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手のひらを太陽に

亀の甲羅に歯ブラシを当てて、冷水を上から滴らせながらクチュクチュ磨いてあげると、亀はなんとも言えないイイ顔をする。

彼が亀に憑りつかれたのは小学6年生の時である。夏休みの宿題に「観察日記」というものがあり、生真面目な彼はきちんと宿題を遂行せんと、その観察の対象に、近所の池を悠々と泳いでいた亀を選んだのである。ある夏の日、腰まで水に浸かってやっと亀を捕え、その辺においてあった青いポリバケツをその住処とした。こうして、毎朝水を替え、亀の姿を絵日記に書く習慣が身についたわけである。

絵を描くうちに、彼はその亀の「甲羅」に魅了されるようになった。やや緑がかった甲羅に、放射状に線が入っている。そして真ん中には顔とも虫ともつかぬ、得体のしれない紋様が浮かび上がっているのである。

甲羅の次は「首」だった。その首は、緑色と黄緑とオレンジをマーブリングしたような、実に混沌とした紋様を描いていた。見るものによっては吐き気を催しかねない、爬虫類の生々しい首に、彼は非常に激しい執着を感じたのだった。

頭の中は亀ばかりになった。甲羅が暑くなりすぎやしないかと、日陰に亀を置いた。すると今度は亀が風邪をひくのが心配になり、ぽかぽかしたお湯の中で育ててあげたいと、家の風呂に亀を入れてお母さんに大目玉を食ったことがあった。それでも、彼は亀を愛することを辞めなかった。

亀は万年というが、やはりその通り、彼の亀は生きた。かなり長く生きた。やがて寿命が訪れた。

亀は死んだのである。

悲しかった。だが、涙も流れず、嗚咽もあげなかった。生き物はみな死ぬ。悲しんでいたって仕方がない。思いのほか開き直ることが出来た。それでも、彼と共に生きた数十年の記憶を、このまま庭の土にくれてやるわけにはいかない。

彼は亀を喰ったのである。

甲羅を開き、臓物を取り出し、串焼きにして喰った。鶏肉ときゅうりを混ぜて焼いたような味がした。感慨はあったが、やはり泣いたりはしなかった。むしょうにエネルギーが湧いてきた。生きるエネルギーである。

生き物は、誰かに愛され、誰かに喰われ、誰かと一瞬だけでも一緒にいることもあるが、基本はみな孤独に生きている。彼の亀も孤独であっただろう。その生涯のほとんどを青色のポリバケツの中で過ごしたわけだから。子孫も残したかっただろう。もっと広い湖で悠々と泳ぎながら、天敵の存在におびえつつ野性的な生き方を謳歌したかったかもしれない。だが、その亀は天寿を全うし、彼にある一つ大切なことを教えてくれた。それは言葉では決して伝わらないものだった。だが、これを教えられたものは、胸の中が柔らかなあたたかみに包まれるのである。言葉では言い表せない。だが、強いて言うのならば・・・


命は命でできている。

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