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ロボコン始めたらぶっ倒れかけた話

はじめに

 ネギです。いつになく重いタイトルになりましたが、私の状況整理と将来ロボコンをやりたい人、そして、今現在ロボコンをやっている人に向けて書いていきたいと思います。 今回はかなり内容が重くなります。今までのふざけたテンションは無いと思って下さい。


きっかけ

 まあこれは、記事を書くきっかけともロボコンを始めたきっかけとでも捉えてもらいましょう。 
 記事は、めっちゃ突発的に書いてます(現在時刻2:51)。私はここ数ヶ月カスみたいな生活を送ってきていました。自暴自棄です、言うなれば。端的に言えばこの惨状を見せつけたかったです。 
 ロボコンをやる人は部蓄だの社畜だの年齢不相応な代名詞で自称もしくは他称されます。嫌な十字架です。でも、皆好き好んで背負います。ロボットが好きだから?ロボコン楽しいから? 
 私にはそのどれもが足りませんでした。

 それが結果的に自分を追い詰めたのだと思います。

ロボットに1nmも興味がない人間がロボコンを始めるまで

入会前

 私は今高専1年生です。ロボ研には、うちの学年の誰よりも早くに入会しました。でも、ロボットには全く興味がありません。当たり前の話です。そもそも私は技術のないクソ雑魚です。新歓(という名の部活動勧誘会)では文芸同好会に入会し、美術部とデザ研どちらに入ろうか迷っている最中でした。 
 典型的な文系です。たぶん放課後はゆるい部活に参加して、図書館に籠もっているだろうなというそんなに明るくない未来を想像していました。 
 しかし、新歓の会場である体育館を出ようとした時のことです。出入り口のすぐ横にロボ研ブースがあるのですが…「ちょっと、単位取れるしお得だよ?お兄さんどう?」そんな言葉が喧騒を飛び越えて私の耳にすっと入ってきました。あたりを見渡してみると、それはたしかにロボ研ブースの方から聞こえてきました。 
 そして、それは紛れもなく私がオープンキャンパスで会ったパソコン解体パイセンだということが一瞬でわかりました。私はなんとなく…まあ、オーキャンの時のあの先輩に入学報告したいなというのがきっかけ…しょうもないですが…ロボ研ブースに立ち寄りました。ロボットはちらっと見ただけで、小さなチラシをめっちゃ可愛い先輩から貰って、勧誘文句を気もそぞろに聞き流してぼーっと帰りました。

入会する(!?)

 私はその後だらだらとロボ研の会室見学を先延ばしにしながら放課後を過ごしていました。でもある日友だちから「ロボ研興味あるんだ、行かない?」と言われてようやく重い腰を上げたのです。会室の場所は分かりにくくかったものの、女子2人の見学は珍しかったのでしょう、熱烈な、?歓迎を受けました。 
 私はそこでパソコン解体パイセンを見つけました。なんと会長でした。よくよく考えればオープンキャンパスの時点で副会長だったので当たり前だけど。 
その後ロボ研所有の倉庫?的な場所に案内してもらい、入会を即決しました。ここらへんはまあ省きますけど、入会届よりも先に入会した人間になりました。

ロボコン参加

 毎日律儀に会室に通っていた私ですが、ロボコンの副チームリーダーにならないかと誘われました。私としても願ってもない話でした。1年生で役職を持てるなんて早々ありません。 
 チームリーダーは会長とこかすた〜君で、どちらか選べと言われました。私はこかすた〜君を弄ってはいましたが、尊敬していたのは会長だったのでAチームリーダーについていく事を決めました。 
振り返ってみれば、この時が一番幸せでした。

始まる社畜生活

初期(アイデア選考会〜)

 1年生もだいぶ入会した5月。第一回アイデアシートの作成、アイデア選考会に向けて着々と準備が始まりました。 
 しかし滞るアイデア。最終的な案が決まったのは選考会(注記:先生方にアイデアを発表する会的なもの)の1週間?程前だったと記憶しています。そのためアイデアシートと発表用のプレゼン資料を急ピッチで進めなければなりませんでした。 
 私はその1週間程を毎日睡眠2時間とか3時間、1週間合計18時間とかいうスケジュールで乗り切りました。中学まで22時寝7時起きという健康的すぎる生活リズムを送っていた私にはとても過酷でした。今振り返るとロボ研にあまりにも傾倒しすぎたのです。馬鹿らしい。でも、私は15歳というまだ青臭い年齢の持てる情熱を全て注ぎ込みました。

 選考会が終わったあとも第2回アイデアシートの提出に追われたりして最悪の出来事が起きます。私とチームリーダーが方向性の違いから度々衝突しました。  

 アイデアシート1つとっても、私はその時OBの先輩に書類作業を教えてもらっていたのですが、
彼曰く「書類は第一回こそ丁寧に書きなさい」
リーダーは「書類にはそんなに時間かけなくていい、スライド資料に力を入れて先生にツッコまれた場所を口頭で説明する」

 私は新参者でしたが、OBの先輩の言葉はかなり賛成できたので、書類を丁寧に書こうと試みました。しかし、書類の書き方を教えてくれる人は誰もいませんでした。もちろんOBの先輩は添削をしてくれたし、過去のロボ研の資料を遡ればアイデアシートは数多く置かれていました。 
 ですが、excelを扱うのも初めて、書類なんて書いたこともないこの前まで中学生だった人間に何が出来るでしょう?必死で書き終え、ストレスが溜まり、リーダーに何故か恨みを抱く日々が続きました。

中期(〜夏休み)

 だんだん生活リズムは崩れ、2、3時寝が当たり前になりました。コーヒーを手放せず、時には徹夜までして書類を書き換えました。時にはバカンス中にPCを持って行って車の中で書類チェック、なんてこともありました。

あまりにも真面目過ぎたのです。手を抜けばよかった。しかし、私は変にこだわるクセが抜けませんでした。結果的にリーダーが書くはずだった書類はほぼ私が奪うような形で書き、リーダーと決裂していきました。

後期(〜大会)

 夏休み明けからは書類がほぼなくなり、私も一息つく……うん……まあ一息つきました。 リーダーに書類作成を任せ、関係も修復しつつありました。ロボットの外観も強い5年生の設計者のおかげで早めに完成し、私達に心の余裕も生まれました。(これは良くなかったです。来年度に活かせ)

は?まだ社畜なの?殺すよ?

 大会は残念な結果に終わりましたが…私は仕事が終わりませんでした☆ 大会の一週間後に有る反省会の資料作成に追われるというクソみたいな状況でまた精神が追い詰められていきました。なんとか反省会当日の空きコマで完成させ、発表も上手く行き…さあもう仕事終わりだろ!と思っていた矢先に文化祭。 
 クラスのポスターを書く仕事を引き受け(マゾなの??)、これも夜遅くまで粘って3日で2枚完成させました。

 そして迎えた文化祭。楽しかったです。でも、それは2日目に起きました。

 2日目の終わりです。ロボ研のブースにいたのですが、急に激しい頭痛と吐き気に襲われてしばらく座り込んでいました。といっても気にかけてくれる人なんていなかったので、フラフラの状態で寮に帰ってそのまま倒れ込むように寝ました。

疲れました。

暗黒期開始(第Ⅰステージ)

 その後から半年間見ぬふりをしてきた疲労が一気に来ました。寝ても寝ても疲れが取れず、頭痛に悩まさせる日々が続きました。しかし、1年生最難関と言われる後期中間は間近に迫っており、勉強をしなければいけないのは明白でした。 
 だんだん焦燥感と疲労の板挟みになり、私は寝れなくなっていきました。

 いわゆる、睡眠障害の一種だと思います。はじめは、ある月曜日の遅刻でした。たしか11月の最初です。1時間目が情報処理だったのですが、起きたら授業開始から15分経っていました。幸い寮生でしたので教室にはすぐ行けましたが、先生(ロボ研の顧問でもありました)「〇〇(本名)さんが寝坊って珍しいですね」と言われ、今までほぼ無遅刻無欠席の私はやばい、とさらに焦燥感を抱きました。しかし、寝れない夜はだんだんと増え、睡眠時間も結果的に短くなり、朝に浅めの眠りにつくことがしばしばでした。 
そして、私は寝坊しまくって遅刻魔になっていきます。

 体育を1回、英語は2回以上、情報処理も何回か。精神的にも限界の日々が続きました。 あるときは部屋に帰ってきた途端涙が止まらなくなり号泣したこともありました。 でも、誰にも相談できませんでした。親には8時間くらい寝てるように言ってあるし、先生に相談しても何にもなりません。そして、私はこういう事を吐き出せる友達が高専にいませんでした。Twitterで愚痴を吐きまくるだけです。 
 ある時ついに限界が来て、情報処理の先生…ロボ研の顧問でもある…に、相談しました。先生は最後まで聞いた上で、控えめながらいくつかのアドバイスを下さりました。(ごめんなさい先生、テストの点は悪かったです) 相談したことでいくらか心は軽くなりましたが、改善には至りませんでした。

暗黒期(第Ⅱステージ)

 なんとか後期中間を気合で乗り切り、またロボ研が始まりました。私は馬鹿だと今では思いますが…毎日律儀に参加していました。

休むべきだったのに。

 だんだん裏垢に引きこもり、相変わらず寝れず、自殺願望が次第に大きくなっていきました。人生がつまらないものに思え、人と関わるのが嫌になり、夜はむしろ親しみ深いものになりました。 
 そんなある時、ロボ研生の1人に「休会してみたら?」と提案されました。私はそれに飛びつきました。休会届がなかったので自分で作りました。何故か、書いている時とても楽しかったです。記入する時は一種の快楽すら覚えました。 
 それが12/16くらいで、冬休みの1週間前でした。

 私は久しぶりの休みに打ち震えました。ああ、放課後はこんなに自由で、素晴らしいものだったのです。私はその時からようやくぐっすり寝れるようになりました。そうでなくても、心が大きく余裕を持てるようになりました。ロボ研という鎖から解き放たれて、私は自由を謳歌しました。寝れない夜ですら友達のように感じられました。

暗黒期脱出(最終ステージ)

1/17、私は1ヶ月の休養を経て、ロボ研に復帰しました。休会する前と後ではロボ研が全く違ったものに見えました。なによりも頭がスッキリしていて、物事を考えやすくなっていました。仕事は、もうしていません。

総まとめ

 私の思い過ごしと馬鹿さで結果的にこうなったので自業自得です。休みは大切です。でもそれを聞き入れられないほどに私は追い詰められていました。

 結局のところ、私は誰かに助けてもらいたかっただけです。「大丈夫…?」よりも「休みなさい」よりも、それらよりもずっと話を聞いてくれる人が欲しかった。変な同情も心配もいりません。
私の身体のことをなんで他人が理解できるんですか?
私の気持ちが完璧に理解できるんですか?
それでなにか解決しますか?

いいえ。
私が悪いことは承知の上で、否定せずに最後まで話を聞いてくれる人が欲しかった。もしくは、頑張ったね、って褒めてくれる人。それをやってくれたのは1年生の2人、上級生の数人です。ロボコンが楽しくなかったわけでもないし、来年もやります。でも、こういう思いをする人はいなくていいです。
 私はぶっ倒れませんでした。でも心は、たぶん死にました。休会したおかげでロボ研やロボコンへの考えも大きく変わったし、結果的に良かったと思います。
 私は前ほどの情熱を抱けないと思います。あの時はたぶん病気がなにかだった、そうに決まってる。と、思い込もうとしています。

そうでないと過去の自分を殺したくなるので。

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