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しり とり 【尻取り】(しりとり小説第1話)

言葉の遊戯。前の人の言った言葉の最後の音を語頭にもつ言葉を順々に言い合う遊戯。「あめ・めだか・かい・いす」のように続ける。
(三省堂 大辞林 第三版)

「しりとりでも、しますか。」
ちょうど御殿場ICを過ぎたあたりで、黒塗りのクラウンを運転する若い男が突然そう口にした。

しりとり。それは、相手の発した単語の最後の音を語頭にもつ言葉を言い合うだけの、退屈な遊びを指す。
いつ、どのタイミングで私がその退屈な遊戯を初体験したかはもはや記憶にないが、この国に住む人間であれば大抵が、無自覚のうちに身につけているものだ。少なくとも、私のように義務教育すらまともに受けてこなかった人間ですら知っているのだから、世の中にはそれを知らない日本人など、「いない」と断言してしまっても問題はないのだろう。

「悪くないかもしれないね。やろうか。」私は答えた。「じゃあ、」

しりとり、りす、すいか、かもめ、めだか…

しりとりの序盤は、王道の流れがある。
それこそ誰が決めたものかは分からないが、大抵、「しりとり」の後は「りんご」もしくは「りす」で打ち返すのが常套手段で、数回お決まりの往復を繰り返したあと、どこかで一般道から脇道へと逸れていく。

我々はお互いの素性など知らない。誰の腹に生まれ、何歳で行き場を失い、どんな形で闇に拾われたか、きっとこの男にもそれなりのストーリーがあるのだろうが、今更になって、別にそれを知りたいとも思わない。

ただ、そこに存在するのは「我々は組織的に敵対」していて、「互いに誰かの指示にしたがって行動した結果、ここにいる」という事実だけである。私と男の関係だけをかいつまめば、私も男も、互いを恨み合う事はないし、かといって融和や団結を志すわけでもない。
だからこそ、私と男との間に、何か話をするべき特別なことなどはない。
しりとりは、そんな会話に詰まった他者同士が、つまらない空間を補う最後の手段なのかもしれない。


「かれこれ、誰かを送り届けるのはあなたで7人目になります。」突然、しりとりを遮るように男は言った。
「すると…つまり君はこれまで6人の人を殺してきたということになるね。」
「願わくばこんな、、もし自分が死んだらその瞬間地獄に突き落とされるような、そんな人生は送りたくなかったんですが。。」
「がっかりするような人生かもしれないが、道徳や法律を度外視すれば、君のしていることは誰かにとって望まれる仕事であることは間違いないのだから、それもいいんじゃないか。」

これから男は、指定されたマニュアルに沿って私を地中に埋めるだろうし、私は何も抵抗できないまま土に還る。
人生の冒頭を間違えた私だ。誰にも見届けられることなく最期を迎えるものだと思っていたが、どうやら私はこの若い男に見届けられることになるらしい。たとえそれが、「葬られる」という形でも、それはそれで、私の人生の終焉としては悪くないと思った。

…からす、するめ、メール、ルビー、ビール…

「『類は友を呼ぶ』、、つまりあなたもそういうことなのでしょうか。」
「簡単に言えばそうなるね。私も今まで、数え切れない人を殺してきたよ。どうせ同じ闇の世界の人間だ。そもそも心配する家族や身寄りがいない。殺してどこかに埋めたとしても、そう簡単に見つかるものじゃあないよ。」

男は懐のポケットからラークを取り出し火をつけ、肺八分目くらいまで煙を大きく吸った後、ため息とともに吐き出した。

「よく、夢で見るんですよ。土に埋めた6人の死体が、あの時の姿のまま私に迫ってくる。私は必死に逃げようとするが、自分も足がないことに気がつく。」

それは、私も若い頃によく経験したものだった。

「『苦し紛れに這って助けを求めるが、死体に追いつかれ、やがて自分であの時掘った穴の中に引きずり込まれていく。』私もよく、そんな夢を見たものだ。」
「大体、そんな感じです。そして今日からは、その夢にあなたが加わることになる。」

…留守、スリル、ルート、トライアングル、ルーヴル、ルノワール…

「『る』攻めをしてくるとは恐ろしい。」
「いつもこうやって、誰かを送り届ける時には結局しりとりをするんです。だからこの前『る』で終わる言葉を研究しました。」
「たった今死のうとしている人間にも容赦がないな、君は。」
「はい。これから土に埋める相手との対話が私のターンで終わると、なんだかすっきりしなくて。むしろきちんと負かして葬りたいのです。」

それからも、男の「る」攻めは続いた。
私は自分の少ないボキャブラリーの中から捻り出せる限りの「る」を探った。
だが、車が人里離れた狭い小道を進むにつれてとうとう言葉がでなくなり、ついに車は深い樹海の底で停車した。
男は手錠をした私を車から降ろし、私に向かって銃を突きつけた。

「すみませんが、ここであなたを殺してから埋めることになっているのです。」
「少し、私の願いを聞いてくれないか。」
「叶えられるものかはわかりませんが、お伺いしましょう。」
「埋めるなら、いっそ生きたまま埋めてくれないか。」
「仮に必死で土の中で叫んだとして、誰も助けに来ないことはわかっているでしょう。それに、これから私はあなたを頑丈に包むことになります。脱出もできない。土の中は呼吸もできず苦しい時間が長引くだけです。どうして生き埋めを望むのです?」
「すっきりしないんだ。『る』に返せないまま、死ぬことが。別に今更逃げ出すつもりもないし、人生に未練や思い残しもない。そもそも思い残しなどあるわけのない人生だった。だが、最後の最後に、君のせいで未練が残ってしまった。」
「大したものです。。わかりました。ただし、最後に何も言葉が思いつかずに死んだとしても、私は知りません。」

男は荷台から大きなカーペットと縄、シャベル、バスタオルを取り出した。
バスタオルで顔面が覆われると、私は視覚を失い、呼吸も少し苦しくなった。
今度はカーペットの上で仰向けの状態にされ、笹団子のように包まれ、縄で頑丈に縛り上げられた。

「る…る…」私は、失われた視界の中で最後の反撃の狼煙をあげようとしていた。
しかし、人間は浅い呼吸の中では、あまりまともに思考ができないもののようだ。
少しずつ、意識が朦朧とし始めていることがわかった。

しばらく時間が経過すると、バスタオルとカーペットに遮られた聴覚の向こうから男の声が聞こえた。
「私の勝ちです。」
直後、私は自分が転がっていることに気がついた。
おそらく、男の手によって深く掘られた穴の底へ落とされたのだろう。
そして、男がシャベルで土を埋めているのを、胸のあたりの重みから感じた。

5分ほどすると、車のエンジンがかかる音と、わずかな振動を感じた。
音と振動がやがて遠ざかっていくと、誰もいない静寂の中で、ついにほとんどの感覚が失われるようだった。

いよいよおしまいだ。
しりとりは、誰かが「飽きたからもうやめよう」といいだすか、最後に「ん」がつく言葉を選ぶまで続いていく。
だが、私はあの若い男に与えられた「る」に取り残されたまま、この生涯を終えようとしている。

決して、「ん」などにはなれない人生だった。

父親が誰かなど知らない。寂れた風俗店の女によって産み落とされた人生。
風俗店が経営破綻した日、目がさめると母親すらいなくなっていた。

戸籍がないことで、むしろ闇の中では小さく歓迎された人生。
私を拾った老いた男は、私に人殺しと死体遺棄の術を教えた。
老いた男はまた、私の手によって森の奥深くに埋められた。

そして私も今、若い男によって地中に埋められた。
闇の中で繰り返される、代わりがきく惨めな人生。
そんな、私の小さな命が消えたところで、この世の中は何一つ変わることなどないだろう。

だけど、仮に何一つ世の中は変わらないとしても。
せめて、私の人生の終着点は、私だけの人生の終着点は、ちゃんと「ん」で終わらせたいと思った。
だがまともな教育を受けず、闇の世界の言葉を盗むように覚えてきた私にとって、「る」を綺麗に「ん」へと導く言葉はそう簡単に思いつかなかった。
何か、いい言葉はないものか。
「る」という理不尽を再三経験し、結局「る」を打ち返せずに生涯を終えようとしていた私が、最後に我が身を納得のいく形で終わらせる「ん」が。

…すでに酸素を失い、生死を彷徨うギリギリになって、ふと、最後の言葉が浮かんできた。
「ああ、全くもってしょうもないけれど、案外悪くないかもしれないな。」

ほぼ五感を失った私が、最後に世の中に言い放った、終焉の言葉。
ありがとう、でも、さようなら、でもない。恨みもしなければ、感謝もしない。
ただ、私の生きた46年間を、少しだけ彩りを添えて終わらせる、少しでも何か縁起の良さそうな言葉。

「…ルイ・ヴィトン」

奇しくも、私の人生にはほとんどかすりもしない言葉を思い浮かべ、私はその生涯を終えた。

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