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好きなことやって生きてきた男の残りの人生の生き方 〜今までやってきた好きな事〜 社会人編③

家電売場でボディソニックチェアーを体験して感動している場合ではなくなってきた。

というのも、この頃テレビの大型化がブームになっていた。
まだ液晶テレビなど無く、ブラウン管式のテレビしか無かった頃だ。

とにかく毎日各家電メーカーから店頭陳列用のデモ機が送り込まれる。
それを、バックヤードから売り場に運んできて、段ボール箱から出す作業なんだが、一人ではとてもではないが、重過ぎて出せない。

アルバイトの男の子に手伝ってもらって、男2人がかりで箱からだす。
50kg〜60kgとかは普通にあるはずだ。
その作業を繰り返して、売場の陳列棚に載せてゆく。

そんな事を1年近く続けていたある日、腰がビクンとなりガツーンと衝撃が走った。
そのまま床に倒れて呻く!
うぅ〜!うぅ〜 痛い〜!

アルバイトの男の子が、焦った顔で心配そうに
覗き込む。
しばらく自分でも何が起きたのか、理解できなかった。

10分くらいうずくまっていたが、このまま倒れてたままでは、どうにもならないと思い、痛みを堪えてアルバイト君に肩を借りて立ち上がったが、その瞬間!またもビクン!と脳天まで激痛がが突き抜けて、下半身に力が入らなくなる。

他の売り場の担当者に担がれて、近くの
整形外科の病院に車で送ってもらった。
レントゲン撮られての先生の診断は、ギックリ腰って… それはわかってるって感じ。

こんな痛いのギックリ腰しかないわ
って、後で考えると素人は気安くギックリ腰って言うけど、この時もっと大きい病院に行っとくべきだったわー
医者の言う通りに会社休んで1週間、家で海老のように腰をくの字に曲げて横向けに寝てたら
少し痛みが和らいで、我慢すれば、動けるようになったが、その5日後に再度激痛でノックダウン。

今度は大きめの総合病院の整形外科に連れて行ってもらった。
さっそくMRIを撮ったら、典型的な腰部椎間板ヘルニアとの診断。
医師の言うには、「これは保存的治療では無理だと思う」「一番良いのは外科的手術で飛び出した椎間板を取る手術だが、2ヶ月程度入院が必要」との事だった。

そんなに会社を休めるはずないので、「先生それ以外に何とかこの痛みが和らぐ方法無いんですか」と聞くと、根本的には患部は治らないが、神経にブロック注射を行う事で、痛みはかなり和らぐだろうとの事。

で、この時今から考えたら、会社辞めるつもりで、外科的手術を選択しておけば、結果長期に
痛みと戦うことは無かったと後悔した。

結局ブロック注射して、痛みを和らげて、職場に戻ることに。

でも、もう大型テレビや大きなスピーカーは持てない。
わかっていてもバイト君やパートさんに毎回重い物を持たす事が気の毒すぎて辛かった。
本当にスタッフには申し訳なかった。

数ヶ月悶々とした後、結論は会社を辞める事だった。
店長に辞表を持って行った。
その時に店長に言われた言葉が、もう本当に
耳を疑った。
『そんな病気になるまで働けなんて言ってなかっただろ?』


この言葉はキツかったわ。
こっちは会社のため売上のため、アルバイトパートさんのために、あんなに重いテレビを数十台を運んできた。
それを労いの言葉もなく、責任回避の言葉しか
出せない人間がこの店の最高責任者だとは…

この言葉のお陰で、ある意味スパッと辞めれたわ。

会社を辞めてから、ちゃんと治そうと、家でずっと寝てた。
仕事も辞めたしやる事ないので、寝るしか無かった。


そしてある日、寝ながら求人誌を見てたら、
あのボディソニックチェアを作ってた、パイオニアの子会社が大阪支店の人員増強のため、
中途採用を行ってるのを見つけた!

この時!正直!
来たー!と思った。
このボディソニックって名前の会社に行くためにヘルニアになったのかと思った。

とにかく、この痛みを何とか治して、この会社へ応募しよう!
この偶然とは思えない出来事で気持ちは決まった!

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