズ時代に出したミニアルバムの中にある一曲。

「最初のシングルは、私がこの人の曲を好きになったきっかけだから。こっちの曲は、何となく今、聴きたいの」

「リクエスト、ありがとう。じゃあ、まずは最初のシングルからね……」

 電子ピアノに手を置き、そして、最初の和音を鳴らした。何度も聴き、弾いた曲だ。歌詞や呼吸のタイミングは完璧だし、楽譜がなくとも指が動きを覚えている。

 私が好きなシンガーソングライターは、自分の故郷のことや心が帰る場所を想いながら、この曲を作ったという。私の心は、どこに帰ればいいのだろう。すり減らされ、なくなりつつある私の心に帰る場所などあるのだろうか。

 そんなことを考えていたら、約五分の演奏時間もあっという間に経っていた。いつのまにか曲は終わり、音楽を聴いていた少女は目を輝かせて、パチパチと拍手をしていた。

「喜んでもらえたかな?」

「うん!」

 ありがとう、と言いながらも、私の指は次の曲に向けて動いていた。はじまりの音に手を添え、タイトルコールをし、そして、奏でた。

 同じ和音の繰り返しが多いこの曲は、さっきよりも比較的余裕を持って弾くことができる。だから、さっきよりも一層心を込めて歌った。最後のお客さんである少女に、感謝の意を伝えるために。

 四分ほど演奏し、そして、曲は終わった。

 ぱちぱち、と、寂しくも温かな拍手が鳴る。

「素敵だった」

「ありがとう」

 満面の笑みを浮かべる少女は、その笑顔のまま、私に、聞きたくない言葉を突きつける。

「お姉さん、夢はなあに?」

 答えに、窮した。

「……夢は、捨てるの」

「どうして?」

 あどけない表情で首を傾げないで。お願い。何て返したらいいか、分からなくなるじゃない。

「……もう、辛いの。夢見ることが、苦しいの」

 ああ、まだまだ幼い子に、こんなことを言うなんて。きっとこの子にとって夢は、希望に満ち溢れたものだろうに。

「——私もね、夢があるの」

 ふと、少女は呟いた。

「この人みたいな、アーティストになりたいんだ」

 言いながら、歌える曲リストに目を移した。ああ、この少女も、私と同じ夢を持っているのだ。

「この人もさ、きっと辛い時期とか、あったんじゃないかな。ほら、今だって、子宮外妊娠とかしちゃったらしいし」

(えっ?)

 何かが、おかしい。でも、何がおかしいのか、分からない。分からないけど、でも、少女の言葉は正しい。

「苦しいのはお姉さんだけじゃないよ。だから、きっと大丈夫」

 少女は笑った。

「苦しいのは私だけじゃない、か……。確かにね。ありがとう。もう少しだけ、頑張ってみようかな」

 少しだけ、元気が出た。お礼にと、好きなアーティストの曲を一曲歌うことにした。こんな場面にぴったりなものがある。

「一曲、その人の曲を歌ってもいいかな。じゃあ……」

 タイトルコールをしたら、少女が首を傾げた。どうしてだろう。まあ、いい。ここで歌わなければ、ますます彼女は不思議そうにするだけだろう。私は、好きなアーティストが十二番目に出したシングル曲を歌った。

 この曲は、好きなアーティストがスランプに陥った時期に作ったらしい、と言われている。それは約八年前のことだっただろうか。デビュー五周年のアルバムを出したら、燃え尽きてしまったような気持ちになってしまい、そこであの震災や彼女の子宮外妊娠が重なり……。

 ——ああ、そうか。さっき、違和感を抱いた理由が分かった。目の前にいる少女が八年前のことを「今」と呼んだからだ。そしておそらく少女が首を傾げたのは、少女にとっての「今」、私が歌っている曲がまだ未発表だから。

 少女と私では、生きている時が違う。

 私が過去に来てしまったのか、少女が今にやって来たのか。それは分からないけれど、きっと私の「八年前」が、少女の「今」なのだ。

「……そんな曲、あったっけ? でも、いい曲だね」

 少女はそんな言葉を口にした。

「でしょ?」

 私は微笑んだ。

「ねえ、お名前を聞いてもいい?」

 少女に問いかけると、彼女はうなづく。

「私の名前はね——」


 彼女は、光になって消えた。その光景と、彼女が口にした名前に、私は唖然としていた。

 でも、次の瞬間には笑って、その光に向かって口ずさんでいた。

「走る思いに追い抜かされぬように」

「今日の光にそっと呪文をかけました」


 そういえば昔、一度だけ、路上ライブをしているお姉さんに会ったことがあるな、なんてことを思い出した。


《完》


あとがき

作中に出てくるアーティストさんにはモデルがいます。誰か分かりましたか?

今回は好きな曲の歌詞から単語を取り出し、それをもとに即興で小説を書いてみました。いかがでしたでしょうか?

この小説を読んでくださった皆様、本当にありがとうございました!