「甘酸っぱくてジュワっとするだけじゃないんだよなぁ」
 足を組み、頭を両手で支え、椅子を信頼しきって反り返りながら、苺説明本部のイッチーは言った。イッチーの前でメモをとるのは、新入りのイゴだ。
「と、おっしゃいますと」
「うん、あのね」
 イゴの問いかけにイッチーは即座に反応した。
「そこには大事なものが抜けてるんだよね」
「大事なもの」
「そう」
 イゴは、メモをとるペン先を見つめた。何度も言われていることなのに、なかなか思い出せない。イッチーは反り返るのをやめて座り直し、机に置かれた苺をなで始めた。
 苺説明本部は、苺とは何かを説明する人間の脳に、こっそり説明しに行く、という機関である。お昼すぎ、職業体験の一環として保育園を訪れた中学生の太郎が、質問ブームの園児に「苺ってなぁに」と訊かれた際、苺について説明できたのは、その一瞬のすきに、イッチーが太郎の脳を訪れたからである。
 本部には基本一人しかいない。任務が誰かに知られたら、色々と大変だからだ。そのため苺説明本部に一度入ったら、多くの者は四十年以上働き続ける。
 イッチーは今日で苺説明本部を辞め、イゴは明日から苺説明本部で働く。
「粒ですか」
 しばらく続いた沈黙をイゴの声が破った。
 イッチーは、じっとイゴの目を見ながら、それに答えた。
「その通り」
 そして咳払いをして立ち上がり、イゴに苺を見せた。
 時計は午後十一時五十九分をさした。
「粒の存在は案外、忘れられがちなんだよ。だけど粒がなくては苺を説明できない。粒があってこその、苺なんだ」
 そう告げた瞬間、イッチーは苺に飲み込まれ、部屋には少し大きくなった苺とイゴだけが残された。

(了)


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