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だっぴ【脱皮】(しりとり小説第6話)


昆虫類や爬虫(はちゅう)類などが、成長のため古くなった外皮を脱ぎ捨てること。


むかーしむかし、遠い昔。
あれは忘れもしない、おかんの誕生日。

「夏休み」という言葉が連れてくる魔法にも冷め、その実態が単なる「退屈の塊」であることを思い出す、小3の8月5日。

その時、俺は幼馴染のヨーヘイに連れられて、学校裏の林にいた。

俺もヨーヘイも両親が共働きだった。朝は俺が起きるより早く家を出て、夜は19時を過ぎるまで帰ってこない。そんなわけで、夏休みだからといって家族旅行に行くようなことは一度もなかった。
宿題の絵日記を書くことが、なによりもしんどかった。

そんな、家庭の事情に追いやられた退屈の集合場所が、学校裏の林だった。退屈な民に与えられる娯楽など、大抵鬼ごっこやかくれんぼ程度のものだ。

その日は、林に集まってきた退屈7人で、木登り鬼ごっこをしていた。その名の通り、木登りオッケーの鬼ごっこで、勇気を出して一番高いところに登れさえすれば、誰かが勇気を更新するか、あるいは鬼ごっこに飽きるまで鬼になることはない、面白味に欠ける遊びだ。

当時、俺は背が低く、ガリガリの体型だった。
ヨーヘイは小学校3年生にも関わらず身長が160センチ近くあり、よく俺たちは「チビガリのケンジとノッポのヨーヘイ」と呼ばれていた。

ヨーヘイは、木登りは決して得意ではなかったが、背が高い分、ジャンプだけである程度まで届いてしまった。対する俺は、背が低いうえに木登りも苦手だった。だから、ヨーヘイによく捕まった。

だがその日は、小さな勇気を踏み出せた日だった。物事がうまくいく瞬間は、なにか特別な苦労を重ねた時ではなく、極めて無根拠な、小さなことがきっかけだったりするものだ。「おかんの誕生日だから」とかそんな理由だったからかもしれない。いつもは怖くて足がかけられなかった枝に、その日は足が届いた。そのままするすると自己ベストを更新していった。

ぼーっと俺を見上げるヨーヘイ。水平線上に目をやると、校舎の向こうに海が見えた。
俺は自分が一歩大人になれたことが嬉しかった。

ふと、俺が手をかけていた枝に、偶然脱皮最中のカマキリを見つけた。脱皮の瞬間なんて、滅多にみられるものじゃない。

俺はその様子をじーっと観察した。そいつは俺のことなど気にも止めず、静かに脱皮していた。なんだか人の着替えを観察しているような気になって、こっちが恥ずかしくなった。

やがて脱皮が終わり、薄透明色の過去を置き去りにしてカマキリは歩き始めた。新しい人生の第一歩を踏み出したばかりのカマキリを、俺は摘んでみた。すると、無脊椎動物とは思えない柔らかい、ぶにゅっとした感触が指先を伝った。あまりの気持ち悪さに鳥肌が立ち、思わずカマキリをぶん投げてしまった。その拍子に、掴んでいた枝を手放してしまい、俺は木から落下した。腰を強打し、腕を木の枝で擦って流血したが、大事には至らなかった。

たった今、俺が自己ベストを更新した木の枝を見上げる。
改めて見てみると、それは大して高い場所ではなかった。

 🌳

時は戻って、いまから一年前の8月5日。
あれも忘れはしない、おかんの誕生日。

ガキの頃、身体が小さかった俺も、今はそれなりに大きくなった。(とりわけ、横に)
俺は品川印刷という都内の印刷会社に営業として就職し、今年で7年目を迎えていた。
印刷会社といってもチラシやパンフレットなど紙媒体だけを扱っているわけではなく、近年ではWEBサイトやアプリの開発なども手がけていた。

入社したての頃は誰よりも手を挙げて仕事を貰いにいったし、営業電話もかけまくった。
失敗が許されるうちはその情熱を評価してくれる先輩もいた。
しかし、入社から一年が経つと「鎌田君はもう少し頭を使って仕事をしようか」と言われるようになり、三年も経つ頃には「鎌田はいつになったら戦力になれるわけ?」と詰められるようになった。
いつまでたっても仕事の要領をつかめないまま、同期がユニットリーダーに昇進していくのを横目に、俺はリスクの小さな、低予算の案件や営業電話ばかり任せられていた。

だが、物事がうまくいく瞬間は、なにか特別な苦労を重ねた時ではなく、極めて無根拠な、小さなことがきっかけだったりするものだ。

上司に投げられた雑務を終え、サイボウズの「退勤」ボタンをクリックしようとした瞬間、LINEの通知が来た。

〔ケンジ、久しぶりだな。元気か?〕
およそ5年ぶりの、ヨースケからの連絡だった。

〈わお!ヨースケじゃん!久しぶり!元気だよ。どうした??〉
〔ケンジ、たしか品川印刷で仕事してたよな?ちょっと相談したいことがあって…〕

それは、ヨースケが勤めるITベンチャー、ディルクス社の新商品プロモーションの相談だった。
ディルクス社は5G事業にいち早く着手し、いま勢いのある企業だ。昨年には「未来のベストベンチャー50」にも入賞したらしい。
ヨースケは学生の頃から、ベンチャーの立ち上げにアルバイトとして参画し、今では20代ながら執行役員を務めている。

話によると、ディルクス社は国内大手家電メーカーと共同開発した5G-IoT家電を年明けにリリースするようだ。
うまく波に乗れば次世代の日本を象徴する商品になるかもしれない。いうまでもなくディルクス社の社運をかけた一大プロジェクトであり、広報ユニットの管轄役員を務めるヨースケは、国内大手の広告代理店とタッグを組みながらWEBサイト、動画、パンフレット、TVCMの制作、都内での体験イベントなど、あらゆるプロモーションを計画していた。
しかし、代理店が手配したWEBサイトの制作会社に納得がいかず、WEBサイト制作だけはヨースケからの指名という形で直接俺に相談を持ちかけてきたのだ。

〔信頼できる仲間と仕事がしたいんだ。悪いが、頼まれてくれないか?〕

翌朝、橋爪部長にこの件を報告しに行った。
どうやら橋爪はディルクス社のことを知らなかったらしく、俺に一切視線を合わせず、エクセルと格闘しながら「あそ、好きにすれば?」と言った。はなから俺経由での受注など期待していない表情だ。

「なんでもいいけど、ウチの信用を損ねるような顛末だけは勘弁しろよ」

週明けから、早速制作の打ち合わせが始まった。

「久しぶりだな、ケンジ」
「おう、連絡くれてありがとう。随分と出世したなー」
「いやいや、偶然だよ。俺は何も変わらないよ」

サイボウズで抑えた会議室に、ヨースケと、プロモーションを総括する代理店の松尾という男を案内する。松尾の名刺を見ると、「第1営業本部 総合第2プランニング局 局長」と書かれている。大手代理店が扱う企業にしてはディルクス社の規模は小さいが、将来性のある案件ということもあり、中堅以上の社員がアサインされているようだ。

ウチからは、俺の数少ない職場友達のWEBデザイナー、片桐さんに同席してもらった。2歳年上だが、中途入社で社歴は俺より浅い。デザイナーにしては珍しく社交的で、仕事のできる優秀な男だ。

いざ打ち合わせを始めると、ヨースケの中では既にデザインやサイト構成の具体的なイメージも固まっているようだった。途中からはヨースケと片桐さんが直接与件を詰めていくことで、するすると話は進んでいった。
本来は代理店が会議を仕切ることが多いが、提案した制作会社をヨースケに反故にされた経緯もあり、松尾は終始絡みづらそうな表情をしていた。


「今日はありがとう。ケンジに相談してよかったよ。おかげで上手くいきそうだ。」

打ち合わせのあと、俺はヨースケとビル1階のレストランで昼食をとっていた。

「俺は何にもしてないよ。」
「いいや、ケンジの手柄だよ。松尾さん、あれこれ過去の実績を自慢してくる割には大したことなくてさ、代理店なんて所詮仲介業者なんだから、わざわざ絡めなきゃよかったって思うくらいだよ。」
「そうか、、、まぁ、今回の件はウチに任せてよ。」
得意げなことを言ってしまったが、最後に「片桐さんが頑張ってくれるからさ」と付け加えた。

その後、ディルクス社のプロモーション施策は見事成功し、半年のうちにポスターやパンフレットの制作もウチに任せてもらえるようになった。品川印刷でも最近ここまで大きな案件はしばらく受注できておらず、結果的には社内でもトップクラスの売上案件となった。

4月、俺は仙台に転勤になり、仙台営業所第2営業ユニットのユニットリーダーになった。既に同じレイヤーで活躍する同期もいたが、いままでの俺の評価を考えると、驚くほど急な昇進であった。

「鎌田さん、ディルクス引っ張ってきたって本当ですか!?」

新しく俺の部下になった、仙台営業所の倉津恵が目を輝かせて聞いてきた。

「うーん、まぁ、偶然なんだけどね。知り合いがディルクスの役員だったんだ。」
「ディルクスの役員がお知り合いなんて…鎌田さん凄いですね…!」
「ああ、、ありがとう。これからよろしくね。」

着任当初、仙台のメンバーからは羨望の眼差しが向けられていた。俺も、入社8年目にしてようやく一歩成長できた気がして、充実感のある春を迎えた。

だが、役職の変化は、必ずしも当人の能力を保証するものではないのだ。俺は相変わらず要領が悪く、あれから大した結果を残さないでいた。
人脈のない仙台の地ではディルクス社のような機運も期待できない。言うまでもなく、7人もの部下をマネジメントできるだけの力量も持ち合わせてはいなかった。

半年もしないうちに、仙台営業所に俺の居場所はなくなった。あれだけ目を輝かせていた倉津も、今は残飯を食い荒らすホームレスを見るかのような目で俺を見るようになっていた。

「このままだと来年は降格だなぁ」
18時なのにまだ明るい8月5日、俺はため息をつきながら帰路についていた。

仙台駅から徒歩10分ほどの場所にある勾当台公園は、仙台七夕花火祭の準備で賑わっていた。通勤時には毎日この公園を通っていたが、祭りが運ぶ期待と興奮で充満された公園に俺のため息を吹きかけるのはひどく罰当たりな気がした。途中で具合が悪くなり、木陰の適当なベンチに腰掛けて休んだ。

ふと視線の先の木に目をやると、枝の先に、1匹のカマキリがとまっていた。どうやら脱皮を終えた直後らしい。
カマキリを、俺は摘んでみた。カマキリとは思えない柔らかい、ぶにゅっとした感触が指先を伝った。あまりの気持ち悪さに鳥肌が立ち、思わずカマキリをぶん投げてしまった。

「あー、なんでだろう」と俺は思った。

俺はいつもそうだ。
何かのきっかけで一皮剥けることができたと思っても、実際には自分の本質など、ほとんど変わっちゃいない。中身は未熟で柔らかいまんまだ。そして、状況や環境の変化は己の未熟さを吐き気がするほどに痛感させる。

脱皮したてのカマキリは、地面でひっくりかえったまま、手足をもごもごさせていた。しばらく見つめていると、千鳥足で歩く50代後半の男がそれをぐしゃっと踏み潰していった。

「これでいいのか?」と俺は思った。

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